見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2025クリスマスケーキ

ブログ内を検索したら、クリスマスケーキの投稿をしたのは、札幌にいたときとつくばにいたときで、東京に引っ越してからは一度も投稿していなかった。

今年は「江東区お買い物券」が余っていたこともあって、昨日は在宅勤務の昼休みに、近所のケーキ屋さんで、自分のためのケーキを買ってきた。

パティスリーアッケ」と言って、店の名前はご主人の出身地、北海道厚岸町にちなむのだという。北海道、2年しか暮らしていないが、第二のふるさとみたいに思っているので懐かしい。

明日は仕事納めだが、広島へ日帰り出張。泊まってきてもよかったのだが、なぜ日帰りにしたかというと、明後日から2泊3日で年末台湾旅行に出かけるためである。年越しの準備は旅行から帰ってきてから。まだお餅もおせちも買っていないし、年賀状も書いていない。ほんとに年を越せるんだろうかと訝りつつ、明日も明後日も早起きなので、今日は早めに寝ます。おやすみなさい。

挿絵の記憶/伊藤彦造展(弥生美術館)

弥生美術館 生誕120周年記念『伊藤彦造展~美剣士の血とエロティシズム~』(2025年9月20日~12月21日)

 最後の週末に滑り込みで見てきたもの。伊藤彦造(1904-2004)は、大正末期にデビューし、昭和40年代まで活躍した挿絵画家である。いま、この紹介を展覧会の公式サイトからコピペしてきて、2004年までご存命だったのか!と驚いてしまった。伊藤彦造の名前と作品は、弥生美術館や野間記念館の展覧会で時折、見かけていて、ずっと気になる画家ではあった。弥生美術館は、過去にも6回、伊藤彦造展を開催したことがあるそうで、過去のポスター3点も展示されていたが、私はどれも見ておらず、まとまった数の作品に触れるのは、今回が初めてである。

 彦造の真面目は、何を措いても「美剣士」だろう。天草四郎のような初々しい少年剣士も描いているが、もう少し年長の青年剣士が、血まみれの剣にすがって身をよじるような姿には、ひれ伏したくなるような強烈な魅力がある。題材としては、渡辺綱とか丸橋忠弥とか曽我五郎とか、江戸の武者絵に繰り返し描かれており、明治の「血みどろ絵」でもおなじみのキャラクターたちだが、美しさとカッコよさはとびぬけている。鼻の高さ、目の大きさなど、少し西洋人ふうの美形要素がプラスされているのかもしれない。

 作者の伊藤彦造のことは何も知らなかったので、剣豪・伊藤弥五郎一刀斉の末裔に生まれ、自らも剣の師範であったとか(自ら、あるいは弟子とともに剣を振るうところを写真に撮り、作品の構図の参考にしている)、戦時下に大日本彩管報国党を結成し、尊皇、尚武、忠孝の高揚を目指したとか、陸軍大将・荒木貞夫の親交を得て秘書となったとか(一緒の写真もあった)、いろいろ興味深かった。彦造は陸軍嘱託として戦線を視察しており、アッツ島では「玉砕直前に他の島へ移っ」たという。その経験に基づく六曲屏風『アッツ島の山崎部隊長』(個人蔵)は、ほとんどの登場人物が顔と手に色を入れただけの(おそらく)未完の状態で残されている。このほか、少女向けの便箋や樋口一葉『十三夜』の挿絵も描いていることを記録しておこう。

 彦造の戦後の仕事として特筆すべきは、小学館『少年少女世界の名作文学』全50巻(1964-1968年刊行)において、挿絵画家として最多の20話を手掛けたことだ。おお!我が家にはこのシリーズがあった。しかし全巻揃いではなくて、なぜかポツポツと欠けていた。私自身も好き嫌いがあって、繰り返し読んだ巻もあれば、家にあるのに全く読まない巻もあった。

 写真の「モヒカン族の最後」は食わず嫌いで読まなかった巻だと思うが、「義経記」の幼い義経兄弟と母の挿絵、「ギリシア神話」の太陽神の息子パエトンが父の馬車を操る挿絵(カラー)は、すぐに古い記憶と結びついた。この『少年少女世界の名作文学』が私に与えてくれたものは本当に大きい。

 彦造のファンは今日でも多く、本展には、花輪和一氏や山下裕二氏の特別協力により出品された作品も見られた。しかもほとんどの展示品が撮影可という気前のよさ。これでまた、新たに若い世代のファンが増えるといいな。

『べらぼう』大河ドラマ館とゆかりの地巡り

 今年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜』を1年間楽しませてもらった。序盤からずっと面白くて、台東区民会館にできたという大河ドラマ館にいつ行こうか、迷っていたのだが、夏が暑すぎたり、秋以降仕事が忙しかったりして、結局、最終回を見届けたあとの先週末になってしまった。ちなみに私が大河ドラマ館を訪ねるのは、2017年の『おんな城主直虎』が初めて、2022年の『鎌倉殿の13人』が2回目、今回が3回目である。撮影できる展示物が多かったので、ばしばし写真を撮らせてもらった。ありがた山!

