見もの・読みもの日記

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これから世界はどうなるか/世界秩序(田所昌幸)

〇田所昌幸『世界秩序:グローバル化の夢と挫折』(中公新書) 中央公論新社 2025.9

 子供の頃からなんとなく、世界は試行錯誤しつつも望ましい方向に進んでいくように思ってきたのだが、この10年くらい、期待が裏切られることが多くて、悲観的になっている。では、世界はこれからどうなっていくのか。本書は「グローバル化」(広域的秩序)をキーワードに人類の歴史を振り返り、来たるべき世界の可能性を考察する。

 最初に紹介されるローマ帝国は、地中海沿岸に広域的秩序を打ち立てた。しかしオリエントにはペルシャ帝国があり、最盛期(紀元2世紀)を過ぎると、ゲルマン民族が大量に流入して帝国領内に独自の王国を作り、地中海世界の一体性は失われる。

 13世紀、チンギス・ハーンの下で統一されたモンゴルはユーラシア大陸の大部分を含む巨大な帝国に成長した。しかし強大な領域をまとめる求心的な装置を持たず、14世紀のペストによる人口減もあり、15世紀には解体してしまう。

 次いでヨーロッパに技術的・経済的・政治的革新が起こる。ヨーロッパでは複数の主権国家が競争しながら進歩し、特にイギリスが19世紀以降のグローバル化を推進した。しかしグローバル化による密接な経済的・文化的交流も戦争の回避には役立たなかった。20世紀の2つの大戦によってヨーロッパは世界政治の主導権を失う。

 アメリカには建国以来の強力な孤立主義の伝統があったが、戦後処理の過程でソ連との関係が悪化すると、自由主義経済を推し進める強力なリーダーとなった。やがてソ連の自滅によって冷戦が終結すると、アメリカの一極優位の状態が出現する。その結果、アメリカ自身が戦後のグローバル化を支えてきた経済制度を軽視・破壊するようになり、開発途上国だけでなく欧米でもグローバル化への反発が顕在化している。

 世界が統合されるためのハードルは高い。ある時期に統合度が高まったとしても、多数の多様な主体をまとめあげていた力が弱まると、集団の内部に「他者」が生まれ、分解への力学が作用する。この描写は、私の好きな中国史で何度も見てきた風景を思わせた。それでは、この先、世界はどうなるのか。著者は4つのシナリオを挙げる。

 その1、再グローバル化が始動し、世界が1つの市場、1つの制度、1つの規範の下で統合される。このサブシナリオには「アメリカ主導」「中国主導」「米中共同統治」が挙げられていいる。しかし今のアメリカは、著者の指摘するとおり、国内で自国のグローバルな役割についての合意を形成できない状況である。中国も、共産党が自国優先の「愛国主義」を掲げている限り、グローバル化プロジェクトには成功しないだろうという考察に同意する。あり得るとしたら両国の共同統治だが、あまり平和的なものになるとは思えない。

 その2、新しい冷戦。米中対立を軸としつつ、そのどちらにも属さない(属したくない)第三の陣営を加えた3極が鼎立するシナリオである。中露に組み込まれたくない国々の存在は比較的想像しやすいが、アメリカをはじめとする西側諸国(ここに日本も入る)が、多くの開発途上国にとって必ずしも魅力ある開発モデルを提示できたわけではない、ということも覚えておきたい。

 その3、多数の世界。米中両陣営が冷戦期の米ソほど安定した集団にならない場合、世界は主要大国が合従連衡を繰り返す流動的な姿になるかもしれない。いわば「狭くなった舞台上に役者がひしめき合う」状態で、どういう政治が行われるのか、ちょっと想像がつかない。たぶん我々の知る「外交」とは、全く異なる工夫が必要になるだろう。

 その4、無数の世界。国家の持つ力の源は、自国領域の排他的支配である。ところが、現在、国境を超える交流を容易にする技術の発展はとどめようがないので、大国であっても国家の力は弱まる一方なのである。覇権国家の弱体化はいいことのようだが、国家による治安維持や福祉が解体された状態で、我々は安心して生活できるのか。人々が形骸化した国家を見限って、地域や血縁、宗教集団などに頼って生きていくとしたら、それは「新しい中世」の出現かもしれない。国家の形骸化がそんなに早いスピードで起こるとは思わないが、長い歴史のスパンでは、意外とあり得る未来ではないかと思った。

 当面の日本の課題は、戦後の日本にとって前提となっていたアメリカの帝国としての役割を、アメリカ自身が放棄してしまった後、どう振舞うかである。これからの日本は、独立したプレーヤーとして、友好国を増やし、心の許せない国とも無用の対立を減らしていくことが肝要であると著者は説く。この平凡かつ単純な対外政策の原則を、我が国の政府が理解してくれますように。