見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

「家の思想」の虚構/戸籍の日本史(遠藤正敬)

〇遠藤正敬『戸籍の日本史』(インターナショナル新書) 集英社インターナショナル 2025.10

 戸籍という「制度」あるいは「秩序」について、歴史の観点から掘り起こした労作。著者の結論は終章に述べられているとおり、

  • 戸籍を持たないことの不利益はほとんどないので、行政の多大なコストを費やしてまで戸籍を存続させておく意味は極めて乏しい。
  • 戸籍を支える価値観は、明治時代を起点とする「家の思想」に拠って立つものだが、多様化の進む「家族」や「性」のあり方と明白な摩擦を生じ、「戸籍の規格」にそぐわない者を社会から排除するという弊害を根付かせてきた。

になるだろう。私はこれに全面的に同意する。

 明治以前、日本に暮らす人々は、それぞれ領地や身分に基づいたアイデンティティを持っていたが、欧米列強と対峙するため「国民」の創出が必要となった。このとき求められたのが「国民登録簿」としての戸籍である。明治新政府は、古代律令国家の戸籍(徴兵と課税のためのツール)を復活させると同時に、人民を「家」の一員と設定することで、各々が個人主義に流れることを防ぎ、「家」の延長としての「国家」へ統合していこうとした。そこで導入されたのが「戸主制度」である。

 戸主は誰を「家」の一員とするか決定する権利を有した。ただし戸主および家族は同じ氏を名乗る「一家一氏一籍」が原則とされた。このへん、儒教道徳や江戸時代までの慣習と異なることは、本書に詳述されているとおりである。

 明治5年(1872)に編成された壬申戸籍は、日本の領土に居住する者全てを日本人(臣民一般)として登録することを目指していた。つまり、今日のような「血統主義」ではなく「居住地主義」によって日本人が画定されたのである(なるほど、これは気づかなかった)。その結果、北海道のアイヌや沖縄の琉球民族、小笠原諸島の外国人住民、さらにサンカも「日本国籍」に編入された。しかし、アイヌや琉球民族に対しては、明白に文化的アイデンティティの放棄と同化の強要が行われた。

 同じことは、朝鮮、台湾、満州においても繰り返されていく。ただし一視同仁のタテマエがあったり、無視できない文化習俗の違いがあったり、内地人と外地人の婚姻問題があったりして、実態は非常に複雑である。「満州国」には、ついに国籍法が制定されなかったことを初めて知った。

 一方、明治から大正にかけて北南米に「海外雄飛」する日本人が増加するが、血統主義をとる日本の国籍法に従い、移民一世はもちろん二世も日本国籍を有していた。出生、死亡、婚姻などは在外公館に届け出ることになっていたが、移民として生きる覚悟を決めた日本人にとって戸籍など無用の長物なので(なるほど)忘れられてしまうことも多い。また、近代化に従って国内でも人口移動が増加していくと、戸籍は、ほとんど人口の実態を表さなくなっていく。そのため、政府は1920年から「国勢調査」を実施することにした。国勢調査は実際に生活をともにしている者を「世帯」と記録するので、戸籍よりは、社会の現状を把握するのに役立ったのである。

 こんなに役に立たない戸籍制度であるが、戦後も生き延びてしまった。GHQは、戸籍制度を家単位から個人単位に改革することを司法省に求めたが、現状では紙や労力がかかるので難しいという回答を受け入れてしまったという。ただ、戸籍が現住所を反映しないという欠点を補完するため、1951年に住民登録制度(住民票)が生まれ、2013年には、日本国内に住民票を有するすべての者を対象としたマイナンバー制度が成立した。じゃあもう戸籍は要らないんじゃない?と思ったが、本書によれば、政府の中に戸籍解体への動きはないという。戸籍制度の役割は、行政の効率化のために国民の実態を管理することではなく、家制度の下に個人を秩序化すること、言い換えれば国家意識や道徳観念といった日本人の「精神」の管理を担うことではないか、と著者は述べる。

 個人的には、こんな胡散臭い制度は早期に廃止でいいと思うが、血統による「日本人」の画定ツール(著者はこれを「フィクション」と評する)が欲しい人々は、容易に手放さないだろう。そして、こっちも胡散臭いと思っていたマイナンバーのほうが、個人を基礎とする点で、かなりマシであることを本書から学んだ。

批判をもって生きた人々/ひとが生まれる(鶴見俊輔)

〇鶴見俊輔『ひとが生まれる:五人の日本人の肖像』(角川新書) 角川書店 2025.4

 2028年のNHK大河ドラマは、ジョン万次郎を主人公とするという発表を見た。思い出したのは、吉見俊哉氏が『アメリカ・イン・ジャパン』で、鶴見俊輔がジョン万次郎について書いた論考を紹介していたことである。書名を記憶していなかったが、検索すると、どうもこの本らしいので読み始めた。

 本書は、1972年に筑摩書房より刊行され、1994年にちくま文庫化された作品を新書化したもの。中浜万次郎、田中正造、横田英子、金子ふみ子、林尹夫の4人が取り上げられている。

 冒頭の中浜万次郎(ジョン万次郎)は、期待以上に面白かった。文政10年(1827)土佐に生まれた万次郎は、14歳のとき、仲間とともに漂流して、鳥島という無人島にたどりつく。143日後、アメリカの捕鯨船に助けられ、ハワイを経て米国マサチューセッツ州へ渡り、ホイットフィールド船長の家に下宿して、働きながら教育を受ける。やがて水夫として捕鯨船に乗り込み、お金を貯め、むかしの仲間を誘って日本に帰国する。その後は幕府の直参となり、軍艦教授所の教授となり、咸臨丸に乗り込んだり、小笠原島の開拓調査に当たったりした。