 今作の好きなところはたくさんあるが、登場人物(特に男性)の衣装に味があって、とてもよかったと思う。下は主人公・蔦重が若い頃によく着ていた緑色の着物(黒緑色地紬縞着物)と、歌麿の普段着(濃藍色地菱に二引き小紋染め縮緬着物に栗色染め精好帯)。

 

 耕書堂の店先。これは吉原大門前に開業した最初の店舗のイメージかな。台東区だし。

 のちに日本橋に進出するにあたり、ドラマ中では鶴屋喜右衛門さんからいただいた浅葱色の暖簾も展示されていた。

 本屋を主人公にした物語なので、版木や版本、浮世絵(肉筆および摺りもの)が多数、小道具として使われており、見ているだけでテンション上がりまくりだった。

 中でも素晴らしかったのが、ドラマ第26回で、蔦重の妻のおていさんが作り上げた「品の系図」。半紙36枚をつなぎ合わせた大判紙(A0版くらい?)に650点以上の本や絵が書き込まれている。ドラマの助監督たちが3か月かけて作り上げた苦心の作で、さらに4人がかりで9時間かけて筆写したそうだ。ドラマには登場しなかった作品のほうが多いが、ドラマ関係者が、描かれた世界の外周までしっかり把握していたことに感心した。たとえば、平賀源内の箇所、マル福は福内鬼外名義、マル天は天竺浪人名義だろう。放屁論つながりの『芋太郎屁日記咄』のマル戀は?と思って調べたら、酒上不埒=恋川春町だった。すごい~。これはもう小道具の域を超えているだろう。江戸文芸案内として、まるごと手元に置いておきたい。

 たびたびドラマに登場する筆文字の美しさも大変よかった。下は平賀源内の遺稿の想定。勢いのある文字のすがたが、なんとなく源内そのひとを思わせる。

 パネルに掲載されていた考証・指導陣の発言は、どれも読みごたえがあり、この展示限りで消えてしまうのは惜しいので、ぜひ何かに収録して残してもらいたい。

 

 さて、大河ドラマ館の入館券で「蔦屋重三郎ゆかりの地 循環バス」(20分ごと運行)にも乗車することができる。9人乗りの小さなバスだが、幸い乗車できたので、蔦屋重三郎(蔦重)の墓所がある正法寺まで乗せてもらった。バスを降りると、正面に立派なビルが聳えている。一瞬戸惑ったが、一緒にバスを降りた人が、躊躇なく自動ドアの中に入っていくので着いて行った。このオフィスビルみたいな建物が誠向山正法寺そのもので、1階のホールには本尊・釈迦如来と毘沙門天が祀られており、中庭(および墓地)への経路が案内されている。

 ビルの谷間のような中庭には、蔦屋重三郎(喜多川柯理)の墓碑銘と実母顕彰碑の碑文を刻んだ新しい石碑と、蔦屋累代の墓石が立っていた。元の石碑・墓石は火災・震災・空襲によって失われてしまったため、新たに再建されたものである(旧石碑の拓本は静嘉堂文庫美術館が所蔵)。蔦重の戒名は「幽玄院義山日盛信士」。ほかの関係者(妻、二代目蔦重など)の戒名にも「日義」「日行」など「日」の字が入っているのを見て、あ、日蓮宗だったんだな、と気づいた(日蓮宗では戒名と言わないらしいが)。

 このあと、巡回バスを待っても乗車できるか分からなかったので、次の訪問地・平賀源内墓所へは地図を頼りに歩いていくことにした。15分ほど歩いて、細い路地に面した小さな門に行き当たった。閉まっている?と思ったが、閂は掛かっていなかった。

 扉を開けて入ると、簡素な覆い屋の下に墓石があった。以前は総泉寺の墓地だったが、関東大震災で寺が移転したあと、源内の墓だけが残されたのだという。隣に大きな石碑があって、墓所を整備した松平頼寿、呉秀三による顕彰の文言が刻まれ、裏面には杉田玄白による追悼文が刻まれている。

 しみじみ参拝して、外に出て次のルートを考えていたら、通りすがりの自転車に乗ったおばちゃんに(なぜか関西弁で)「お参りしはった?源内さんのお墓」と聞かれたので、「はい」と答えながら笑顔になってしまった。

 のんびりした商店街を10分ほど歩くと、ガソリンスタンドの前の歩道に柳が植わっているのが見えてくる。これが見返り柳。さらに歩いていくと、さほど広くない道の左右の街灯の柱に「よし原 大門」と大書されていた。この千束4-11あたりが、吉原時代の耕書堂跡ということになっている。

 このあたりまでは普通の住宅街の趣きだが、先に進むと、だんだん左右に「吉原らしい」派手なキャバレー(?)みたいなお店が増えてくる。そこを場違いな大河ドラマファンや、街歩きのおじいちゃん・おばあちゃん集団が通っていくのが可笑しい。

 むかしの吉原仲之町通りのどんづまりにあるのが吉原神社。かつて吉原遊廓にお祀りされていた5つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天の6つの神社をまとめてお祀りする。5つの稲荷神社の1つが、ドラマにも登場した九郎助稲荷である。

