見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

極上上吉の1年間/2025大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』

〇NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~』全48回

 私がこのブログで大河ドラマについて書くのは、2017年の『おんな城主直虎』以来、8年ぶりである。この間、楽しんだ作品はいくつかあるが、作品との出会いを書き残しておきたいと思うほどではなかった。森下佳子さんの脚本は、ファンから「鬼」と呼ばれるほど情緒を揺さぶられるのだが、その背後には、資料や情報を読み込んだ上での知的な構成があって、そこが私の好みに合うのだと思う。

 制作発表があったのは2023年4月だというが、正直ピンと来なかった。主人公の蔦重こと蔦屋重三郎(1750-1797)の名前は知っていたが、私は、江戸の浮世絵・黄表紙にはあまり関心がなく、2010年にサントリー美術館で開催された展覧会『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎』も見たはずなのだが、感想も残していない。また、主演の横浜流星くんの名前も全く知らなかったので、え?そんな若い俳優さんで大丈夫?という感じだった。だが、2023年のドラマ10『大奥』を担当した大原拓氏がチーフ演出をつとめ、『JIN-仁-』の時代考証家・山田順子さんが関わるなど、私は出演者よりも、むしろスタッフの陣容が明らかになるにつれて、徐々に期待を高めていった。

 物語は、明和の大火(明和9/1772年)から始まる。再建された吉原だが、非公認の岡場所や宿場の女たちに客を取られ、経営は苦しかった。吉原の女郎屋・駿河屋の養子として育った重三郎(蔦重)は、思い余って老中・田沼意次に訴えに行くが、「お前は何か客を呼ぶ工夫をしているのか?」と諭され、新たな『吉原再見』の出版によって客を引き付けようと考える。ここから「出版」「書物」が自他に及ぼすパワーに目覚める蔦重。それを先導するように「書を以って世を耕す=耕書堂」という店の名前をプレゼントするのが平賀源内。そして、蔦重は、吉原の女郎屋から、地本問屋、浮世絵の絵師たち、狂歌師と黄表紙の作者たちなど、一歩ずつ世界を広げていく。一方、江戸城では、将軍・徳川家治の信任を受けた田沼意次が、幕府財政の改革に取り組んでいたが、強硬な施策は反発を生み、権力の帰趨をめぐって、さまざまな陰謀が仕掛けられていた。この「江戸市中」の物語と「江戸城」の物語が徐々に融合していくのが、終盤の手に汗握る見どころだった。

 まあしかし、見どころはそこだけではなく、どの回もずっと面白かった。この人が退場したら作品の魅力が半減するんじゃないかと思っていると、新しい魅力的なキャラが投入されたり、なんとなく存在していた人物が、急に面白さを発揮したりした。

 平賀源内が興味深い人物であることは知っていたけど。安田顕さん、ほんとに源内先生が生きていたらこんな感じだろうという納得感しかなかった。田沼意次は、むかしの教科書で習ったので、悪徳ワイロ政治家だ思っていたが、本作でかなりイメージを書き換えられた。ぜひ最近の研究書を読んでみたい。渡辺健さんは老いの演技がよかったなあ。将軍・家治については何のイメージもなかったので、今後は眞島秀和さんの印象が基準になりそう。死に際の鬼気迫る演技が忘れ難い。松平定信は、まさかこんなに面白い人物に描かれるとは思わなかった。井上祐貴さんには感謝しかない。

 そして、数々の陰謀の黒幕・一橋治済。【ネタバレ】になるが、本作では松平定信らが治済を眠らせて拉致し、治済と瓜二つの相貌を持つ阿波蜂須賀家の能役者・斎藤十郎兵衛(生田斗真さん二役)を治済の身代わりに仕立てることに成功する。私はそんなに多くの大河ドラマを見てきたわけではないが、ここまで振り切った「歴史改変」は珍しいのではないだろうか。しかし唐突な「歴史改変」ではなく、「ありえなくはない」説明を丁寧に積み上げてきた過程に信頼がおけたので、ドラマとして受け入れやすかった。後日談として面白かったのは、一橋治済にちゃんと天誅が下されないと、視聴者が納得しないのではないかという思いから、だんだんこの結末に傾いていったという森下佳子さんの説明。まるで敵討ちの首謀者になった気持ちで、このとき、生き残っていて敵討ちに協力してくれるのは誰か?を必死で探して、将軍家斉や、亡き家治の弟・清水重好を巻き込んだのだという。面白い。