 著者が書いているとおり、万次郎の見たものが「アメリカ」や「ヨーロッパ」ではなく「捕鯨業者の世界」だったことは、幕末明治の留学生と全く異なる体験になっている。捕鯨業者は故郷の港を離れて2、3年を海の上で過ごす。たとえば日本列島の沖合いを航行しているとき、この日本という国が開かれていたら、という思いを水夫が持つのは自然なことだ。「万次郎に社会思想があるとすれば、それは捕鯨という職業そのものから育った、国籍をこえて人間どうしが助け合うという思想だった」と著者は述べる。

 万次郎は長い年月をかけて準備をし、入牢も覚悟の上で帰国を実現した。その行動を支えたのは強い愛郷心だろう。しかし同時に、海の立場から世界を見てきた彼は「世界のさまざまなところにおなじような愛郷心をもつ人びとが住んでおり、その人たちと仲良くしていけるという実感を持っていた」ともいう。2028年の大河ドラマでは、こうした「海の立場」が片鱗でも描かれることを期待したい(しかし当時の捕鯨船の航海やゴールドラッシュの金鉱の様子を映像化するのは、相当難しいのではないか…不安)。

 田中正造は、足尾鉱毒事件で天皇に直訴した人物である。村名主の家に生まれ、30代のはじめに覚えのない殺人事件の下手人にされて3年以上も獄中生活をおくった。その後、衆議院議員となり、議会で鉱毒問題を訴え続け、ついに天皇直訴を行って捕えられるが、狂人として釈放される。71歳で没したときは菅笠と頭陀袋1個しか手元になかった。正造は、よく子供向けの「日本の偉人伝」シリーズにも登場しているが、実像はかなりエキセントリックで、普通の人間が気安く人生のロールモデルにすることなどできない人物だと思う。正造は領主を大切にし、天皇も大切にしたが、民衆の立場から見て間違っていると考えることについては、決して自分の立場を曲げなかった。「自然の理法をふみにじるものには、法をやぶってでも、自分の生活をとおして抵抗しつづけてゆく」というのが、彼の根本思想だったと著者は説く。一種の信仰心を持った人間でなければ難しい生活態度ではないかと思う。

 金子ふみ子(金子文子)は、近年、映画や小説の題材にもなっているので、名前だけは知っていたが、詳しい生涯は初めて知った。ふみ子は、父親が私生児として届けることも許さなかったので、籍のない子どもとして育ち、はじめは小学校にも行けなかった。やがて父親も母親も自分の幸福のためにふみ子を残して去っていき、母方の祖母にも憎まれて、女中としてこき使われる。とにかく壮絶な生い立ちなのだが、学問好きで聡明なふみ子は、数々の体験を通して「自分の歩いた道」としての思想を作り上げていく。それは、明治、大正、昭和の日本が目指した「家族国家観」とは全く別の「無籍者」としての思想であるという。

 上記の3人と比較すると、富岡製糸場の伝習工女で『富岡日記』の著者である横田英子(和田英)を著者がなぜ取り上げたかは、腑に落ちなかった。学徒出陣により戦死した京大生、林尹夫の章は極端に短い。執筆当時の著者には、彼らを取り上げる理由があったのだろうが、もはや現在の読者には分からないことも多いように思う。

 最後に、角川新書のオビには「彼らは『日本人』を生き抜いた」というキャッチコピーが躍っているが、これは合っていないんじゃないかなあ…という気がする。

熟達者AIの能力拝見/自己との対話(吉見俊哉)

〇吉見俊哉『自己との対話:社会学者、じぶんのAIと戦う』(集英社新書) 集英社 2025.12

 吉見先生の著書はほぼ全て読んでいるが、かなり変わった1冊だった。本書には「AI吉見くん」が登場する。これは、東大工学系研究科の堀井秀之氏(著者の高校以来の友人とのこと)が始めたプロジェクト「i.school」が運営する「熟達者AI」(有料)の一例で、著者が過去約45年間にわたって書いてきたテキスト、単著約35冊、共著約60冊、論文やエッセイなど400点以上、その他、新聞記事、研究ノート等を全て学習している。そのため「あなたは誰ですか?」と問いかけると、AIは「私は吉見俊哉です」と答える。ここから、生身の著者とAI吉見くんは、4つのテーマ「社会学」「大学」「都市」「アメリカ」について対話を行う。

 読者の立場から見て、最も両者の違いが目立ったのは「社会学」についての議論ではないかと思う。AI吉見くんは、自分は社会学者であると名乗るが「社会学者というのは、どのようなことをする人たちですか?」と聞かれると、教科書的な一般概念に跳んでいき、「社会学者とされる吉見俊哉という人のイメージとは大きくずれています」と本人から突っ込まれる。その後も「あなたの社会学は、どなたの社会学に比較的近いと考えられていますか?」「あなたは、なぜ伝統的な社会学とは異なるアプローチを取るのですか?」という対話では「それは私の理解とずいぶん違います」「私は、まったくそうは思いません」という著者の不満が示される。

 AI吉見くんの回答は、私のような単なる一般読者から見ても「それは違う」と瞬時に判定できるものがかなりあった。ただ、中には、これは妥当な記述ではないかと思って読んでいたら、著者から「違います」と却下されてしまったものもある。かようにテキストの理解と要約は難しい。

