見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

極上上吉の1年間/2025大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』

〇NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~』全48回

 私がこのブログで大河ドラマについて書くのは、2017年の『おんな城主直虎』以来、8年ぶりである。この間、楽しんだ作品はいくつかあるが、作品との出会いを書き残しておきたいと思うほどではなかった。森下佳子さんの脚本は、ファンから「鬼」と呼ばれるほど情緒を揺さぶられるのだが、その背後には、資料や情報を読み込んだ上での知的な構成があって、そこが私の好みに合うのだと思う。

 制作発表があったのは2023年4月だというが、正直ピンと来なかった。主人公の蔦重こと蔦屋重三郎(1750-1797)の名前は知っていたが、私は、江戸の浮世絵・黄表紙にはあまり関心がなく、2010年にサントリー美術館で開催された展覧会『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎』も見たはずなのだが、感想も残していない。また、主演の横浜流星くんの名前も全く知らなかったので、え?そんな若い俳優さんで大丈夫?という感じだった。だが、2023年のドラマ10『大奥』を担当した大原拓氏がチーフ演出をつとめ、『JIN-仁-』の時代考証家・山田順子さんが関わるなど、私は出演者よりも、むしろスタッフの陣容が明らかになるにつれて、徐々に期待を高めていった。

 物語は、明和の大火(明和9/1772年)から始まる。再建された吉原だが、非公認の岡場所や宿場の女たちに客を取られ、経営は苦しかった。吉原の女郎屋・駿河屋の養子として育った重三郎(蔦重)は、思い余って老中・田沼意次に訴えに行くが、「お前は何か客を呼ぶ工夫をしているのか?」と諭され、新たな『吉原再見』の出版によって客を引き付けようと考える。ここから「出版」「書物」が自他に及ぼすパワーに目覚める蔦重。それを先導するように「書を以って世を耕す=耕書堂」という店の名前をプレゼントするのが平賀源内。そして、蔦重は、吉原の女郎屋から、地本問屋、浮世絵の絵師たち、狂歌師と黄表紙の作者たちなど、一歩ずつ世界を広げていく。一方、江戸城では、将軍・徳川家治の信任を受けた田沼意次が、幕府財政の改革に取り組んでいたが、強硬な施策は反発を生み、権力の帰趨をめぐって、さまざまな陰謀が仕掛けられていた。この「江戸市中」の物語と「江戸城」の物語が徐々に融合していくのが、終盤の手に汗握る見どころだった。

 まあしかし、見どころはそこだけではなく、どの回もずっと面白かった。この人が退場したら作品の魅力が半減するんじゃないかと思っていると、新しい魅力的なキャラが投入されたり、なんとなく存在していた人物が、急に面白さを発揮したりした。

 平賀源内が興味深い人物であることは知っていたけど。安田顕さん、ほんとに源内先生が生きていたらこんな感じだろうという納得感しかなかった。田沼意次は、むかしの教科書で習ったので、悪徳ワイロ政治家だ思っていたが、本作でかなりイメージを書き換えられた。ぜひ最近の研究書を読んでみたい。渡辺健さんは老いの演技がよかったなあ。将軍・家治については何のイメージもなかったので、今後は眞島秀和さんの印象が基準になりそう。死に際の鬼気迫る演技が忘れ難い。松平定信は、まさかこんなに面白い人物に描かれるとは思わなかった。井上祐貴さんには感謝しかない。

 そして、数々の陰謀の黒幕・一橋治済。【ネタバレ】になるが、本作では松平定信らが治済を眠らせて拉致し、治済と瓜二つの相貌を持つ阿波蜂須賀家の能役者・斎藤十郎兵衛(生田斗真さん二役)を治済の身代わりに仕立てることに成功する。私はそんなに多くの大河ドラマを見てきたわけではないが、ここまで振り切った「歴史改変」は珍しいのではないだろうか。しかし唐突な「歴史改変」ではなく、「ありえなくはない」説明を丁寧に積み上げてきた過程に信頼がおけたので、ドラマとして受け入れやすかった。後日談として面白かったのは、一橋治済にちゃんと天誅が下されないと、視聴者が納得しないのではないかという思いから、だんだんこの結末に傾いていったという森下佳子さんの説明。まるで敵討ちの首謀者になった気持ちで、このとき、生き残っていて敵討ちに協力してくれるのは誰か?を必死で探して、将軍家斉や、亡き家治の弟・清水重好を巻き込んだのだという。面白い。

 蔦重とかかわった本屋さん、絵師、作家たちは、みんな個性豊かで最高だった。森下さんは、おじさんの描き分けが大変だったというけれど、 朋誠堂喜三二(尾身としのり)、山東京伝=北尾政演(古川雄大)、恋川春町(岡山天音)は、今後、この名前を見るごとに彼らの顔が浮かぶと思う。喜多川歌麿(染谷将太)が、蔦重に対して根源的な恋心を抱いているという設定も大変よかった。これは森下さんご自身が丁寧に歌麿の作品を見て感じ取られたこと(春画『歌満くら』には、この人は性に対して嫌な経験があったんじゃないかと感じるものがあるとか、『歌撰恋之部』が恋文にしか見えないとか)と、考証家の先生が「ぼくは喜多川歌麿の絵の中に、すごく女性に対する理解とか、女性っぽい感覚を感じるんだ」とおっしゃるのを聞いたことが発端らしい。考証家ってどなた?と思ったら、東博の松嶋雅人先生ではないか。2025年の特別展『蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児』の企画担当でもあるが、私は『あやしい美人画』(東京美術)の著者として記憶しており、女性像の読解には信頼のおける先生である。

 先週末、大河ドラマ館が閉館するというので、最後にもう一度、行ってきた。前回買うのをためらった復刻版(和装本)の黄表紙を購入しようと思っていたら、なんと全て売り切れていた。いや、和装本が売り切れるってファン層がマニアックすぎるでしょ、と苦笑してしまった。ゲストに制作統括の藤並英樹氏が来ていて、いろいろお話を聞かせてくれた。田沼意次ゆかりの静岡県・牧之原市と松平定信ゆかりの福島県白河市では、ドラマを縁に交流が始まり、昨年9月、牧之原市が竜巻被害に遭ったときは、白河市から応援が派遣されたという話には感動した。蔦重と瀬川が夢見た「恩が恩を呼ぶ話」みたいで、めでたい。決め科白は、ありがた山。