 蔦重とかかわった本屋さん、絵師、作家たちは、みんな個性豊かで最高だった。森下さんは、おじさんの描き分けが大変だったというけれど、 朋誠堂喜三二(尾身としのり)、山東京伝=北尾政演(古川雄大)、恋川春町(岡山天音)は、今後、この名前を見るごとに彼らの顔が浮かぶと思う。喜多川歌麿(染谷将太)が、蔦重に対して根源的な恋心を抱いているという設定も大変よかった。これは森下さんご自身が丁寧に歌麿の作品を見て感じ取られたこと(春画『歌満くら』には、この人は性に対して嫌な経験があったんじゃないかと感じるものがあるとか、『歌撰恋之部』が恋文にしか見えないとか)と、考証家の先生が「ぼくは喜多川歌麿の絵の中に、すごく女性に対する理解とか、女性っぽい感覚を感じるんだ」とおっしゃるのを聞いたことが発端らしい。考証家ってどなた?と思ったら、東博の松嶋雅人先生ではないか。2025年の特別展『蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児』の企画担当者でもあるが、私は『あやしい美人画』(東京美術)の著者として記憶しており、女性像の読解には信頼のおける先生である。

 先週末、大河ドラマ館が閉館するというので、最後にもう一度、行ってきた。前回買うのをためらった復刻版(和装本)の黄表紙を購入しようと思っていたら、なんと全て売り切れていた。いや、和装本が売り切れるってファン層がマニアックすぎるでしょ、と苦笑してしまった。ゲストに制作統括の藤並英樹氏が来ていて、いろいろお話を聞かせてくれた。田沼意次ゆかりの静岡県・牧之原市と松平定信ゆかりの福島県白河市では、ドラマを縁に交流が始まり、昨年9月、牧之原市が竜巻被害に遭ったときは、白河市から応援が派遣されたという話には、ちょっと本気で感動した。蔦重と瀬川が夢見た「恩が恩を呼ぶ話」みたいで、めでたい。決め科白は、ありがた山。

盛世のミステリー/中国ドラマ『唐朝詭事録之長安』

〇『唐朝詭事録之長安』全40集(愛奇藝、2025年)

 人気シリーズの第3季。今季も面白かった! 老獪な頭脳派の蘇無名と、頑固な武闘派青年・盧凌風のバディを中心に、おなじみの仲間たちが、さまざまな怪事件を解決していく。今季は「康国的金桃」「成仏寺的哭声」「白澤的蹤跡」「諾皐記」「旗亭画壁」「天尺五」「借齢者」「盛世馬球」の8つのエピソードで構成されている。

 「康国的金桃」:盧凌風一行は、長安への帰途、西域の康国(サマルカンド)から献上された金桃を移送してくる。皇帝は金桃を臣下に分け与えるための祝宴を開くが、謎の怪鳥が飛来し、金桃を食べた人間を襲う。金吾衛大将軍の陸仝は片目を失い、長公主の護衛だった岑鷙は落命する。やがて怪鳥には、本物の鳥と、鳥を操り、自らも鳥の扮装で飛び回る人間の二種類がいることが判明する。鳥を操る怪人の正体は、西域の阿摩挪国の王子で、かつて唐の宮廷の奴隷とされ、辱められたことの復讐を志していた。正体を隠すため、鬼市で他人の顔を買ったという設定で、第1季「甘棠駅怪談」に登場した劉十七の周駿超さんが演じていたのが嬉しかった。この事件の解決後、盧凌風は雍州司法参軍に任ぜられ、蘇無名は刑獄博士(ウソっぽい職名)として従うことになる。

 「成仏寺的哭声」:第2季で秦孝白が降魔変の壁画を描いた成仏寺で怪異の噂が立つ。一方、女手一つで化粧品店を営む赤英の娘・舞陽が行方不明になってしまう。母の幸せを願いながら、その束縛を離れたい娘の葛藤という、現代的なテーマを扱っている。赤英役の楊昆さんは、昔気質の母親役が抜群に似合う女優さん。

 「白澤的蹤跡」:皇帝のもとに、明君の治世に出現するという白澤が現れたという一報が入る。蘆凌風と蘇無名、金吾衛の兵士数名、それに公主府から派遣された二名の女子(武官の李奈児とその従者)が加わり、山中に探索に赴く。夜半、怪しげな夫婦の住む寺廟に投宿するが、怪物が徘徊する気配があり、兵士たちが次々に犠牲になる。寺廟に祀られていた白澤神とは凶獣の敖天だった。さらに李奈児が上官婉児の娘で、皇帝の側近である金吾衛に恨みを持っていたことが判明する。