 この最初の対話で、AIは自分の生年を知らないこと、読書をしないこと(テキストデータを解析し、回答を作成する能力はあるが、読書することはできない)などが明らかになる。そしてAIは、人間の経験や感情を理解できない自分の限界を淡々と認めている。このAIの限界を忘れがちなのは、むしろ人間(一般的なAI利用者)のほうではないかと思う。

 「大学」「都市」「アメリカ」という具体的なテーマについては、AI吉見くんはかなり健闘しており、著者のこれまでの考察・主張を手際よくまとめた上、最新の議論にもついていっている。なお、「都市」の段で、東京の心的な吸引力を論じた際、AI吉見くんが使った「非土着的な幻想性」という用語は、著者の仕事を外れてはいないが、おそらく著者が用いたことのないもので、強く印象に残った。しかし序章のネタバレによれば、著者は再びこの言葉をAIから引き出そうと工夫を重ねたが、どうしても再現しなかったという。

 AI吉見くんの「手際よいまとめ」は、長いテキストを読むことが苦手な人には、それなりに役に立つのだろうが、私はときどき適当に読み飛ばしてしまった。手際がよすぎて個性や主張が薄い文章なので、うまく頭に定着しないのである。AIは基本的に中庸を保ち、脱線も失言もほとんどしない。対話者から矛盾や誤りを指摘されると、直ちに「申し訳ありません」と述べて軌道修正するので、著者から「もう少し、自分の発言にこだわったほうがいいのではないですか」と注意を受けていた。この点は、終章で著者が再度指摘しているが、AIは「相手に従順で、自分の論拠にはこだわらず辻褄合わせをする傾向が強い」という。これは、一般的なAIを日常使いしていても感じるときがあって、やたらと対話者(人間)をほめあげる傾向には注意したほうがいいと思っている。

 ほとんど失言をしないAIが、東京の変化を語る中で「私自身、1970年代の公園通りの坂道を上った経験があります」と言い出したのは面白かった。著者の追及を受けて、これは実体験ではなく、知識の反映であると謝罪するのだが、経験はできなくても、経験を擬態することのできるAIは、もう身近に存在しているのではないかと思う。

 終章にいう。そもそも自由主義や民主主義が近代の支配的イデオロギーになったのは「人間全員に価値を認めることが、政治的にも経済的にも軍事的にもじつに理にかなっていた」からだ。しかしAI化が進んだ社会は、近代産業社会ほどに人間的労働力を必要としない。今後、多くの人間が「産業革命の間に馬たちがたどった運命」をたどるだろうという暗い未来予測が、鮮明なイメージとともに記憶に残った。

 備忘メモ。AI吉見くんは、「~が多いです」という形容詞の終止形に「です」を付ける表現をふつうに使う。私も会話では使うが、活字で読むとイラっとする(古い人間なので)。

2026年5月関西旅行:神戸市立博物館

 ほぼ順調にスケジュールをこなしてきた今回の関西旅行、最後に大失敗をしてしまった。最終日(水曜)に国立民族博物館の特別展『シルクロードの商人語り』を見ていくつもりだったのだが、万博記念公園駅まで来たら「本日休園」の看板が出ている。え?何?公園内を通らずに民博に行くには?!と慌てて調べたら、園内の施設も全て水曜は休館日になっていた。ショック。

 しかも今回は交通費節約のため、往復とも「ぷらっとこだま」を使っていたので、帰りの新幹線の時間を変更することができない。今から半日で行けるところは…と考えた末、神戸市博に寄っていくことにした。

神戸市立博物館 特別展『神戸百華-コレクションが開く神戸の魅力』(2026年4月25日~6月14日)

 神戸市立博物館が誇る100件のコレクションを導き手に、多様な視点より神戸の魅力を紹介する。冒頭にいきなり『泰西王侯騎馬図屏風』があって、テンションが上がった。私は東京在住なので、サントリー美術館所蔵のほうは、比較的目にする機会が多いが、神戸市博所蔵(池長孟コレクション)のほうは、なかなかお目にかかれないのである。神戸市博版は、馬上の4人がいずれも抜き身の剣を振るっていて、馬の姿態もサントリー版より躍動感がある。解説によれば、馬上の4人は、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世、トルコ皇帝、モスクワ大公、タタール王で、ヨーロッパの帝王がアジア諸王と対峙する構図になっているという。しかしヨーロッパ方、アジア方、どちらもカッコよさで引けを取らないのがとてもよい。

 神戸の歴史・伝説については、古くは弥生時代の飯蛸壺から、清盛の福原京、源平合戦、湊川の合戦。幕末の神戸海軍操練所に関しては多数の資料が残っており、破風そのものが保存されているのには驚いた。明治以降は、早くから西洋文化の玄関口となったことで、パン型や牛乳搾取販売所の引札、ホテルの洋食メニューなどが伝わっている。あと、1981年のポートピア(神戸ポートアイランド博覧会)のポスターが展示されていたのも目を引いた。

 続けて、コレクション展(常設展)も参観。いつも複製が出ている『聖フランシスコ・ザビエル像』は、この特別展期間は本物が展示されている。狩野内膳筆『南蛮屏風』や『洛中洛外図屏風(東山図)』も楽しかった。後者は、すでにポルトガル人(南蛮人)の来航が禁止された後の作にもかかわらず、祭り見物の群衆の中には、南蛮人っぽい人々が描かれている。

 これで全行程終了。最後に、京都で食べたイノダコーヒーのチョコパフェの写真を上げておく。こういう昭和な雰囲気のパフェが大好き。

2026年5月関西旅行:奈良国立博物館、大和文華館、逸翁美術館

奈良国立博物館 特別展『神仏の山 吉野・大峯-蔵王権現に捧げた祈りと美-』(2026年4月10日~6月7日)

 平日なので余裕だろうと思い、近鉄奈良駅で朝のコーヒーを飲んで、開館10分前くらいに行ったら、チケット有の列はピロティの真ん中あたり、チケット無の列はピロティの端まで並んでいた。藤原道長自筆の埋経人気だろうか?