福富コレクションの名品/LOVE いとおしい…っ!(山種美術館)

山種美術館『LOVE いとおしい…っ!』(2025年12月6日~2026年2月6日)

 恋人同士の燃え上がるような愛、親子や夫婦など家族への愛、生まれ育った故郷への愛、身近な動物への慈しみの愛など、さまざまな愛のかたちを描いた日本の近代・現代絵画を中心に取り上げ、紹介する特別展。年末の12月21日に山下裕二先生の講演会『描かれた愛-鏑木清方、北野恒富を中心に』 を聞いたのだが、このときは展覧会を参観するヒマがなく、年が明けてから、あらためて見て来た。本展の見ものは何と言っても、福富太郎コレクション資料室の名品、鏑木清方『薄雪』、北野恒富『道行』、池田輝方『お夏狂乱』の出品だろう。山下先生の講演では、福富太郎氏とのおつきあいやお人柄のエピソードが多数語られた。福富氏没後、なんとかこのコレクションを世に知らしめたいと展覧会『コレクター福富太郎の眼』を企画したが、コロナ禍で十分に宿願を果たせなかった。この春、ようやく再始動が決まったとのこと(→長野県・水野美術館)。喜ばしい。

 さて本展の冒頭にあったのは、なぜか奥村土牛の『鹿』。それから「家族への愛」をテーマとして作品が並ぶ。必ずしも家族そのものが描かれているわけではなく、たとえば速水御舟の『桃花』は、長女・弥生の初節句のために描かれた作品。色紙サイズの小品で、宋代院体画ふうの桃花に、痩金体で落款を添える。とてもゴージャス。鏑木清方『佳日』は、昭和35(1960)年、清方80歳の作品だが、旗日に外出する母子を描く。自分の幼い頃の記憶に残る、戦前の東京の風景を描いているのだと思う。

 そして福富コレクションの名品3点。まず池田輝方『お夏狂乱』は、お夏清十郎のお夏が、ひとり呆然と地面にへたり込む様子を描く。黒目がちの丸顔のせいか、ほどけた髪のせいか、少し西洋風な印象を受ける。

 その隣、北野恒富『道行』は『心中天網島』の小春治兵衛を描く。右隻には、心中を決めて肩を寄せ合う二人。左隻には地面に舞い降りるカラスが二羽。右隻にもうっすらとカラスの姿がある。このカラスが、強烈に「死」を感じさせて私は怖い。小春治兵衛の髪型と着物は、私が歌舞伎や文楽で知っているものとはずいぶん異なる。作者の創意による演出なのか、実際にこういう舞台がかかっていたのか、どっちなのだろう。大きく天を仰ぐ小春の手に、感情を押し殺したような治兵衛が手を添えている。しっかり握るのではない、絶妙な指の開き具合がよいのである。

 『道行』の向かい側が鏑木清方『薄雪』だった。『冥土の飛脚』の梅川忠兵衛を描く。これは歌舞伎・文楽の衣装に近いと思ったが、清方は、中村鴈次郎と中村福助の舞台に感興をそそられ、近松の原作とは別の趣きを描いたと説明しているらしい。模様入りの帯(?)のようなものが二人の腰に回っているのは、お互いの体を縛った状態なのだろうか(原作では、心中に踏み込む場面はないはずだが)。近松の文芸が、このような二次創作(?)絵画の名品を生み出したのは喜ばしい限りだが、それでいうと『曽根崎心中』には、絵画の代表作ってないのだな、とふと思った。

 小林古径の『清姫』連作8点が、全て展示されているのも今季の見どころ。画面にみなぎる爽快な疾走感が、清姫の一途な恋心を表現していて好き。松岡映丘『おとづれ(山科の宿)』は歴史画の佳品。動物は、西山翠嶂の『狗子』、竹内栖鳳の『鴨雛』など、いずれ劣らずかわいい。「故郷への愛」は、横山操『越路十景』が印象に残った。

画家の眼差し/戦争と子どもたち(板橋区立美術館)

板橋区立美術館 戦後80年『戦争と子どもたち』(2025年11月8日~2026年1月12に日)

 戦時中から終戦直後にかけて制作された、子どもを主題とする作品や、子どもたちに向けた絵本、教科書、紙芝居などの大人が提供した印刷物、さらには子どもたち自身が戦時下に描いた作品を紹介し、これらの「子ども」をめぐる美術を、その時代背景とともに読み解くことで、激動の時代に美術家たちが子どもたちに向けていた眼差しとはどのようなものであったのかを検証する。

 年末に山種美術館で開催中の『LOVE いとおしい…っ!』のイベントで、山下裕二先生のお話を聞く機会があった。鏑木清方、北野恒富など、展覧会に関連する作家、作品のお話のあと、2025年の展覧会ベスト3を教えてくれた。1つは奈良博の『超国宝』展。万博関連で開催された、大阪、京都、奈良の大規模な展覧会の中では奈良博がピカ1だったという評価には完全同意。次に東京近代美術館の『記録をひらく 記憶をつむぐ』。これも納得。そして最後の1つが、この展覧会だったのである。実は全くノーチェックだった(こんな展覧会が開催されていることも知らなかった)ので、かなり驚いたが、ギリギリで参観することができてよかった。戦後80年にあたって、もしかすると近美の展覧会以上に忘れられないイベントになるかもしれない。