 2体のキツネ像は、ドラマにあやかって今年7月に奉納されたもの。まあ稲荷といえば、江戸の代表的な流行神なので、令和に流行してもいいんじゃないかと思う。

盛世のミステリー/中国ドラマ『唐朝詭事録之長安』

〇『唐朝詭事録之長安』全40集(愛奇藝、2025年)

 人気シリーズの第3季。今季も面白かった! 老獪な頭脳派の蘇無名と、頑固な武闘派青年・盧凌風のバディを中心に、おなじみの仲間たちが、さまざまな怪事件を解決していく。今季は「康国的金桃」「成仏寺的哭声」「白澤的蹤跡」「諾皐記」「旗亭画壁」「天尺五」「借齢者」「盛世馬球」の8つのエピソードで構成されている。

 「康国的金桃」:盧凌風一行は、長安への帰途、西域の康国(サマルカンド)から献上された金桃を移送してくる。皇帝は金桃を臣下に分け与えるための祝宴を開くが、謎の怪鳥が飛来し、金桃を食べた人間を襲う。金吾衛大将軍の陸仝は片目を失い、長公主の護衛だった岑鷙は落命する。やがて怪鳥には、本物の鳥と、鳥を操り、自らも鳥の扮装で飛び回る人間の二種類がいることが判明する。鳥を操る怪人の正体は、西域の阿摩挪国の王子で、かつて唐の宮廷の奴隷とされ、辱められたことの復讐を志していた。正体を隠すため、鬼市で他人の顔を買ったという設定で、第1季「甘棠駅怪談」に登場した劉十七の周駿超さんが演じていたのが嬉しかった。この事件の解決後、盧凌風は雍州司法参軍に任ぜられ、蘇無名は刑獄博士(ウソっぽい職名)として従うことになる。

 「成仏寺的哭声」:第2季で秦孝白が降魔変の壁画を描いた成仏寺で怪異の噂が立つ。一方、女手一つで化粧品店を営む赤英の娘・舞陽が行方不明になってしまう。母の幸せを願いながら、その束縛を離れたい娘の葛藤という、現代的なテーマを扱っている。赤英役の楊昆さんは、昔気質の母親役が抜群に似合う女優さん。

 「白澤的蹤跡」:皇帝のもとに、明君の治世に出現するという白澤が現れたという一報が入る。蘆凌風と蘇無名、金吾衛の兵士数名、それに公主府から派遣された二名の女子(武官の李奈児とその従者)が加わり、山中に探索に赴く。夜半、怪しげな夫婦の住む寺廟に投宿するが、怪物が徘徊する気配があり、兵士たちが次々に犠牲になる。寺廟に祀られていた白澤神とは凶獣の敖天だった。さらに李奈児が上官婉児の娘で、皇帝の側近である金吾衛に恨みを持っていたことが判明する。

 「諾皐記」:さまざまな証言を積み上げて、事件の真相に迫っていく、いわば「羅生門」スタイル。登場人物の印象がどんどん変わっていき、最後は平凡な中年夫婦のいい話みたいな落ち着き方だった。

 「旗亭画壁」:詩人に憧れる阮家酒楼の主人・阮大熊は、当代の有名詩人、高達、王幼伯、冷籍を招いて酒宴を催す。高達は高適、王幼伯は王昌齢がモデルでないかとのこと。冷籍は第1季の登場人物らしいが、あまりよく覚えていなかった。

 「去天尺五」:タイトルの意味を調べたら、韋曲・杜鄠という大貴族の居住地が宮廷に近かったことに由来するらしい。本編にも長安県県尉の、万年県県尉の杜玉という官人が登場する。どちらも家系に強い誇りを持っている。しかし世の中は商人が幅を利かせ、金さえあれば悪行も裁かれない。二人は家族を傷つけた商人に復讐するが、発覚し、最後は従容と処刑される。この事件の後、蘇無名は万年県の県尉に任ぜられる。

 「借齢者」:中国古装ドラマでは、すっかりおなじみになった仵作(検死人)が主題。皇帝は、賤籍とされている仵作を救済するため、仵作大賽を開催し、上位五名を良民に引き上げることを考える。しかし、その結果、仵作たちの間に疑心暗鬼が生まれ、殺害事件が起きる。推理色強めで面白かった。

 「盛世馬球」:盔勒(クイルー)のスパイが長安に潜入しているとの情報がもたらされる(盔勒は鉄勒、敕勒と同じで北方系遊牧民族の総称)。折しも長安では、大唐チームと盔勒チームの馬球(ポロ)の試合が開催されることになっていた。盔勒のスパイ一味は、馬球のボールに火薬を仕込み、会場の爆破を計画していたが、未然に阻止された。皇帝と蘆凌風は馬球チームの一員として試合でも盔勒チームを退け、観客の熱狂を得る。皇帝が意外とスポーツマンだったのでびっくり。あと、国家の危機に臨んでは、公主がちゃんと皇帝に協力しているところがよい。この二人の権力争い、どうなるのか先が読めない(まあモデルの史実は知っているけど…)。