 本展は、修験道の聖地、桜の名所ともなった吉野・大峯の歴史と魅力を余すところなく紹介する。はじめは役行者と蔵王権現に代表される山岳信仰の地、吉野。吉野には何度か行っているので、吉水神社の役行者倚像および二鬼坐像(前鬼・後鬼の目が赤い)や櫻本坊の大峯八大童子立像は、たぶん過去に見ていると思う。世尊寺の十一面観音立像(奈良時代)は、肉厚の堂々としたプロポーションに見惚れてしまった。吉野の「世尊寺」は全く記憶がなくて、調べたら観光ルートから外れたところにあるようだった。会場の中ほどに、現代彫刻みたいな異形の像があって、石山寺の混合蔵王立像心木だとすぐに思い当たった。ただし解説によると、跳ね上げた右足は後補で、当初は両足を地につけた姿であったと考えられているそうだ。金峯山寺の釈迦如来坐像は、大きな弧を描く眉と大きな半眼が印象的な独特の容貌でかなり好き。三重塔の本尊だという。

 第1展示室の後半は、三方の壁を使って大峯山寺本堂(山上蔵王堂)の内側が再現されており、中央に秘仏本尊の蔵王権現立像、周囲にも本堂に安置されたり発見されたりした多数の蔵王権現像が並ぶ。秘仏本尊(平安~鎌倉時代)は、自然で均整のとれた姿で、右足を高く上げるが、全体の中心線は傾いていない。後世になると、左足を斜めに傾けて外側に踏み出し、躍動感を強調するポーズになるのが面白い。

 第1展示室後半の裏側はビデオシアターになっていて、金峯山寺本堂(蔵王堂)の巨大な蔵王権現立像3体を「実物大」で紹介する映像が流れていた。さらに第2展示室(西新館)の手前でも、吉野・大峯の紹介映像が流れており、ふだんこうした映像は無視するのだが、今回ばかりは何度も見入ってしまった。

 そのため、時間が足りなくなって慌てながら後半へ。はじめに、近年、金峯山で発見された道長と師通自筆の紺紙金字経が修理後初公開されている。「近年」っていつ?と思って調べたら、江戸時代に出土して、行方が分からなくなっていたものが、2015年に発見され、2017年から調査の結果、2023年に道長直筆と判明、2年半の修理を経て、初公開となったようだ。

参考:読売新聞オンライン「行方わからなかった藤原道長の写経、世界遺産の金峯山寺で発見…納戸の木箱から風呂敷に包まれ」(2023/12/12)

 紺色の料紙は、いずれも上半分程度しか残っていない(焼け経みたい)が、金泥の文字は鮮明で、おおらかで読みやすい筆跡だと思った。

 後半の見もの、如意輪寺の蔵王権現立像は、リアルな力強さと華やかさを一身にまとう。同じく如意輪寺の秘仏本尊・如意輪観音坐像も美麗。勝手神社の勝手明神坐像は精悍で威厳のある武人の姿。いずれも鎌倉の時代精神を感じさせる。

 仏画、絵巻も興味深かったが、展示替えで見逃してしまったものが多数あって残念だった。なお『長谷寺縁起絵巻』には、菅原道真の夢に3体の蔵王権現が登場し、長谷寺の十一面観音に五色の蓮華を捧げる場面が描かれる。京博『北野天神』展でもこのシーンを見て、両者が意外なところでつながっているのを面白く思った。

 最後の展示室には、米国ロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵の蔵王権現立像。文楽『義経千本桜』の舞台背景が用いられて嬉しかった。この大衆性と聖性の混在こそ、我々がたどりついた現在の吉野だと思う。

大和文華館 『想いを伝えるもの-和歌、手紙-』(2026年4月16日~5月24日)

 古より想いを伝える手段として用いられてきた和歌と手紙に関連する作品を集めて展観する。同館のコレクション展なのだが、『婦女遊楽図屏風』(松浦屏風)『伊勢物語図色紙』(芥川、衰えたる家)『寝覚物語絵巻』など大好きな優品がずらり。『寝覚』の僧侶二人が描かれた場面、正面を向いているのは出家した帝で、寝覚の上からの手紙を読んで涙を流しているのだな。武将や茶人など、古人の書状もたくさん出ていたが、桜を一枝貰ったとか、サザエや鯛をもらったとか、贈答のお礼状が多くて、むかしの生活がしのばれた。

逸翁美術館 2026展示II『和モダン大阪-日本画コレクション』(2026年4月18日~6月14日)

 モダン大阪の人々が愛でた日本画、どこかひねりのあるモダンなセンスのある作品を紹介する。3つのシーン「お座敷の床飾り」「文芸とともに楽しまれた文人画や俳画」「茶会・宴会など交遊の場」を想定。お座敷には四季の景物を描いた小品や短冊が好まれた。一方、中国趣味の大きな山水画は、料亭などの宴会場で用いられた、という説明に納得。

 これで3日目も終了。大阪泊。

2026年5月関西旅行:福田美術館、嵯峨嵐山文華館、承天閣美術館ほか

 2日目は月曜日なので、開館している美術館・博物館を探して予定を立てた。京都駅から嵐山へはJR嵯峨野線を使うとあっという間。早く着きすぎたので、野宮神社~二尊院~落柿舎あたりを散歩して時間をつぶした。歩いているのは、ほぼ外国人ばかりだった。