 展示作品は80点余り(ほかに図書・雑誌などの資料あり)で、1930年代後半から1940年代(戦後を含む)の制作である。名前を見て分かる画家の作品も多少あったが、知らない名前のほうが多かった。そして多くの作品が、市立や区立の美術館に所蔵されていた。いや美術館ですらない「豊島区」とか「会津若松市教育委員会」とか「茅野市立北山小学校」などの名前もあり、「戦没画学生慰霊美術館 無言館」や「昭和館」もあった。こうした様々な施設に、細々と受け継がれてきた「戦争と子どもたち」の記憶を集め、ひとつの展覧会に構成していくのは、ずいぶん苦労の多いお仕事だったろう。しかし、おかげで貴重な作品の数々に出会うことができた。

 展示の冒頭を飾っていたのは、青柳喜兵衛『天翔ける神々』(1937年)。明るい色彩に囲まれ、元気いっぱい張り子の虎にまたがっる少年は、夭折した次男がモデルだという。1930年代(昭和初期)は、大正時代の童心主義が引き継がれ、元気で無邪気な子どもの姿が好んで描かれた。この時代に描かれた子どもたちは、紙芝居に集まる姿、道路に蝋石で絵を描く姿など、私の記憶にある1960年代の子どもと、あまり変わらない気がする。

 やがて戦況の悪化・深刻化の影響が、描かれる子どもたちにも及ぶようになる。水原房次郎『夏の夜 戦果をきき入る少年達』(1942年)や榑松正利『話』(1942年)が好き。当たり前だが、この時代の少年たちはみんな坊主頭だね。モデルになった少年たちは戦後まで生き延びられただろうか。

 石井正夫『模型建艦』(1943年、無言館)は、幼い弟が模型作りに熱中する様子を描く。私は、こういう無駄を削ぎ落した写生画が基本的に好みなので、二人の少女が向き合う『慰問袋』(1943年以降、作者不明、昭和館)も好きだ。おかっぱ髪に白鉢巻の少女が、畑から引き抜いたサツマイモの束を誇らしげに掲げる、小畠鼎子『増産』(1944年)も好き。プロパガンダであることは承知の上で、豊穣や繁栄をもたらしてくれそうな力強さがある。

 吉原治良『防空演習』(1944-45年頃)は、色とりどりの防空頭巾をかぶった女性と子どもが集まり、思い思いの方向に視線を向けていて、中世ヨーロッパの宗教画を思わせて印象的だった。この人の名前は、調べると抽象画家として出てくるのだが、同じ人物と思っていいのかな。

 この時代の子ども向けの図書・雑誌等も面白かった。1940年代の教科書は、図画や音楽の題材も戦時色が濃い。紙芝居は戦後のものかと思っていたが、昭和前期から重要なメディアだったのだな。長谷川町子の「翼賛一家大和さん」の載った『アサヒグラフ』(?)もあったと思うが、ほんわかしたオチで、解説に「長谷川町子は通常運転である」みたいに書かれていた。

 最後は、戦後、再建の表象となった子どもたちの姿。しかし街頭の戦災孤児たちは、1930年代の子どもたち以上に、私たちから遠くなってしまっていると思う。

 会期はあと2日を残すのみだが、ぜひ多くの方に見に行ってほしい。今日は会場で、白髪の老婦人がじっと作品に見入っている姿を見かけた。あと10年早かったら、この時代をリアルに子どもとして過ごした私の母親にも見せたかった。

2026年新年:深川江戸資料館と霊巌寺(松平定信墓)

 年末の台湾旅行のレポートを書き終えたので、ようやく今年の話題に移る。今年も1月3日に正月特別開館の深川江戸資料館で獅子舞を見て来た。今年も、まずは再現された江戸の街並みを訪ね回ったあと、火の見櫓前で、立ったり座ったり倒立したりのパフォーマンスを演じる。どこかの家のお座敷に通された想定だ。

 その後、テンポのいい砂村囃子に乗せて、カチカチ歯を打ち合わせて、観客(特に子供)の頭を嚙む仕草を見せる。本気で怖がって泣き出す子供がいるのが、可哀そうだけど微笑ましい。

 今年は資料館の隣の霊巌寺にも立ち寄った。ここに松平定信の墓所があることは、以前から知っていたが、あまり親しみを感じる人物ではなかったし、霊巌寺の門構えがあまりにも立派なので、気軽に入ってみる気にはならなかったのだ。

 それが、昨年の大河ドラマ『べらぼう』の人物造形が魅力的だったもので、ぜひとも墓参りしてみたくなり、正月早々から来てしまった。本堂の左奥に、高い塀と鉄門に囲われた定信の墓所がある。厳めしい構えだが、すっかり親しみを感じているので、越中~来ちゃったよ~くらいの気持ちで、遠慮なく鉄門から中を覗き込む。

 鉄門の真向かいにあるのがお墓らしい。

 右奥にも立派な石塔(?)があるのだが、由来は不明。裏手の風景を見ると、近隣のマンションからは、いつでも定信のお墓が見下ろせてしまうのだな。

 墓所の脇には「江東区渋沢栄一ゆかりの地」という看板が立っていた。2021年の大河ドラマ『晴天を衝け』にちなんで設置されたものだろう。松平定信は窮民救済のため、江戸市中に七分積金制度を定め、明治以後は東京府に引き継がれた。この財源の活用を任された渋沢栄一は、東京府民のため、橋梁や道路の修繕、ガス整備、養育院の設立等を行った。渋沢は、定信の顕彰を進め、伝記を編纂したり、昭和4年(1929)に霊巌寺で定信の百年忌を挙行したりしたそうだ。そもそも清澄白河の「白河町」の町名は、定信の白河藩にちなんだもので、この命名にも渋沢栄一がかかわっている(※参考:白河市「江東区白河町の成立」

 霊巌寺の前は、買い物や散歩でちょくちょく通るので、また寄ってみたい。そして定信(1759-1829)、二百年忌がもうすぐじゃないか。覚えておこう。

 今年の正月膳はこんな感じ。台湾旅行から帰ったあと、和菓子の深川伊勢屋さんで伸し餅を購入した。餅は餅屋とはよく言ったもので、抜群に美味しい。まだ残っているので幸せ。おせちは、スーパーとコンビニで簡単に揃えた。

 

