見もの・読みもの日記

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『べらぼう』大河ドラマ館とゆかりの地巡り

 今年の大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)〜』を1年間楽しませてもらった。序盤からずっと面白くて、台東区民会館にできたという大河ドラマ館にいつ行こうか、迷っていたのだが、夏が暑すぎたり、秋以降仕事が忙しかったりして、結局、最終回を見届けたあとの先週末になってしまった。ちなみに私が大河ドラマ館を訪ねるのは、2017年の『おんな城主直虎』が初めて、2022年の『鎌倉殿の13人』が2回目、今回が3回目である。撮影できる展示物が多かったので、ばしばし写真を撮らせてもらった。ありがた山!

 今作の好きなところはたくさんあるが、登場人物(特に男性)の衣装に味があって、とてもよかったと思う。下は主人公・蔦重が若い頃によく着ていた緑色の着物(黒緑色地紬縞着物)と、歌麿の普段着(濃藍色地菱に二引き小紋染め縮緬着物に栗色染め精好帯)。

 

 耕書堂の店先。これは吉原大門前に開業した最初の店舗のイメージかな。台東区だし。

 のちに日本橋に進出するにあたり、ドラマ中では鶴屋喜右衛門さんからいただいた浅葱色の暖簾も展示されていた。

 本屋を主人公にした物語なので、版木や版本、浮世絵(肉筆および摺りもの)が多数、小道具として使われており、見ているだけでテンション上がりまくりだった。

 中でも素晴らしかったのが、ドラマ第26回で、蔦重の妻のおていさんが作り上げた「品の系図」。半紙36枚をつなぎ合わせた大判紙(A0版くらい?)に650点以上の本や絵が書き込まれている。ドラマの助監督たちが3か月かけて作り上げた苦心の作で、さらに4人がかりで9時間かけて筆写したそうだ。ドラマには登場しなかった作品のほうが多いが、ドラマ関係者が、描かれた世界の外周までしっかり把握していたことに感心した。たとえば、平賀源内の箇所、マル福は福内鬼外名義、マル天は天竺浪人名義だろう。放屁論つながりの『芋太郎屁日記咄』のマル戀は?と思って調べたら、酒上不埒=恋川春町だった。すごい~。これはもう小道具の域を超えているだろう。江戸文芸案内として、まるごと手元に置いておきたい。

 たびたびドラマに登場する筆文字の美しさも大変よかった。下は平賀源内の遺稿の想定。勢いのある文字のすがたが、なんとなく源内そのひとを思わせる。

 パネルに掲載されていた考証・指導陣の発言は、どれも読みごたえがあり、この展示限りで消えてしまうのは惜しいので、ぜひ何かに収録して残してもらいたい。

 

 さて、大河ドラマ館の入館券で「蔦屋重三郎ゆかりの地 循環バス」(20分ごと運行)にも乗車することができる。9人乗りの小さなバスだが、幸い乗車できたので、蔦屋重三郎(蔦重)の墓所がある正法寺まで乗せてもらった。バスを降りると、正面に立派なビルが聳えている。一瞬戸惑ったが、一緒にバスを降りた人が、躊躇なく自動ドアの中に入っていくので着いて行った。このオフィスビルみたいな建物が誠向山正法寺そのもので、1階のホールには本尊・釈迦如来と毘沙門天が祀られており、中庭(および墓地)への経路が案内されている。

 ビルの谷間のような中庭には、蔦屋重三郎(喜多川柯理)の墓碑銘と実母顕彰碑の碑文を刻んだ新しい石碑と、蔦屋累代の墓石が立っていた。元の石碑・墓石は火災・震災・空襲によって失われてしまったため、新たに再建されたものである(旧石碑の拓本は静嘉堂文庫美術館が所蔵)。蔦重の戒名は「幽玄院義山日盛信士」。ほかの関係者(妻、二代目蔦重など)の戒名にも「日義」「日行」など「日」の字が入っているのを見て、あ、日蓮宗だったんだな、と気づいた(日蓮宗では戒名と言わないらしいが)。

 このあと、巡回バスを待っても乗車できるか分からなかったので、次の訪問地・平賀源内墓所へは地図を頼りに歩いていくことにした。15分ほど歩いて、細い路地に面した小さな門に行き当たった。閉まっている?と思ったが、閂は掛かっていなかった。

 扉を開けて入ると、簡素な覆い屋の下に墓石があった。以前は総泉寺の墓地だったが、関東大震災で寺が移転したあと、源内の墓だけが残されたのだという。隣に大きな石碑があって、墓所を整備した松平頼寿、呉秀三による顕彰の文言が刻まれ、裏面には杉田玄白による追悼文が刻まれている。

 しみじみ参拝して、外に出て次のルートを考えていたら、通りすがりの自転車に乗ったおばちゃんに(なぜか関西弁で)「お参りしはった?源内さんのお墓」と聞かれたので、「はい」と答えながら笑顔になってしまった。

 のんびりした商店街を10分ほど歩くと、ガソリンスタンドの前の歩道に柳が植わっているのが見えてくる。これが見返り柳。さらに歩いていくと、さほど広くない道の左右の街灯の柱に「よし原 大門」と大書されていた。この千束4-11あたりが、吉原時代の耕書堂跡ということになっている。

 このあたりまでは普通の住宅街の趣きだが、先に進むと、だんだん左右に「吉原らしい」派手なキャバレー(?)みたいなお店が増えてくる。そこを場違いな大河ドラマファンや、街歩きのおじいちゃん・おばあちゃん集団が通っていくのが可笑しい。

 むかしの吉原仲之町通りのどんづまりにあるのが吉原神社。かつて吉原遊廓にお祀りされていた5つの稲荷神社と遊廓に隣接する吉原弁財天の6つの神社をまとめてお祀りする。5つの稲荷神社の1つが、ドラマにも登場した九郎助稲荷である。

 2体のキツネ像は、ドラマにあやかって今年7月に奉納されたもの。まあ稲荷といえば、江戸の代表的な流行神なので、令和に流行してもいいんじゃないかと思う。