 今季は伝奇的なムードが弱めだったのは、少し残念。しかし、詩人に胡姫、琵琶、獅子舞、祆教徒(ゾロアスター教徒)、馬球など、唐朝風俗を次々に見せてもらえて楽しかった。いつも楽しみな盧凌風の武闘シーンは、特に序盤が見ものだった。「康国的金桃」では、なぜか(笑)槍が戻ってきたのが嬉しく、併せて剣も使う、目まぐるしいアクションを見せてくれた。シリーズ後半は司法参軍(裁判官)として裁きを行う場面が多めだったと思う。

 今季は薛環が盧凌風の下僚として本格的に活躍する。少年らしく、こらえ性のないところが、むかしの盧凌風に似ていてかわいい。情報収集役の楊稷もレギュラーになってくれるといいな。桜桃女侠も雍州府の暗探、蘇無名の護衛として大活躍だった。

 なお、今季は長安での生活拠点として、六合酥山というデザート店(アイスクリーム?)を開店、老費がその店長におさまる。そして別に家族というわけではない一同が、毎晩みんなで夕飯を食べるシーンが、微笑ましくて和むのである。

子どものための未来/映画・羅小黒戦記2

〇『羅小黒戦記2(ロシャオヘイせんき2):ぼくらが望む未来』(2025年)

 2019年に公開された中国アニメ映画『羅小黒戦記』の第2作である。お?続編が制作されたんだ?と思ってぼんやりしていたら、日本のアニメ・映画ファンの「面白い」「素晴らしい」「大好き」という声が次々にSNSに流れてくるので、慌てて見てきた。かなり期待度を上げて見に行ったのだが、それを余裕で上回って面白かった(見たのは字幕版)。

 作品世界には、人間のほかにたくさんの妖精が住んでいる。両者はこれまで平和的に共存してきたが、あるとき、妖精たちの拠点の1つ・流石会館が襲撃され、「若木」という秘宝が持ち去られる。若木は太古から受け継がれた素材で、これを銃弾等に用いれば、非力な人間でも妖精を殺傷することが可能になるものだった。

 その頃、主人公の小黒(シャオヘイ)は、師匠の無限(ムゲン)と平和な日々を過ごしていたが、妖霊会館の幹部たちに呼び出される。無限に若木強奪の嫌疑がかけられたためだった(そうか、無限は妖精の仲間に入っているが、人間だったと思い出す)。無限の身柄は哪吒に預けられ、二人は毎日テレビゲームをして時間をつぶす。小黒は、やはり無限を師匠とする師姐の鹿野(ルーイエ)とともに真犯人探しの旅に出る。次々に二人を襲う見えない敵。息をつかせぬ戦いの描写が素晴らしい。

 鹿野はめっぽう強い武闘派女子で、ぶっきらぼうだが小黒には優しく、師匠を一途に信じている。目的のためには手段を選ばない冷酷な一面もあり、そのため小黒と衝突する。それでも最後は鹿野を助けようと必死で後を追っていく小黒、ほんとにいい子だ。幼稚園児みたいなやんちゃ坊主から少し成長して、自分の力を自覚した少年の顔が見えるようになったのが頼もしい。

 妖精たちは、無限をめぐって疑心暗鬼になり、対立する。しかし、やがて真の敵は、妖霊会館の内部に潜んでいたことが判明する。力を合わせた妖精たちと、最後は無限自ら参戦することによって、敵は撃破され、ひとまずの平和が回復する。

 以上、ネタバレを避けると曖昧なストーリーメモになってしまうが、アニメーションの原点というか、キャラクターたちの「動き」が、柔らかくも激しくも自由自在で魅力的だった。妖精世界には、拠点から拠点へ瞬間移動する方法があるのだが、その出入口が壊されてしまったため、鹿野と小黒が飛行機に搭乗する一段がある。上空で、その飛行機を襲う敵の怪獣?妖怪?(なんと呼べばいいのか)、多数の人間の乗客たちを救うために鹿野と小黒、そして二人の監視のために乗り合わせた下っ端妖精の甲と乙が奮戦する描写には、文字通り手に汗を握った。

 鹿野は、幼い頃、親代わりだった師匠を人間に殺され、怒りと絶望にがんじがらめになった状態で無限に拾われ、少しずつその心を解きほぐされて現在に至るらしい。凄惨な前半生は淡々と控えめな描写で提示される。もし人間と妖精の戦争が起きたらどちらの味方をするか?と聞かれて、小黒は元気に「対的一方(正しいほう)」(だったかな?)と答え、鹿野は「妖精」と即答する。このへんも解釈が視聴者に任されているのが、嬉しいけれど、怖い作品でもある。