台湾旅行のおまけ。MRTの駅に掲示されていた飲食禁止のポスターである。食べたい気持ちは分かるけど、駅を出てから食べてはどう?みたいなニュアンスかな。

台湾旅行2025年末【食べたもの】

 12月27日から29日まで、2泊3日の台湾旅行に行ってきた。2025年は故宮博物院が開館100周年に当たるため『甲子万年』と題した超ド級の特別展が開催されると分かったのは10月初め。特別展は台北の故宮本館と、嘉義の故宮南院の両方で同時開催され、南院には北宋の巨幅山水画3幅が出るという。これは見たい、と思ったものの、この秋は仕事が多忙で、なかなか休みが取れなかった。なんとか年末に…と思っていたら、最終勤務日の12月26日にも広島出張が入ってしまった。

 年末はもう無理?と思って調べたら、台北故宮の特別展は1月4日までやっている。ふむ、では年初に行くか、とも思ったのだが、南院の「神品」北宋山水画の展示は12月28日まで。やっぱり年末に台湾に行かざるを得ない。ということで、26日の広島出張は日帰りとし、27日に台湾に飛び、台北泊。28日は高鉄(高速鉄道)日帰りで嘉義を訪ねるプランをぎりぎりに立てた。

 ぎりぎり過ぎて、フライトもホテルもほぼ選ぶ余地がなかったが、終わってみれば万事OK。詳しい顛末はゆっくり記事にまとめるとして、まず食べたもののご紹介。

 今回は全行程完全に1人旅だったので、食事にはフードコートを活用。台北駅の「台北夜市」エリアにある台南小吃のお店は、台北に来ると必ず寄るお気に入り。

 ホテルは中山駅に近い「大欣飯店(Da hshin Hotel)」に宿泊。実は、以前、同じ地区にある「Da xin Hotel(大新商旅)」というホテルに泊まったことがあったので、英語のホテルサイトで「Da hshin Hotel」の名前を見たときは、そこだと思って予約した。全く違うホテルだったが、こじんまりして、フレンドリーでいいホテルだった。また泊りたい。

 このホテル、朝食は近くにあるモスバーガーのハンバーガーを前日にオーダーするシステム。朝になるとカウンターに部屋番号を書いた紙袋が並ぶ。ドリンクバーでは24時間ジュースやコーヒーが飲み放題。バナナやカップラーメンもある。

 ファミリーマートも近くて便利。私は、ふだんマンゴー味はあまり好まないのだけど、この「統一木瓜牛乳」は美味しかった。初日に買って美味しかったので、2日目もまた買ってしまったくらい。日本のアジア系スーパーでも探してみるか。

 

台湾旅行2025年末【3日目】故宮博物院→帰国

 2泊3日の台湾旅行はあっという間に最終日。朝食後、ホテルをチェックアウトする。これは玄関ロビーのクリスマスツリー(鏡に私の姿が映っていたのはAIで補正した)。

 大した荷物はないので、そのまま故宮博物院(本館)に直行。最終日は3日間でいちばん天気がよかった。この日(12月29日)は月曜で、本来なら休館日だが、特別開館日に当たることを事前にチェックしていた。

 9:00の開館と同時に展示エリアに入館。滞在可能時間が3時間弱しかないので、今回は見たい展示室だけをピックアップする作戦である。

【105, 107】「甲子万年:国立故宮博物院開館100年記念特別展」(2025年10月10日~2026年1月4日)

105, 107室は特別展会場なので、いつも私はここから参観をスタートする。あまり人が流れてこない特別展もあるのだが、今季はさすがに違った。汝窯の『青磁無文水仙盆』があるし、西漢の玉璧があるし、初めて見る無款の『桃花図』は可憐で美しいし、その中に、ちょうど100年前に刊行された『故宮所蔵品点検報告書』のような興味深いアーカイブ資料も混じっていて、目を休めるヒマがない。これは、宋・蔡襄の書跡『致通理当世屯田尺牘』。優雅と洗練を感じさせて魅力的。

この色鮮やかな肖像画は『明太宗文皇帝半身像・明仁孝文皇后半身像』、つまり永楽帝と徐皇后(徐達の娘)である。

展示品はだいたい撮影できるのだが、「撮影禁止」の丸い札(おしゃもじみたいで可愛い)を持った監視員さんが立っている作品が、私の気づいた限りで2つあった。1つは蘇軾の『黄州寒食帖』。これは素晴らしかった。最前列で鑑賞するためにしばらく並んだが、みんな文句を言わずに待っていた。列が伸びて、結果的に直前の朱熹の『易繫辞』を、同じくらい時間をかけて眺めることになっているのは微笑ましかった。待ち時間が少し長くなると、監視員の方が大きなQRコードの紙を掲げて回ってきてくれた。スマホで読み取ると『寒食帖』の翻刻・解説サイトにアクセスできる。なお、調べたら『寒食帖』は2014年に東博に来ており、私はそのときも見ているのだが、完全に忘れていて、新鮮な感動を体験した。もう1点、撮影禁止だったのは、金・武元直筆『赤壁図』で、言葉にならないくらいよかった。これも実は2014年に見ており、東博の『台北 國立故宮博物院』展がどんなにすごかったかを、あらためて感じる機会になった。一方で、乾隆帝の『御筆詩経図』は、全く素人くさいんだけど、どこか惹かれるものがある。日本の徳川将軍の絵に通じるかもしれない。

 

【202, 204, 206, 208, 210, 212】「千年の出逢い-北宋西園雅集の物語」(2025年10月10日~2026年1月7日)

2階のほぼ半分を使った特別展。西園雅集とは、北宋時代、西園に文人墨客十六人が集い、清遊を楽しんだという故事を示す成語。西園雅集が史実かどうかは分からないが、北宋が中国史における「文雅の頂点」であったことを感じさせる展示だった。初めは、蘇軾の書!李公麟の画!と、いちいち興奮していたのだが、次から次と尽きせずお宝が出てくるので、そうか、こんなに残っているのか(そりゃあ本国だものな…)と納得した。

蘇軾の書跡で、とりわけ人が多く集まっていたのは『前赤壁賦』(赤壁賦の前篇)と『帰去来辞』だろう。これは後者。

李公麟の作品も、本当にたくさんあってびっくりした。私は針金のように細い線の白描画が好き。これは『免冑図』といって、郭子儀の逸話を描いたもの。

これは、日本の高級中華料理店の内装などでもよく見る『麗人行』の図。唐代の風俗を宋代に描いたものと見られ、後世、李公麟の筆に擬せられたという。まあ著名な画家にはありがち。

なお、最初の写真のように、展示室のあちこちに、東博所蔵の李公麟筆『五馬図』の画像があしらわれていたので、おや?と思ったら、10月10日~11月23日にこちらで展示されたそうだ。いや~国外の方々にも見ていただけてよかった!