 「諾皐記」:さまざまな証言を積み上げて、事件の真相に迫っていく、いわば「羅生門」スタイル。登場人物の印象がどんどん変わっていき、最後は平凡な中年夫婦のいい話みたいな落ち着き方だった。

 「旗亭画壁」:詩人に憧れる阮家酒楼の主人・阮大熊は、当代の有名詩人、高達、王幼伯、冷籍を招いて酒宴を催す。高達は高適、王幼伯は王昌齢がモデルでないかとのこと。冷籍は第1季の登場人物らしいが、あまりよく覚えていなかった。

 「去天尺五」:タイトルの意味を調べたら、韋曲・杜鄠という大貴族の居住地が宮廷に近かったことに由来するらしい。本編にも長安県県尉の、万年県県尉の杜玉という官人が登場する。どちらも家系に強い誇りを持っている。しかし世の中は商人が幅を利かせ、金さえあれば悪行も裁かれない。二人は家族を傷つけた商人に復讐するが、発覚し、最後は従容と処刑される。この事件の後、蘇無名は万年県の県尉に任ぜられる。

 「借齢者」:中国古装ドラマでは、すっかりおなじみになった仵作(検死人)が主題。皇帝は、賤籍とされている仵作を救済するため、仵作大賽を開催し、上位五名を良民に引き上げることを考える。しかし、その結果、仵作たちの間に疑心暗鬼が生まれ、殺害事件が起きる。推理色強めで面白かった。

 「盛世馬球」:盔勒(クイルー)のスパイが長安に潜入しているとの情報がもたらされる(盔勒は鉄勒、敕勒と同じで北方系遊牧民族の総称)。折しも長安では、大唐チームと盔勒チームの馬球(ポロ)の試合が開催されることになっていた。盔勒のスパイ一味は、馬球のボールに火薬を仕込み、会場の爆破を計画していたが、未然に阻止された。皇帝と蘆凌風は馬球チームの一員として試合でも盔勒チームを退け、観客の熱狂を得る。皇帝が意外とスポーツマンだったのでびっくり。あと、国家の危機に臨んでは、公主がちゃんと皇帝に協力しているところがよい。この二人の権力争い、どうなるのか先が読めない(まあモデルの史実は知っているけど…)。

 今季は伝奇的なムードが弱めだったのは、少し残念。しかし、詩人に胡姫、琵琶、獅子舞、祆教徒(ゾロアスター教徒)、馬球など、唐朝風俗を次々に見せてもらえて楽しかった。いつも楽しみな盧凌風の武闘シーンは、特に序盤が見ものだった。「康国的金桃」では、なぜか(笑)槍が戻ってきたのが嬉しく、併せて剣も使う、目まぐるしいアクションを見せてくれた。シリーズ後半は司法参軍(裁判官)として裁きを行う場面が多めだったと思う。

 今季は薛環が盧凌風の下僚として本格的に活躍する。少年らしく、こらえ性のないところが、むかしの盧凌風に似ていてかわいい。情報収集役の楊稷もレギュラーになってくれるといいな。桜桃女侠も雍州府の暗探、蘇無名の護衛として大活躍だった。

 なお、今季は長安での生活拠点として、六合酥山というデザート店(アイスクリーム?)を開店、老費がその店長におさまる。そして別に家族というわけではない一同が、毎晩みんなで夕飯を食べるシーンが、微笑ましくて和むのである。

子どものための未来/映画・羅小黒戦記2

〇『羅小黒戦記2(ロシャオヘイせんき2):ぼくらが望む未来』(2025年)

 2019年に公開された中国アニメ映画『羅小黒戦記』の第2作である。お?続編が制作されたんだ?と思ってぼんやりしていたら、日本のアニメ・映画ファンの「面白い」「素晴らしい」「大好き」という声が次々にSNSに流れてくるので、慌てて見てきた。かなり期待度を上げて見に行ったのだが、それを余裕で上回って面白かった(見たのは字幕版)。

 作品世界には、人間のほかにたくさんの妖精が住んでいる。両者はこれまで平和的に共存してきたが、あるとき、妖精たちの拠点の1つ・流石会館が襲撃され、「若木」という秘宝が持ち去られる。若木は太古から受け継がれた素材で、これを銃弾等に用いれば、非力な人間でも妖精を殺傷することが可能になるものだった。