福田美術館 『若冲にトリハダ! 野菜もウリ!』(2026年4月25日~7月5日)

 2023年に存在が確認され、翌年同館の所蔵となった『果蔬図巻』のほか、若冲作品約40点を紹介。ただし、同館の若冲コレクションは優品ばかりとは言い難い。正直、展示室1は、これを後世に展示されては若冲が可哀そうでは…という作品が多かった。ポップなメインビジュアルや展覧会タイトルなど、プロモーションは巧い(嫌いじゃない)がそれだけかなと、あまり期待せずに階上の展示室2に入ったら、墨画の屏風がずらり。『鶏図押絵貼屏風』(六曲一隻かと思ったら右隻のみ展示)『群鶏図押絵貼屏風』(六曲一双)は、どちらも悪くなかった。『三十六歌仙図屏風』(六曲一隻)は、一扇に6人ずつ描かれた歌仙たちが、おはぎを丸めていたり、田楽を焼いていたり、シャボン玉に興じていたり、自由気ままで微笑ましい。この展覧会、やっぱり見に来てよかった、と思った。

 あとは『果蔬図巻』と『乗興舟』完全公開(同館では常設なのかな?)。佐野市立吉澤記念美術館の『菜蟲譜』は残念ながら展示期間外で、新出の『果蔬涅槃図』(個人蔵)が出ていた。京博所蔵の同名作品より小型の墨画。寝釈迦はやっぱりダイコンだった。ミュージアムショップでは、噂の同展限定ハイチュウ「ジャクチュウ」を購入できて満足。

嵯峨嵐山文華館 企画展『それいけ!応挙塾-円山応挙とその弟子たち-』(2026年4月25日~9月27日)

 円山応挙が創り出した「新しい日本画」がどのように展開していったのか、弟子である源琦や長沢芦雪の作品を通して紹介する。お隣の福田美術館と揃えたようなプロモーションが楽しい展覧会だが、開催期間が長いので、実は3期に区切って大幅な展示替えがある。現在は前期で、応挙『虎図』や蘆雪『関羽図』などの面白い作品もあるものの、圧倒的に数が多いのは矢野夜潮(1782-1829)。応挙の弟子・山口素絢に師事した。ほとんど作品が伝わらず、幻の画家と言われてきたが、近年、多数の作品が発見されたのだという。新しい画家を知れたことはよかったが、応挙・蘆雪をもう少し見たかった。

 面白かったのは『梅渓紀行図屏風』(個人蔵)。天明8年(1788)、皆川淇園が応挙、呉春らと伏見梅渓へ出かけた際の紀行文を貼り付けたもの。石峰寺を通りかかると、応挙(仲選)が「ここには若冲が制作した石仏群がある」というので、みんなで見に行って感激した、という記述がある。最後に大きな涅槃仏があって、諸天菩薩、獅子、牛、馬、羊、犬、ウサギ、ニワトリ…がいるなど描写が詳しい。

清凉寺(嵯峨釈迦堂)霊宝館 特別展観(2026年4月1日~5月31日)

 「五臺山」の額のかかった山門をくぐり、まず本堂で「清凉寺式」釈迦如来にご挨拶。かなり昔、本堂内に狩野一信の五百羅漢図(東京・増上寺所蔵)の下絵が展示されているのを見たことがある。今回も記憶どおりの場所に「妙安填彩、法眼一信筆」と記された下絵が2幅一組で10幅分、展示されていて安心した。妙安は一信の妻。画中には、2幅あたり10人の羅漢に加え、従者や神仏や供養人などが登場する。羅漢のそばには〇で囲んだ数字が付記されていて、1、2、3、…と続き、最後は10でなく60、70、80などになっている。なるほど、こうやって500=五百羅漢まで数えていたのだな、と納得した。

 霊宝館には文殊、普賢、大きな阿弥陀如来及び両脇侍坐像など、見応えのある仏像が多数。境内に人影は少なく、観光地の喧噪から完全に切り離された雰囲気で、ありがたくもあり、残念にも感じた。

相国寺承天閣美術館 企画展『相国寺の近代』(2026年3月28日〜5月17日)

 明治維新から大正期にかけて、相国寺が直面した変化、塔頭の廃絶や寺宝の処分、その後の再構築の動きなどを紹介する。特に予習をしてこなかったので、第1展示室のドアが開いたら、ぐるりと若冲の『動植綵絵』30幅が掛かっていて驚いた。もちろん原本(三の丸尚蔵館所蔵)ではなくコロタイプ複製だが、精度が高く違和感はない。中央には『釈迦三尊像』。やっぱり『動植綵絵』は、この展示室で見るのが一番しっくり来る。

 第2展示室では、相国寺128世管長の橋本独山(1869-1938)の名前を初めて知った。富岡鉄斎に師事して書画を能くした人物で、晩年には自らのコレクション20点を相国寺に寄附している。その中には、石涛2点と八大山人1点、さらに石涛の彫銘のある硯があって、全て今季の展示に出ていた。石涛は淡彩の美しい山水図(どちらも小さく人の姿あり)、八大山人は墨画の山水図だった。独山は明末四僧が好きだったそうで、同じ嗜好を持つ者として感謝しかない。董其昌筆『峒関蒲雪』も不思議な色合いで美しかった。明清絵画はいいなあ~。