そして、少数の注目作品を特集することの多い208室では、黄庭堅がミニ特集になっていた。『寒山子龐居士詩』いいわあ~。解説に「晩年精彩的大行書代表作」という。黄庭堅はいろいろな書風の作品を残しているが、私は特に「大行書」の類が好き。

さて、1階の特別展で1時間、2階で1時間を過ごしてしまったので、3階は廊下をひとまわりし(白菜・肉形石は出張中)、あとは1階の書籍の展示室を見ていくことにする。

 

【103, 104】「皕宋-故宮宋版図書コレクション(1)」(2025年10月10日~2026年1月4日)

同院所蔵の宋版書籍の中から特に上質なものを選出して展示。編年体の通史『資治通鑑』を効率的に読むために『通鑑紀事本末』や『資治通鑑綱目』が登場するというのは、昨年、岡本隆司氏の『二十四史』で読んだとおりで面白かった。蘇轍に『古史』という著作があるのは知らなかった。古典資料に基づいて司馬遷の『史記』を書き換え、自身の見解を示したものだという。岡本先生の本に出て来たかな?

『范文正公集』を見ることができたのも嬉しかった。范文正(范仲淹)は、中国ドラマ『孤城閉(清平楽)』に登場していたので、俳優の劉鈞さんの顔が浮かんでしまう。

 

 11:30を過ぎたので、今回はここまで。地階のミュージアムショップをさっと覗き、12:00に故宮本館前を出発する紅30系統のバスに乗った。士林→台北駅を経由して、桃園空港へ向かう。最終日に大きな荷物を持って故宮博物院に入り、ギリギリまで参観して空港に直行というのは悪くないかもしれない。

 しかし、もう少し故宮博物院で粘ってもよかったかな、と思ったが、桃園空港の出国審査後、搭乗ゲートが遠くて唖然としてしまった。私が帰国に桃園空港を使うのは2017年以来なので、拡張リニューアルなどがあったのだろうか。時間に余裕を持った行動が大事だなあと思った。夜10:00近くに成田空港着。その日のうちに帰宅できたが、成田は遠い。やっぱり次回は羽田-松山便を使いたい。

 

※故宮博物院の特別展は、なんと素晴らしいことに展示図録が電子書籍で公開されている(各サイト、トップページ下方の「電子書籍をオンラインで読む」をクリック)。それぞれ200ページ以上もあり、カラー図版も豊富な本格的な図録だ。

甲子万年

千年神遇:北宋西園雅集伝奇

日本の博物館にもこういうサービスを考えてほしいが、日本は、寺社や個人のコレクションを借用して特別展を開催することが多いから、難しいんだろうなあ、たぶん。

台湾旅行2025年末【2日目その2】故宮博物院南院

 初訪問の故宮博物院南院の続き。S203室の北宋山水画を見たあとは、3階の入口に戻って順番に見ていくことにした。

【S301】「導覧大庁」

【S302】「甲子万年:国立故宮博物院開館100年記念特別展」
故宮博物院の選りすぐりの名品を展示する「甲子万年」展、南院で展示されているのは北宋山水画だけではなかった。『眉山蘇氏三世遺翰』は、蘇軾、父の蘇洵、弟の蘇轍、息子の蘇過の手稿を集めたもの。これは蘇軾。

汝窯の青磁水仙盆をはじめ、陶磁器の優品も見ることができた。

ちなみに『眉山蘇氏三世遺翰』は1月13日までで、その後3月までは、顔真卿の『祭姪文稿』が展示されるらしい。うわああ…見に行きたい…。

 

【S303】「仏陀の形と影:故宮博物院収蔵のアジア仏教芸術の美」
アジア各地の多様な仏像と仏典を展示。チベットの密教仏あり、ガンダーラ仏あり、中国エリアに限っても、北魏や北斉の石仏、大理や遼の金銅仏など。日本・江戸時代の大きな銅製の弥勒仏もあった。これは唐代の半跏坐像菩薩。頭部が失われていることが美の完成度を高めているように思う。

背面も魅力的。

これは明代の誕生仏。かなりデカいのと、日本とスタイルが違うのが面白かった。

 

【S304】「紋飾巧語-織線的静謐対話」(模様のささやき-織り糸の静かな対話)
アジア各地のテキスタイルを展示し、孔雀や牡丹などのモチーフの展開を考察する。

 

【S201】「乾清宮尋宝-破解天字号玉器密碼」(乾清宮の宝探し:「天字号」玉器の謎を解く)
乾清宮は紫禁城における皇帝の寝宮・執務室で、最も重要な文化財が収蔵されていた場所。1924年、清国文物整理委員会が、各宮殿の文物に番号を付けるにあたり、乾清宮の文物には『千字文』の頭文字である「天」が当然のように用いられた。いや~眼福。中国の文物、はじめは陶磁器とか琺瑯とか漆器・金工が分かりやすいのだが、行きつくところは玉だと思うようになった。とりわけ、白玉がよい。これは乾隆帝が用いた「信天主人」の御璽。

これは「乾隆」を一字ずつに分けた印影。悔しいくらい、センスがいい。

 