 日本のアニメが世界でファンを獲得してきたように、本作も国境を越えた普遍的な価値を持っているという、日本のアニメファンの評言には同感である。共生の難しさに直面している時代だからこそ、多くの人たちに見てほしい。と同時に、本作には中国文化の伝統を強く感じたところもある。たとえば親子でも主従でもない「師弟関係」の絶対的な重要性。異能の持ち主である妖精も「修行」は欠かせないこと。権力の帰趨を左右する宝物の存在。あ、地域の拠点が「会館」というのもの中国的だ。そして「人間」と「妖精」の戦いになっているけど、武侠ものではおなじみ、門派どうしの対立みたいなものだなと思った。

即翁コレクションの魅力/「数寄者」の現代(荏原畠山美術館)

荏原畠山美術館 新館開館1周年記念『「数寄者」の現代-即翁と杉本博司、その伝統と創造』(2025年10月4日~12月14日)

 冷たい雨の中、最終日に駆け込みで見てきた展覧会。現代の「数寄者」とも呼ぶべき美術作家・杉本博司の作品と同館コレクションとのセッションをとおして、数寄の精神と茶の美を問う。なぜ杉本博司?と思ったら、荏原畠山美術館新館の基本設計を担当したのは、杉本氏が主宰する新素材研究所なのだそうだ。

 第1展示室は畠山即翁のコレクションから、1954年冬の「新築披きの連会」の茶道具を中心に展示する。これが大変よかった。私はむかし、茶の湯というのは女性の嗜みだと思っていたが、徐々に、むしろ男性の趣味であることを理解するようになった。そのきっかけになったのが根津嘉一郎のコレクションだが、畠山即翁もよいと思う。最近、展示を見に行くたびにどんどん好きになっている。今回の展示品では、まず『黒織部筒茶碗』の厚手でモコモコしたフォルムが可愛かったし、『利休好竹形銚子』の、ぶつ切りにした竹の節を寝かせて注ぎ口を付けたような形、『信楽耳付鉢』の白とピンクのツートンカラーも忘れ難い。

 大きな金細工の珠(印子)を連ねた、長くて重たそうな『印子金鎖』が展示ケースにぞろりと投げ出されていたのには驚いた。「15~20世紀」という漠然とした年代表記だけで、生産国もよく分かっていないようだった。即翁は、これとなんとかの花入を茶会の参加者に披露したという。記憶が不確かなのだが、ゴージャスさでは金鎖に劣らない『金襴手六角瓢形花入』だったろうか。私は『唐物南京玉入籠花入』のほうが気に入って見惚れていた。一見、庶民の生活用品みたいに素朴な蔓籠だが、南京玉を編み込んであるなど、地味におしゃれ。

 展示の冒頭には、徳川家康筆『道中書付』と煙草盆や汲出茶碗の取り合わせが展示されていた。ケース内の敷物に使われていた絞り染めの濃紫の布は、単なる展示具だったようだが、雰囲気によく合っていたので書き留めておく。

 書画では、久しぶりに『清滝権現像』を見ることができた。清滝権現は水神で、即翁が本業のポンプ製作との機縁を感じて手に入れたという話が好き。高貴な女性の姿をした水神は、青い水の溜まった香水瓶みたいなものを持っている?と思ったが、拡大画像を見たら、青い宝玉が炎あるいは光を放っている図だった。あと、なんだか雑な墨蹟があるなと思ったら一休禅師で、可愛がっていたスズメが死んでしまったので「尊林」という号を贈ったというもの。枯れた筆致が味わい深かった。

 第2展示室以降は杉本博司の作品。平安時代の古拙な十一面観音立像の左右に、鎌倉時代の『二十五菩薩来迎図』2幅を配したところは眼福だった。さらにその左右に展示されていたのは『稚児観音絵巻断簡』2幅。鎌倉時代に制作された絵巻の江戸の模本だった。もとの物語は長谷寺霊験記にあり、興福寺菩提院に伝わる観音像の縁起であるという。

 杉本氏の作品は、さまざまな古物や現代の新作の取り合わせの妙が、大きな魅力になっている。鎧袖に載せた百万塔陀羅尼には、何それ?と首を傾げたが、実は高橋由一に『百万塔と鎧袖図』という作品があるのを知って、笑ってしまった。こういう古歌の引用が私は大好き。

 あとで展示リストを見直して、驚いた作品がある。『古銅花入(銘・咲甫太夫)』というもの。え?!咲甫太夫といえば、文楽の織太夫さんの以前のお名前。記憶に残っていなかったので、慌てて画像を検索したら、青竹のような緑色の花入が見つかった。実は大正時代の銅製の雨樋だという。素晴らしい。

これから世界はどうなるか/世界秩序(田所昌幸)

〇田所昌幸『世界秩序:グローバル化の夢と挫折』(中公新書) 中央公論新社 2025.9

 子供の頃からなんとなく、世界は試行錯誤しつつも望ましい方向に進んでいくように思ってきたのだが、この10年くらい、期待が裏切られることが多くて、悲観的になっている。では、世界はこれからどうなっていくのか。本書は「グローバル化」(広域的秩序)をキーワードに人類の歴史を振り返り、来たるべき世界の可能性を考察する。

 最初に紹介されるローマ帝国は、地中海沿岸に広域的秩序を打ち立てた。しかしオリエントにはペルシャ帝国があり、最盛期(紀元2世紀)を過ぎると、ゲルマン民族が大量に流入して帝国領内に独自の王国を作り、地中海世界の一体性は失われる。