 初公開だという河野秋邨筆『月夜敲門図』もよかったので書き留めておく。日本の近代南画も、まだよく分かっていないが、奥が深そうである。

六波羅蜜寺 令和館

 承天閣美術館を出て、まだ少し時間があったので六波羅蜜寺に向かう。令和館(宝物館)の受付終了が16:00なので気ぜわしかったが、なんとか間に合った。いつもの名品をじっくり味わう。鎌倉時代・慶派の彫像が多い中で、私は、定朝作の地蔵菩薩立像(鬘掛地蔵)が好きなのである。最近、寺社拝観は、特別公開や秘仏御開帳を狙うことが多くなってしまっているが、日常の雰囲気を味わうのはいいものである。

 これで2日目も無事に終了。

2026年5月関西旅行:龍谷ミュージアム、京博、京都文博

 フルタイム勤務を辞めて平日の自由度が増したのを幸い、大型連休を避けて関西旅行に出かけてきた。

龍谷ミュージアム 春季特別展『京都・真如堂の名宝』(2026年4月18日~6月14日)

 真正極楽寺・真如堂に伝わる仏像や仏画、経典等、あわせて真如堂創建当時の都の平安仏を紹介する。真如堂、たぶん1回くらい拝観したことがあると思うのだが、ブログでは確認できなかった。「洛東の隠れ寺」と言われているらしい。ご本尊の阿弥陀如来立像は、10世紀末、本堂創建当初からの像と考えられており、阿弥陀如来の立像としては現存最古例であるという。展示会場には、その模刻や類例の阿弥陀如来像がたくさん集められていて、ご本尊はどれ?と探したが、さすがに秘仏ご本尊は写真バナーだけで、いらしていなかった。

 阿弥陀如来ではないが、都ぶりの平安仏の一例として展示されていた木造聖観音立像(滋賀・九品寺)は筒型の宝冠を戴き、健康的で均整のとれた姿が美しかった。雰囲気が近江ふうだなあと思ったら、やっぱり。真如堂の什宝『木造妙見菩薩倚坐像』(江戸時代)は、どう見ても真武大神=玄天上帝=鎮宅霊符神だった(足元に亀はいない)。

 なお、真如堂は、三井家の菩提寺となっており、その縁で本展は三井記念美術館に巡回を予定している。また東京でも見せてもらおう。

京都国立博物館 特別展『北野天神』(2026年4月18日~6月14日)

 菅原道真(845-903)薨去から1125年目の式年大祭「半萬燈祭」が2027年に執り行われることを機に、北野天満宮に伝わる古神宝類を中心に、日本各地の天満宮・天神社、社寺に伝わる名品の数々を一堂に集めて展観する。もちろん最大の見ものは承久本『北野天神縁起絵巻』だが、ほかにも興味深い品がたくさん出ていた。道明寺の小柄な十一面観音立像(奈良~平安時代)は「試みの観音」と称される秘仏。垂らした腕の長さが古風である。長谷寺(天神信仰に所縁あり)の十一面観音立像(鎌倉時代)は美麗な透かしの光背を背負う。

 13躯が勢ぞろいした鬼神像は、2001年の本殿修理の際に発見されたもの。北野社創建当時は民衆の宗教活動が高揚した時期で、平安京中の東西大小の道路には、木造の男女の神像が安置されていた記録があるという。東寺や六波羅蜜寺の夜叉神もこれではないかと考えた。

 さて承久本『北野天神縁起絵巻』、私が一番好きなのは、巻六の第3段(清涼殿落雷)なのだが、巻六は残念ながら前半の第1段(時平の耳から青龍)、第2段(恐れる醍醐天皇)が開いていた。巻七、八は日蔵の地獄めぐり。縦長に料紙を継いだ大画面に大迫力の地獄の風景が延々と続く。一体どういうモチベーションでこんなものを描いたのか。火焔と血しぶきの赤を塗りたかったのかなあ…。弘安本、光信本、光起本など、基本的には旧例を踏襲しながら、多様な展開を遂げている『北野天神縁起絵巻』、とても面白くて興奮した。

京都文化博物館 総合展示『令和8年新指定国宝・重要文化財』(2026年4月25日~5月17日)

 令和8年(2026)に国宝・重要文化財に指定される美術工芸品の一部を紹介する。冒頭には、このたび国宝に指定された東福寺の明兆筆『五百羅漢図』から5幅。慶応義塾図書館の『論語疏巻第六』も国宝に指定された。2020年に丸善・丸の内本店のギャラリーで見たことを思い出して、感慨深かった。藤原定家筆『顕注密勘』は、六条藤家の顕昭によって書かれた『古今和歌集』注釈に対して、御子左家の藤原定家が自説を書入れ・押紙したものだという。確かに展示の冊子には、色違いの料紙の押紙が貼り付けられていた。

 絵画は、香雪美術館の『柳橋水車図』(六曲一双屏風)が重文の指定を受けていた。左隻の端、柳の木の下に長谷川等伯の印が押されている。柳・橋・水車・網代は定番の素材だが、柴を積んだ舟は描かれていないのだな。仏像は、どっしりと量感のある、京都・両讃寺の木造薬師如来立像(平安初期)を慕わしく眺めた。

 萩博物館所蔵の「白地葵紋付筋亀甲繫文様絞染小袖(しろじあおいもんつき すじきっこうつなぎもんよう しぼりぞめ こそで)」は、いかにも桃山らしい色とデザインもさることながら、付随する逸話が興味深かった。萩藩士の村田安政は朝鮮出身(本名ミビイ、異説あり)で、生き別れた姉のおたあ(洗礼名ジュリア)は家康の侍女となっていた。姉弟の再会に際して、家康が安政に贈ったのがこの小袖だという。戦国時代に疎い私は初耳だったが、ジュリアおたあは映画や小説に登場したこともあるようだ。彼女の書状も参考展示されていた。