【S201】「妙色-清代金銀飾件特展」(妙なる色:清朝金銀装飾品特別展)
上記と同じ展示室内で行われていた。清朝時代の簪(かんざし)、首飾り、腰飾りなどの装飾品を展示。これは皇貴妃の夏の朝冠。中国ドラマが思い浮かぶ。

これは男性官員の朝冠の飾り。官位による規定があり、一品官員は紅宝石を用いる。これも中国ドラマでおなじみ。

 

【S202】「東亜茶文化展」 (東アジア茶文化展)
中国に始まる茶文化の広がりを「日本茶文化」「モンゴル・チベットの奶茶(ミルクティ)」「台湾功夫茶」を交えて紹介。特に日本茶文化の紹介には力が入っていた。これは唐代の『驪山石単柄壺』。飲茶の習慣は、7世紀には全国に普及していたという。

 

【S203】「甲子万年:国立故宮博物院開館100年記念特別展」(北宋山水画)

【S204】「揮翰学書-書法跨域新媒体展」(筆触で学ぶ書道 :クロスメディア書道展)

 いちおう主たる展示室は全て回ったところで、体力よりも頭脳の処理能力の限界が近づいてきた感じがしたので、そろそろ退館することにした。S101室の「嘉義の文化と歴史展」を見逃したことにあとで気づいたが、また次の機会もあるだろう。次回は湖を取り込む広大な園内も歩いてみたい。

おまけ1:古代の銅器・犠尊もどきのRodyちゃん。似てると思っていた。

おまけ2:ちょうど私の退館時、エントランスホールで行われていた古楽コンサート。女子高生かな。指揮は若い男性だった。白いおサルさんは、特に子供向けコンテンツで活躍している故宮南院の公式キャラクターらしいのだが、名前がよく分からない。子供が悟空(wukong)と呼んでいるのは耳にした。

 14:50発(毎時50分発)のバスに乗車して高鉄嘉義駅へ。台北行きの指定席を購入しようとしたら、夜まで空きがなくて慌てた。しかし、嘉義から乗車する場合は自由席で問題なし。台中あたりから混み出し、桃園からは通路に立つお客さんも多かった。

 2日目も気持ちよく疲れて就寝(1/4記)。

台湾旅行2025年末【2日目その1】故宮博物院南院(北宋山水画)

 2日目は、故宮南院の「甲子万年」展、とりわけ、この日が展示最終日となる北宋山水画の「神品」を見るため、嘉義へ向かう。台北駅8:21発の高速鉄道で1時間半ほどの快適な列車旅を楽しみ、嘉義駅に到着した。空港のように広くて未来的な駅でびっくりしたが、外に出ると、バス案内(客引き?)のおばちゃんやお兄さんが待っていて、のんびりした雰囲気だった。毎時30分発のBRT7212系統に乗車。接続が悪くて40分くらい待ってしまったが、混んでいると乗れない場合もある(別の系統に案内されていた)ので、早めに並んで正解だったかもしれない。

 10分ほどで故宮南院に到着。しかしバス停で下りても、どっちにいけばいいのか全く分からない。とりあえず他のお客さんに着いていく。階段を上がると、ごつい要塞のような建物が見えてくる。え、あれなの?

 そう、このガラス張りの鋭角的な建物と黒い円盤を貼り付けたような建物の組み合わせがメインの展示館だった。(あまり使われていないが)「飛白館」と「墨韻館」という正式名称があることは、あとで知った。黒い円盤の間に多くの鳥が住み着いているらしく、にぎやかな鳥のさえずりに迎えられたのが印象的だった。

 ガラス張りの建物の下に入口が見えたので、入ってみるとサービスカウンターがあったので、ドキドキしながらチケット売り場の窓口に近づいた。

 実は、出発直前にこの特別展に関する日本語記事を読んだら、関係者の方が「予約がなくても空いていれば順番に入れるので、なるべく午前中に来てほしい」とコメントしていたのである。え?予約が原則なんだっけ?と「故宮南院」をググったら、AIによる概要に「参観は予約必須です」と表示される。え?!と慌てて予約サイトを覗いたら、一般の観覧券は予約できるものの、私の見たい「甲子万年」展は Sold Out になっていた。うーむ、これは無駄足になるかも、いや、そんなはずは(別の日本語の観光案内サイトには「予約は必須ではありません」とあった)と、かなり悩みながら嘉義まで来たのである。

 窓口のお姉さんは、私がどこから来たかを確認した後、英語で「Today is Free entrance day(今日は無料観覧日です)」と言って、QRコードつきのチケットを渡してくれた。予想外の事態に慌てながら「special exhibition も?」と確認したら「全て」だという。

 信じがたい幸運に感謝しつつ、展示スペースに向かう。真っ黒な外観の「墨韻館」が展示施設になっており、エントランスホールのある「飛白館」とは3階でつながっている。まずは北宋山水画の出ている2階のS203室へ直行。これは廊下の壁に下がっていたバナーである。

 展示室前の行列は意外と短く、15分ほどで中に入ることができた。パネルや動画による解説・紹介があるのを無視して奥に進むと、おお!「神品」3幅が並んでいる。しかし最前列で鑑賞するためには、左横の待機エリアで、もう一度列に並ばなければならない。ここで30~40分ほど待った。しかし作品が大きいので、待機中も遠目にチラチラ眺めることができるし、すぐ隣で高精細の動画も流れていて、退屈しなかった。なお、展示室入口には「撮影禁止」の表示があったような気がするのだが、写真や動画を撮影しているお客さんは多く、監視員もあまり気にしていなかった。私も後方から撮った1枚を小さめの画像でここに記録しておく。

 展示作品は、左から、范寛(950頃-1032頃)『谿山行旅図』、郭熙(1023-1085)『早春図』、李唐(1050頃-1130頃)『万壑松風図』。范寛の名前はあまり記憶になかったのだが、自分のブログを検索したら、『中国絵画の精髄』『中国絵画入門』など、書籍で学んではいた。巨大な岩山から視線を落としていくと、最前景の山道を小さなロバの隊列が通っていく。しかしこのロバの隊列、原品では全く認識できなかった。