 13世紀、チンギス・ハーンの下で統一されたモンゴルはユーラシア大陸の大部分を含む巨大な帝国に成長した。しかし強大な領域をまとめる求心的な装置を持たず、14世紀のペストによる人口減もあり、15世紀には解体してしまう。

 次いでヨーロッパに技術的・経済的・政治的革新が起こる。ヨーロッパでは複数の主権国家が競争しながら進歩し、特にイギリスが19世紀以降のグローバル化を推進した。しかしグローバル化による密接な経済的・文化的交流も戦争の回避には役立たなかった。20世紀の2つの大戦によってヨーロッパは世界政治の主導権を失う。

 アメリカには建国以来の強力な孤立主義の伝統があったが、戦後処理の過程でソ連との関係が悪化すると、自由主義経済を推し進める強力なリーダーとなった。やがてソ連の自滅によって冷戦が終結すると、アメリカの一極優位の状態が出現する。その結果、アメリカ自身が戦後のグローバル化を支えてきた経済制度を軽視・破壊するようになり、開発途上国だけでなく欧米でもグローバル化への反発が顕在化している。

 世界が統合されるためのハードルは高い。ある時期に統合度が高まったとしても、多数の多様な主体をまとめあげていた力が弱まると、集団の内部に「他者」が生まれ、分解への力学が作用する。この描写は、私の好きな中国史で何度も見てきた風景を思わせた。それでは、この先、世界はどうなるのか。著者は4つのシナリオを挙げる。

 その1、再グローバル化が始動し、世界が1つの市場、1つの制度、1つの規範の下で統合される。このサブシナリオには「アメリカ主導」「中国主導」「米中共同統治」が挙げられていいる。しかし今のアメリカは、著者の指摘するとおり、国内で自国のグローバルな役割についての合意を形成できない状況である。中国も、共産党が自国優先の「愛国主義」を掲げている限り、グローバル化プロジェクトには成功しないだろうという考察に同意する。あり得るとしたら両国の共同統治だが、あまり平和的なものになるとは思えない。

 その2、新しい冷戦。米中対立を軸としつつ、そのどちらにも属さない(属したくない)第三の陣営を加えた3極が鼎立するシナリオである。中露に組み込まれたくない国々の存在は比較的想像しやすいが、アメリカをはじめとする西側諸国(ここに日本も入る)が、多くの開発途上国にとって必ずしも魅力ある開発モデルを提示できたわけではない、ということも覚えておきたい。

 その3、多数の世界。米中両陣営が冷戦期の米ソほど安定した集団にならない場合、世界は主要大国が合従連衡を繰り返す流動的な姿になるかもしれない。いわば「狭くなった舞台上に役者がひしめき合う」状態で、どういう政治が行われるのか、ちょっと想像がつかない。たぶん我々の知る「外交」とは、全く異なる工夫が必要になるだろう。

 その4、無数の世界。国家の持つ力の源は、自国領域の排他的支配である。ところが、現在、国境を超える交流を容易にする技術の発展はとどめようがないので、大国であっても国家の力は弱まる一方なのである。覇権国家の弱体化はいいことのようだが、国家による治安維持や福祉が解体された状態で、我々は安心して生活できるのか。人々が形骸化した国家を見限って、地域や血縁、宗教集団などに頼って生きていくとしたら、それは「新しい中世」の出現かもしれない。国家の形骸化がそんなに早いスピードで起こるとは思わないが、長い歴史のスパンでは、意外とあり得る未来ではないかと思った。

 当面の日本の課題は、戦後の日本にとって前提となっていたアメリカの帝国としての役割を、アメリカ自身が放棄してしまった後、どう振舞うかである。これからの日本は、独立したプレーヤーとして、友好国を増やし、心の許せない国とも無用の対立を減らしていくことが肝要であると著者は説く。この平凡かつ単純な対外政策の原則を、我が国の政府が理解してくれますように。

クリスマスリース2025

むかし住んでいた幡ヶ谷の花屋さんで、この10年くらい、ずっとクリスマスリースを買っていたが、今年は、行ってみたらあまり好みのタイプがなかったので、同じ幡ヶ谷駅近くの別の花屋さん「Stella」で買ってみた。

リース(円形)に作らず、枝を束ねただけなのでお値段もお安い。正月飾りも兼ねるので、帚木みたいでよいと思う。赤いリボンは例によって自分で付けた。

クリスマスリース2024

2025年10月-11月展覧会拾遺(2)

 見に行った展覧会、レポートを書けていないものがどんどん溜まっているので、ひとことずつでも書いておく。

東京国立博物館 特別展『運慶 祈りの空間-興福寺北円堂』(2025年9月9日~11月30日)

 奈良・興福寺の北円堂から、本尊の弥勒如来坐像と両脇に控える無著・世親菩薩立像、そして、かつて北円堂に安置されていた可能性の高い四天王立像を合わせた7躯の国宝仏を一堂に展示。興福寺では何度も拝見しているが、東京に来ていただけて、本当に嬉しかった。全ての仏像を360度全方位から拝見できたのは貴重な体験。特に本尊の弥勒如来は、光背が外されていたので、なるほど、こんなお背中なんだ、としみじみ眺めた。