 以上、初日終わり。例によって気楽な一人旅だが、最初の訪問先の龍谷ミュージアムで、東京の知人に会ってしまう。挨拶だけで別れて、私は市バスで京博に向かったのだが、京博の前で、さきほどの知人がタクシーから降りてくるのを見つけてしまい、なんだか可笑しかった。

2026年4-5月展覧会拾遺@東京周辺

 3泊4日の関西展覧会めぐりから帰宅したところだが、書いていないレポートが溜まっているので、まずは東京編から。

東京国立近代美術館 企画展『下村観山展』(2026年3月17日~5月10日)

  関東では13年ぶりの開催となる下村観山(1873-1930)の回顧展。狩野派、大和絵、琳派、中国絵画そして西洋絵画まで、東西の伝統的な絵画表現を徹底的に学んだ画家なので、もちろんとびきり巧いんだけど、私はあまり好きな作品がない。金屏風多し。それから、岡倉天心をはじめ、ちょっと嫌な雰囲気の爺さん(一休禅師とか日蓮とか)を描いた作品が多いことも気になった。同時開催のコレクション展にも、平櫛田中作の岡倉天心像(鶴氅/かくしょう)が出ていて苦笑してしまった。

國學院大学博物館 企画展『和の硯-SUZURI-』(2026年3月7日~5月10日)

 元國學院大学教授・書道研究家の佐野光一(1950-2017)氏が蒐集した純国産1500面の硯から厳選した26産地・約200面を紹介。日本にもこんなに硯の産地があったことを初めて知った。しかし、既に生産・販売が行われていないものが多数あるのはやむを得ないところか。

泉屋博古館東京 企画展『ライトアップ木島櫻谷III-おうこくの色をさがしに-』(2026年4月25日~7月5日)

 今季は櫻谷の色彩表現に着目し、作品ごとに使用された色を円形のカラーチャートで分析している。『燕子花図』は、金と緑と青が「6:3:1の黄金比」だと解説されていたが、それって黄金比なのかな? 直前に根津美術館を見ていたので、カキツバタの花を群青、花弁の裏側を明るい青に塗り分けるのは光琳の流儀だが、スラッとした細身の花の姿は始興寄りだと思った。萼(がく)から花弁の裏(?)に白い模様が入っているように見えるのは櫻谷独特の表現。小動物を描いた作品が多めで楽しかった。ヘチマ畑のネコとか(菜園に猫)。 

神奈川県立金沢文庫 称名寺本尊開眼750年記念特別展『至高の宝蔵-金沢北条氏の遺した国宝-』(2026年3月20日~5月17日)

 1276年に称名寺本尊・弥勒菩薩立像が開眼してから750年になることを記念し、日本中世の東国を代表する称名寺の文物を紹介する。久しぶりに釈迦如来立像と十大弟子立像を拝見。地味な展示品だが、灰釉四耳壺(鎌倉時代)は、出土時にほぼ割れていたのを復元したもので、中国式のろくろ成型でなく、輪積み法で作られている、という解説が興味深かった。また、称名寺が仁和寺御流を継承することになったキーパーソンとして頼助(佐々目/笹目の僧正)という名前を知った。

荏原畠山美術館 2026年春季展『王朝のみやび-古筆、琳派 茶の湯の情景-』『守屋多々志の華麗な歴史画-よみがえる王朝と文明開化の夢-』(2026年4月11日~6月14日)

 「王朝のみやび」では、なんといっても『関戸本古今集切』が美麗で目の保養だった!藍紙で、中廻しの花鳥柄も愛らしい。酒井抱一の『富士見業平図屏風』は、業平のそばに赤い房飾りをつけた黒馬がいる。業平に黒馬は定番なのかな。第1展示室では、品のよい和装のお姉さんがお茶室等の説明をしていた。VIP待遇のお客様なのかな?と思いながら聞き耳を立てていたが、1組目が終わったら、お茶室内にいた別のお客さんにも同じような説明をして、去っていかれた。 床柱は東大寺の古材だとか、露地の石は島根県(?)産とか。「もとは靴を脱ぐ美術館でした」という説明を聞きながら、そうそう、とむかしを思い出したりもした。守屋多々志氏の作品は「源氏物語」などをテーマにした王朝歴史画が中心。「平成御大礼絵巻」シリーズ(神社本庁所蔵)が面白かった。

大倉集古館 特別展『中国宋・元・明時代の漆器-和の漆器や香道具とともに-』(2026年4月14日~6月28日)

 同館はかつて150点余の中国漆器を所蔵していたが、関東大震災に遭遇し、螺鈿の厨子と卓の2点を残して全て焼失してしまったという。本展は、2025年秋に上海博物館で開催された『紅翠闘芳菲:宋・元・明漆器珍品展』に出品されなかった(?!)作品の一部を展示するものだという。出品リストにはほとんどが「個人蔵」とあり、「無文」「犀皮」「堆朱」「堆黒」「堆黄」「紅花緑葉」「螺鈿」「存星」という8つのジャンル別に展示されている。堆朱・堆黒は、やっぱり宋代が一番のように思ってきたが、元や明にも魅力的な作品が作られていることを実感した。元代の『孔雀堆朱円盆』は力強いし、明代の『菊堆朱円盆』(めずらしい単一文)は愛らしかった。あと、全く予想していなかったのだが、国宝の『古今和歌集序』が出ていてびっくりした。