 郭熙の名前は、2008年の大和文華館『崇高なる山水』展で覚えた。そして、郭熙といえば「蟹爪樹(かいそうじゅ)」だと思っていたので、展示作品の中にその独特の樹木の姿を見つけて嬉しくなってしまった(中国語の解説には「蟹爪枝」または「鷹爪枝」とあり)。

 李唐は大徳寺高桐院の『山水図』2幅の作者である。Wikipediaによると、靖康の変で金軍に連行されたと見られていたが、紹興年間末期、80歳を過ぎて南宋の臨安に現れ、高宗の画院に召されて後進の指導に当たったという。まるで小説のような人生。斧で岩を割ったような岩肌の描き方「斧劈皴(ふへきしゅん)」は、日本の水墨画にも影響を与えている。

 展示ケースに張り付くような感じで、じっくり鑑賞(あまり急かされない)したあとは、展示室内の解説パネルを読み、また作品の前に戻ることをしばらく繰り返した。この3幅を並べて視界に収めることができるなんて、乾隆帝になった気分である。

 故宮博物院のほかの展示でも見たのだが、「走入画中」というコーナーがあり、高精細画像のスクリーン前に立って、両手を広げ、身体を上手に傾けると、まるで鳥になったように、描かれた山水に没入していくことができる。操作にはコツがいる様子なので、上手い人がやっているのを横で見ているだけでも面白い。確か『谿山行旅図』と『早春図』が題材に使われていた。

 さて、ほかの展示室も気になるので、いったん離脱。最後にもう一度戻ってこようと考えていたのだが、午後に通りかかったときは、入室待ちの列が倍くらいになっていたので諦めた。この日、最後まで残っていた日本人がSNSに流してくれたレポートによれば、閉館が1時間延長され、閉館時には拍手が起きたそうである。

 別稿に続く(1/3記)。

台湾旅行2025年末【初日その2】国立台湾博物館、龍山寺

 初日続き。中正紀念堂を出て、徒歩で国立台湾博物館に向かう。2020年の正月に来て以来なので6年ぶりになる。前回のレポートには「もっぱら建築意匠に注目」と書き残しているが、歴史系と自然科学系の融合した博物館で、展示もけっこう面白かったことを覚えている。2月の台湾旅行では立ち寄れなかったので、今回はぜひ再訪したいと思っていた。

 小雨がちの曇り空だったが、土曜の午後ということで、国内外からの参観客で賑わっていた。入場券売り場で「65歳以上は割引になる。シニアか?」と聞かれた。お~そうか、2月の台湾旅行ではまだ対象外だったが、その後シニアになったので「イエス」と答えると、特に証明書の提示を求めもせず、半額料金にしてくれた。あとで博物館のサイトを見たら、学生や児童にも同様の優遇措置が設けられている。文化施策が充実していて、うらやましい。

 自然系では「台湾有犀」(2025年6月17日~2026年5月31日)が面白かった。台湾で発見されたサイの化石を中心に、過去の豊富な生態系を紹介したもので、1930年代に台北帝国大学の地質学教授だった早坂一郎が発見した化石は「早坂犀(ハヤサカサイ)」と名づけられている。他にもこの博物館は、多くの日本人科学者の業績を紹介していて興味深い。

 常設展「博物台湾」の「浮生台湾」セクションは人文歴史系の優品・珍品を展示する。この『藍地黃虎旗』は、1895年、日清戦争後、大日本帝国による領有に反対する軍官民が「台湾民主国」を建国し、その国旗と定めたものである。しかし、期待した諸外国の支援は得られず、台湾自立の試みは5か月で崩壊した。黄虎旗は日本軍の戦利品となって天皇に献上され、その所在は今日まで不明のままである。のちに台湾総督府は黃虎旗の複製を制作して総督府博物館に寄贈し、今日の国立台湾博物館に引き継がれているという。え、知らなかった…台湾民主国に対する評価は分かれるらしいが、大国による接収を拒否し、自立を試みて失敗する歴史、琉球を連想するものがある。

 これは『大日本帝国台湾総督之印』。初代総督の樺山資紀が持ち来たり、1930年代末期まで使われたという。

 他にも鄭成功の肖像いろいろとか、台湾原住民ののんびりした風俗を描いた水墨画とか、後藤新平の書(纏足からの解放を推奨する)とか、じっくり眺めたいものがたくさんあった。「諸神黄昏」というセクションには、龍山寺の内外に置き捨てられた「無主神像」が多層式の展示棚にずらりと展示されていた。2015年に271尊が同館に寄贈されたとのこと。今のところ、これは観音様、これは布袋さん、これは関羽など、分かる尊格ばかりだったが、あと10年くらいすると、もっと怪しい神サマが増えてくるかもしれない。

 時間に余裕があったので、斜め向かいの土銀展示館(古生物館)にも寄っていくことにした。初めて来たときは、台湾土地銀行(前身は日本勧業銀行台北支店)の建物を利用した金融史の博物館だったのが、前回来たら恐竜展示が主になっていてびっくりしたが、私はどちらにも興味があるのでいいことにする。

 恐竜の系統図展示を眺めていたら、安田峰俊さんの『恐竜大国 中国』に出て来た「馬門渓龍(マメンチサウルス)」がいて嬉しかったのだが、その上に「迷惑龍(アパトサウルス)」という、あんまりな名前の恐竜がいて笑ってしまった(ジュラシックパークにも登場した恐竜らしい)。

 土銀展示館を出ると雨が降り始めていたので、傘を開いてMRTの乗り口に急ぐ。最後に台湾に来たら必ず寄る龍山寺を訪問。ちょうど夕方のおつとめの時刻で、本堂の前はお経を唱える善男善女でいっぱいで近寄れなかった。今回の旅行の最大の目的である、明日の故宮南院行きがうまくいくことを祈願して、おみくじを引いた。