三井記念美術館 特別展『円山応挙 革新者から巨匠へ』(2025年9月26日~11月24日)(後期)

 後期は『藤花図屏風』の展示期間を狙って行った。根津美術館で何度も見ているけど、三井のほうが至近距離で眺めることができてうれしかった。あとは『大石良雄図』はほぼ等身大の巨幅にもかかわらず、人体図として全く破綻のないことに驚く。千葉市美術館所蔵『富士三保図屏風』は辻惟雄先生が館長時代に購入されたものだとか。あまり応挙らしくない、ぼんやり、ふわふわした感じが好き。

國學院大學博物館 企画展『中世日本の神々-物語・姿・秘説-』(2025年10月4日~11月30日)

 様々な思想・信仰・宗教と関わり合いながら変貌していく神々の様子を紹介する。そう、日本の神々は記紀神話で固定されたわけでなく、時代に応じて変貌し、さまざまな「二次創作」が試みられてきた。神道の総本山のように見られがちな同大学が、こういう意欲的な展示を繰り返している意味は大きいと思う。摩多羅神とか牛頭天王とか春日赤童子とか、大好き。

印刷博物館 企画展示『五館連携・蔦重手引草 あれもこれも蔦重!お江戸の名プロデューサー蔦屋重三郎』(2025年9月2日~11月3日)

 蔦屋重三郎と当時の印刷文化を、常設展エリアのミニ展示で紹介。五館連携企画、結局、全部は回り切れなかったし、一ノ瀬圭氏描き下ろしの人物カードは、どの館もすぐに捌けてしまったみたいだった。

国立科学博物館 企画展『学習マンガのひみつ』(2025年10月10日~11月9日)

 「学習マンガ」の歴史的な変遷に注目し「マンガで学ぶ」ことの可能性について多角的に紹介する初めての展覧会。著作権的に仕方がないのだが、展示品の撮影がほぼできなかったのは残念。私が「学習マンガ」に浸ったのは、本展の時代区分でいえば「学習マンガの拡大1970年代~」だが、石ノ森章太郎ら人気作家が手掛けた「大人向け学習マンガ」がブームとなる1980年代よりは前になる。そのため、私の記憶と一致する作品はあまり出ていなかった。

太田記念美術館 『歌川広景 お笑い江戸名所』(2025年11月14日~12月14日)

 歌川広景(ひろかげ)は、浮世絵の専門家でもほとんど知られていない無名の絵師だが、近年、太田記念美術館のSNSに投稿された広景の作品が大きな反響を呼んでいるとのこと。確かに、私も広景作品を意識するようになったのは、同館のSNSの影響かもしれない。真面目な顔をした大きな雪だるま(御蔵前の雪)やら、カボチャを提灯に見立てたキツネの大名行列(王子狐火)やら、大仰にすべったり転んだりする人々、とにかく楽しいのだ。しかし活動期間は3年弱と短く、どのような人物なのか、その正体も分かっていないという。謎の絵師は写楽だけではないんだな、と思った。

泉屋博古館東京 企画展『もてなす美-能と茶のつどい』(2025年11月22日~12月21日)

 住友家は、9代当主・友聞(1787-1853)が、能をとおして武家と交流していた記録が残り、近代には15代当主・友純(春翠、1864-1926)が能を好み、能楽師・大西亮太郎と交流を持ったことで知られている。本展は、能楽と茶の湯の諸道具を展示し、住友家におけるもてなしの美学を紹介する。前半は能楽で、江戸~明治の能装束が多数。桃山~江戸の古式ゆかしい能面も出ていた。後半は茶の湯の道具だが、茶釜や砂張の建水など、金属製品が多めに感じたのは、やはり住友銅山の家業を意識していたのだろうか。

 ■国立公文書館 令和7年度第2回企画展・内閣文庫140周年記念『世界へのまなざし-江戸時代の海外知識-』(2025年10月11日~12月7日)

 18世紀を中心に日本に来航した外国使節や輸入書籍、江戸時代を代表する文化人たちの海外研究に関する著作を紹介する。このテーマ、大好きなので、とても楽しかった。今年の大河ドラマに登場した田沼意次、平賀源内などももちろん紹介されている。長崎奉行所配下に書物改役があり、中国船が運んできた書籍を1ページずつ調べていたというのは初めて知ったかもしれない、問題がないと確認されると『舶来書籍大意書』に要約が記載され、国内での販売対象になったという。「一方で蘭書(オランダ書籍)に対して書物改めがされた形跡はありません」というのは、調査ができる人材がいなかったのかな。輸入された書籍は中島聖堂に運び込まれ、向井家が世襲で改役を務めた。この中島聖堂の「遺構大学門」の写真が掲示されており、記憶にはなかったが、唐寺の興福寺境内らしいので見ているかもしれない。久しぶりに長崎に行きたくなった。