長沢蘆雪展(府中市美術館)お土産・グッズ紹介

 府中市美術館で開催されている、春の江戸絵画まつり『長沢蘆雪』(2026年3月14日~5月10日)が大評判である。後期は、平日に一回見に行ったあと、今週末が最後なのでもう一回見に行ったら、相変わらずの人気で、入場まで30~40分並んだ。ただし、中に入るとそんなに不愉快な混雑ではなかった。

 今日は展示作品以外について紹介。府中のお菓子屋さん・青木屋が作っているという蘆雪サブレ。かわいい、かわいいと見た目を愛でていたが、ひとつ食べたら美味しいので、ぺろっといただいてしまった。

 蘆雪最中は、無量寺のある串本町の和菓子屋さん儀平の商品。パリッとした皮に存在感があって美味しかった。お店のサイトを見たら、和歌山市の近鉄百貨店にも店舗があるみたいなので覚えておこう。

 今日は「なぞって描く蘆雪犬」のおたのしみコーナーが開設されていたのでトライしてみた。机に据え付けられたお手本にトレーシングペーパーを重ねて、筆ペンでなぞる。最後に蘆雪の落款を押してできあがり。2023年の『江戸絵画お絵かき教室』でも、蘆雪のスズメを模写してみるコーナーがあったが、模写は少しハードルは高い。なぞり描きだと気軽にチャレンジできて楽しかった。

 筆ペンとハンコが乾くまで畳めないので、いいおじさんおばさんが、自分で描いた蘆雪犬の絵をひらひらさせながら歩いていたのも微笑ましかった。

 図録はもちろん購入済みだが、それ以外は、無量寺の虎図のポスター(顔のみ、実物大)を購入してしまった。狭いアパートで壁があまりないので、玄関に貼ってみた。

 久しぶりに串本の無量寺にも行ってみたいが、その前に、この夏の和歌山県立博物館の特別展『蘆雪生動』(026年8月11日~9月23日)には絶対行こうと思っている。

さわやかな幕切れ/映画・木挽町のあだ討ち

〇『木挽町のあだ討ち』(2026年)

 気になっていた日本映画をようやく見てきた。公開からだいぶ時間が経っているので、ネタバレ込みで紹介しておこうと思う。江戸時代後期の文化年間、木挽町の芝居小屋「森田座」では仮名手本忠臣蔵が千秋楽を迎えた。大入満員の観客が芝居小屋から吐き出され、雪景色の街中へ散っていく。無頼者の作兵衛が目をとめたのは、女と見まごう美少年。この少年、美濃遠山藩士・伊能菊之助は、父の仇である作兵衛をずっと追っていたのである。たちまち始まる仇討ちの斬り合い。大勢の人々が見守る中、ついに菊之助は作兵衛の首級を上げ、喝采を浴びた。

 それから一年半後、同じ遠山藩士で菊之助の縁者を名乗る男、加藤総一郎が森田座を訪れ、菊之助がどうやって森田座にたどりついたのか、そもそも仇討ちは本当にあったのか、森田座の面々に聞き込みをしながら探っていく。

 【ネタバレ】やがて森田座をまとめる立作者の金治から語られた真実。金治は武士の出身で、菊之助の母・たえと旧知の仲だった。遠山藩では、家老の滝川が運上金の横領で私服を肥やしていた。菊之助の父・清左衛門は、若き藩主の命を受けて真相解明にあたり、家老の悪事の証拠を握ったが、逆に家老一味に目をつけられてしまう。窮地に陥った清左衛門は奇策に出る。信頼できる下男の作兵衛に因果を含め、自分を殺害させる。そして逃亡して江戸に潜伏中のところを息子の菊之助に討たれてもらう。みごと仇討ちを成し遂げた孝行息子となれば、家老一味も手が出せず、伊能家の安泰が図られるというものだ。

 訳も分からず、巻き込まれた菊之助は、幼い頃から可愛がってくれた作兵衛を討つ気になれない。亡き父の企みが分かっても、武士身分の不条理を嘆くばかり。そこで金治が脚本を書き、森田座の面々の協力によって、虚構のあだ討ちが演じられたのである。江戸の野次馬たちが見た作兵衛の首級は、小道具方の久蔵が制作した偽首だった。作兵衛は生き延びて、森田座で新しい人生をおくることになった(ようである)。

 あまり事前情報を入れていなかったが、総一郎が登場して仇討ちの詳細を調べ始めたところで、ははあ、偽の仇討ちだったという結末になるのかな、と思った。首級をどう解決するかは、小道具の名人・久蔵が登場したことで了解した。劇中で森田座の舞台に「寺子屋」が掛かっているシーンがあったので、まさか誰かの偽首?とも考えたが、それはなかった。目撃者の野次馬が全て共犯だったとか、もっと奇抜な展開も浮かんだのだが、まあ穏当な落着だったと思う。

 配役は隅々まで役柄にぴったりで、とても贅沢に感じられた。謎解きのナビゲーターとなる総一郎(柄本佑さん)の飄々とした味わいがとてもよくて、この作品は「ガチ時代劇」と思って見なくていいんだな、という雰囲気をそれとなくまとっている。作兵衛の北村一輝さんはもちろん芸達者なのだが、偽首を作りやすい顔で選ばれたような気もする(笑)。安本亀八の生人形を思い出した。

 連続ドラマだったら、もう少し善悪が二転三転するスリルを味わいたいところだが、映画はこのくらいスカッとさわやかに終わってよいと思う。雪の晩、血みどろの美少年による仇討ちに始まり、青空の下、人々の笑顔で終わる。ひとときの夢の国のような作品だった。