 そろそろお腹もすき、歩き回って疲れてきたので、台北駅に戻ってフードコートで夕食。

 明日の嘉義行き高鉄の指定席券も無事に購入することができた。ちなみに初めて台湾の高鉄を利用したのは2016年で、窓口で筆談で切符を買った記憶があるのだが、今回は全て自動券売機で完了。早めにネットで予約すると半額くらいになるのだが、今回は通常価格でよいことにする。指定席を「対号座」ということを覚えた。

 前日の広島日帰り出張から早起きが続いていたので、ホテルに戻ると、すぐベッドに潜り込んで寝てしまった。そうしたら、11時頃、大きな地震で起こされた。北東部・宜蘭県沖を震源とするM7.0の地震で、台北は震度4だったという。確かに久々に体験する大きな揺れで、スマホには日本語の注意喚起メッセージが届いていた。向かいの足浴店の入口付近からは、しばらく声高な話し声が続いていたが、眠かったのでまた寝入ってしまった。続く(2026/1/1記)。

台湾旅行2025年末【初日その1】中正紀念堂

 早朝5時、暗いうちに家を出て羽田空港に向かう。もう少し遅い時間の出発でもよかったのだが、ぎりぎりに決めたので、フライトを選べなかった。10か月ぶりの松山空港に到着。ちょっときれいになっている?と思ったら、2025年10月に展望デッキなどのリニューアルが完成したそうだ。中山駅近くのホテルに荷物を置いてフリーになったのが12時過ぎ。機内食でお腹はふくれているので、このまま観光に出かけることにする。

 今回、台北の街歩きができるのは初日のみなので迷ったが、最近、家近亮子氏の『蒋介石』を読んだこともあって、中正紀念堂を訪ねることにする。前回見学したのは2020年頃だったかな?とぼんやり記憶を探っていたのだが、いまブログ内を調べたら、それは国父紀念館のほうだった。ということは、たぶん25年ぶりくらいの訪問になる。

 中正紀念堂は、伝統的な牌坊の奥に聳える、白い壁と青い瓦の楼閣。最上階のホールには「倫理」「民主」「科学」を背中に蒋介石の巨大な銅像が座している。

 中正紀念堂(および国父紀念館、忠烈祠)の名物といえば衛兵交代式なのだが、そういえばホール内に衛兵がいないぞ?と思ったら「儀仗隊のパトロールおよびパフォーマンス」は「中正紀念堂の真正面の階段の下で実施します」という「公告」が掲示されていた。あとで調べたら、衛兵は、現代の民主主義社会にそぐわないという判断から、2024年7月15日に廃止されたそうだ。

 毎時ちょうどの儀式は残されており、儀仗隊は中正紀念堂の巨大な楼閣の左右から登場、観光客が取り巻く中で、銃剣を自由自在に扱う華麗なパフォーマンスを行い(階段下なので、上から見物する観光客もいる)、また引き上げていく。完全に観光化されたパフォーマンスの中に、軍事政権の名残りがほの見えるところが、後述の展示との関係でもいろいろ感慨深かった。

 中正紀念堂周辺は文化芸術エリアとして整備されており、紀念堂の左右には、国家戯劇院と国家音楽庁が設置されている。また、紀念堂内のギャラリーでも、さまざまな書画や児童画の展覧会が行われていた。

 もちろん蒋介石に関する常設展示もあり、愛車のキャデラック、軍服から日常着まで数々の遺品、海外要人との写真などが展示されている。中でも興味深かったのは「政治案件批示」と題した公文書(複製)の展示で、蒋介石は、部下から上がってくる報告書にさまざまな指示を書き入れている。これ、清朝皇帝の「硃批」と同じじゃないか、と苦笑いした。しかも、軍事法廷における審判結果について、総統の権限は審判の正当性を判断するのみで直接判決を変更してはならないと明確に規定されていたにもかかわらず、たびたび反乱事件の量刑を重くする介入をおこなった。蒋介石の介入によって死刑に変更された者は259人に及ぶ。胡適は総統の「憲法違反」を指摘したが、蒋介石は批判を受け入れなかったという(以上、日本語の解説あり)。胡適先生の生涯、苦労の連続だなあ…。

 しかし中正紀念堂を名乗る展示施設にかかわらず、蒋介石とその独裁政権時代の「暗黒面」を赤裸々に公開する態度には感心した。上滑りの顕彰でない展示を見て、逆に執務風景の蝋人形に複雑な人間味を感じてしまった。

 そして、常設展示エリアでは「自由花蕊(Flowers of Freedom)」と題した大規模な展示も行われていた(2025年11月24日~)。初めに「国際民主浪潮(International Waves of Democracy)」と題した年表があって、第二次大戦後から現代までの自由と民主主義を求める社会運動・事件を紹介する。

 ハンガリーの1956年革命があり、プラハの春があり、韓国の光州事件や中国の天安門事件も取り上げられていた。アフリカやヨーロッパについては、すぐに分からないものも多くあり、自分の知識不足を痛感した。

 続く「噤聲年代(The Era of Imposed Silence)」では、台湾国内の戒厳令下の過酷な言論弾圧の実態を紹介する。

 まあ長髪の禁止とか夜間外出の禁止とか、武侠小説の禁止(起義=武装蜂起を扇動するから)とか、今となっては笑える事例もあるのだが、政府批判によって肉体と精神を痛めつけられ、本人だけではなく家族や子孫のトラウマとなってきた事例が、淡々と多数紹介されている。蔡焜霖(1930-2023)氏は政治犯として10年間投獄された経験を持つ。名前を見ても分からなかったが、最近、日本語訳が出版されたマンガ『台湾の少年』のモデルの方だとあとで分かった。展示室の最後には蔡焜霖氏の好きだった「千の風になって」が日本語で流れていだ。

 台湾がこのように「民主主義の優等生」をアピールするのは、もちろん生き残りのための外交戦略だろう。小国の立場で軍備拡張を競うよりは賢いと感じる一方、最大のアピール先であったはずのアメリカが今の状況では、いろいろ悩ましいのではないかとも思った。

 長くなってしまったので、以下別稿とする(2026/1/1記)