天理ギャラリー 第184回展『世界の仮面名品選-変身と異世界交流のツール-』(2025年10月11日~12月13日)

 天理参考館が所蔵する世界各地の仮面の中から名品を厳選し、これらを「仮面の使用方法」の視点で分類して、関連資料と共に展示する。天理ギャラリー、むかしは無料だったのだが、先日、久しぶりに行ったら入館料を取るようになっていて、せちがらいなあと思ったが、こんな本格的な展示が大人600円で見られるなら文句はない。今年の夏から秋に奈良博で開催された『世界探検の旅』の仮面が、規模は小さいながら、そのまま東京に来ていた。

 これは河北省に伝わる「柳翠」の面。春節に人家の門口で音曲を披露したり芸を披露したりして金品を貰い歩く「門付け」に用いられるという。え、今でもあるんだろうか、そんな風習。

 これはインドのチョウ劇の仮面。実際に演じられるところを見たいわ~。京劇の宝冠(鳳冠)に似ているのも面白いと思った。

 祭礼を彩る、華やかな仮面が多い中で、妙に印象に残ったのはコートジボワールの女人仮面。能面の趣きがある。

 ひとまず、これで棚卸し済み!

江戸絵画と瓦鍾馗の魅力/人々を援け寄り添う神と仏(大倉集古館)

大倉集古館 企画展『人々を援(たす)け寄り添う神と仏-道釈人物画の世界-』(2025年11月22日~2026年1月18日)

 道教や仏教の神仏や人物を描いた「道釈人物画」を取り上げ、私達人間のそばに寄り添い、邪悪を払い、願いを叶え、ある時には生きる姿勢を示してくれた神や仏の姿を紹介する。前後期で64件が展示されている(第2章まで)が、リストを見たら、ほぼ半数が個人蔵だった。

 ポスターなどのメインビジュアルになっている、蓬髪(冠が髪の毛に埋もれている)の『鍾馗図』は二代葛飾戴斗の作。すごく北斎っぽいなあと思って戴斗のWikiを読んだら「画風は北斎の画法を最も忠実に継いでいる」と書かれていた。本作は端午の節句の幟(のぼり)の本絵として描かれたのだろうか、巨大で迫力がある。しかし、これよりさらに大きかったのが、伝・円山応挙筆『関羽図』。軸先を床に寝かせることで、なんとか展示ケースに収まっていた。この関羽、完全武装の鎧の上に若草色の衣を着ていて、清盛かよと思ってしまった。

 展示構成は、第1章(1階)が「七福神」「関羽」「鍾馗」、第2章(2階)が「羅漢」「布袋」「観音」など、同じテーマで描かれた作品を集めている。その結果、同じ「〇〇」でも作者や作品によってこんなに違うか、という驚きがあって、楽しかった。

 私が気に入った作品を挙げていくと、呉春筆『鍾馗図』。こうして見ると、そんなにトボけているわけではないのだが、葛飾戴斗の『鍾馗図』を見た後だと、あ、鍾馗様って、こんなに気が抜けていてもいいのか~と笑顔になってしまうのだ。

 仙厓さんの『鍾馗図』。2匹の小鬼が鬼なのか妖精なのか、ぬいぐるみなのか、もうよく分からないが、かわいい。

 これは鸞山筆『寒山拾得図』。鸞山(江戸時代・18世紀)については「浄土宗の僧。好んで絵を描いている」との解説あり。全く知らなかったので、この人を知っただけでも、本展を見に来た甲斐があった。

 雪渓印『十六羅漢図』の1枚(江戸時代・18~19世紀)。羅漢がまたがっているのはイノシシだろうか? これも気になる作品だった。ネットでいろいろ探していたら、2020年に同館で開催された『日本絵画の隠し玉』という企画展(ちょうどコロナ禍だが、本当に開催されたのだろうか?)のチラシに、この作品が掲載されているのを見つけた。ああ、同館学芸部顧問の安村敏信先生が選んでいらっしゃるんだ、嬉しい。作者は山口雪渓とある。ほう、彩色の十六羅漢図もあるのかな(参考:artNIKKEI)。

 実は『普賢十羅刹女像』(女房装束の十羅刹女、鎌倉時代)のような文句なしの名品も出ているのだが、むしろ個性的な江戸絵画の数々に目移りがして、楽しかった。

 そして第3章(地階)を絶対にお忘れなく! 写真家・服部正実が長年にわたって追ってきた、京都や奈良、大阪、滋賀等の家々の屋根に佇む瓦鍾馗(あるいは鍾馗瓦)50件の写真パネルが展示されている。関東では見ない風習なので、関西方面に行くと、いつも気になっていたものだ。展示は、服部さんの愛情とユーモアあふれるコメントが楽しく、1件1件しっかり堪能した。この写真が全部掲載されているなら本展の図録を買っていこうと思ったのだが、残念ながらごく一部しか掲載されていなかった。調べたら『中洛外の鐘馗』『私は鍾馗瓦』という写真集が刊行されているらしい。これは欲しいが…まず近所の図書館で探してみるかな。