 その頃、主人公の小黒(シャオヘイ)は、師匠の無限(ムゲン)と平和な日々を過ごしていたが、妖霊会館の幹部たちに呼び出される。無限に若木強奪の嫌疑がかけられたためだった(そうか、無限は妖精の仲間に入っているが、人間だったと思い出す)。無限の身柄は哪吒に預けられ、二人は毎日テレビゲームをして時間をつぶす。小黒は、やはり無限を師匠とする師姐の鹿野(ルーイエ)とともに真犯人探しの旅に出る。次々に二人を襲う見えない敵。息をつかせぬ戦いの描写が素晴らしい。

 鹿野はめっぽう強い武闘派女子で、ぶっきらぼうだが小黒には優しく、師匠を一途に信じている。目的のためには手段を選ばない冷酷な一面もあり、そのため小黒と衝突する。それでも最後は鹿野を助けようと必死で後を追っていく小黒、ほんとにいい子だ。幼稚園児みたいなやんちゃ坊主から少し成長して、自分の力を自覚した少年の顔が見えるようになったのが頼もしい。

 妖精たちは、無限をめぐって疑心暗鬼になり、対立する。しかし、やがて真の敵は、妖霊会館の内部に潜んでいたことが判明する。力を合わせた妖精たちと、最後は無限自ら参戦することによって、敵は撃破され、ひとまずの平和が回復する。

 以上、ネタバレを避けると曖昧なストーリーメモになってしまうが、アニメーションの原点というか、キャラクターたちの「動き」が、柔らかくも激しくも自由自在で魅力的だった。妖精世界には、拠点から拠点へ瞬間移動する方法があるのだが、その出入口が壊されてしまったため、鹿野と小黒が飛行機に搭乗する一段がある。上空で、その飛行機を襲う敵の怪獣?妖怪?(なんと呼べばいいのか)、多数の人間の乗客たちを救うために鹿野と小黒、そして二人の監視のために乗り合わせた下っ端妖精の甲と乙が奮戦する描写には、文字通り手に汗を握った。

 鹿野は、幼い頃、親代わりだった師匠を人間に殺され、怒りと絶望にがんじがらめになった状態で無限に拾われ、少しずつその心を解きほぐされて現在に至るらしい。凄惨な前半生は淡々と控えめな描写で提示される。もし人間と妖精の戦争が起きたらどちらの味方をするか?と聞かれて、小黒は元気に「対的一方(正しいほう)」(だったかな?)と答え、鹿野は「妖精」と即答する。このへんも解釈が視聴者に任されているのが、嬉しいけれど、怖い作品でもある。

 日本のアニメが世界でファンを獲得してきたように、本作も国境を越えた普遍的な価値を持っているという、日本のアニメファンの評言には同感である。共生の難しさに直面している時代だからこそ、多くの人たちに見てほしい。と同時に、本作には中国文化の伝統を強く感じたところもある。たとえば親子でも主従でもない「師弟関係」の絶対的な重要性。異能の持ち主である妖精も「修行」は欠かせないこと。権力の帰趨を左右する宝物の存在。あ、地域の拠点が「会館」というのもの中国的だ。そして「人間」と「妖精」の戦いになっているけど、武侠ものではおなじみ、門派どうしの対立みたいなものだなと思った。

商人の国の製造業/中国ドラマ『淬火年代』

〇『淬火年代』全34集(愛奇藝等、2025年)

 はじめ読めなかった「淬火(ついか、cuihuo)」とは、金属やガラスなどの素材を加熱後、水や油などの冷却剤で急冷し、硬度と強度を高める熱処理のことをいう。全編を見終わると、なかなか味わい深いタイトルだと感じる。

 中国ドラマには、比較的近い過去を振り返る「年代劇」というジャンルがあって、本作は、年代劇の名作『大江大河』シリーズに位置付けられており、同じ東陽正午陽光公司の制作と聞いて見始めた。ドラマは1998年、主人公の柳鈞(張新成)がドイツ留学から一時帰国し、病気に倒れた父親・柳石堂の待つ東海市に向かうところから始まる。柳鈞は、父親の機械部品工場を預かり、ドイツ仕込みの技術力と管理方式で立て直していく。昔気質の技術者たちの抵抗があったり、企業秘密をスパイに盗まれかけたり、海賊版に苦しんだりしながら、仕事に復帰した父親と二人三脚で、新会社「騰飛機械製造有限公司」を立ち上げ、製造業の理想に向かって邁進していく。

 柳鈞のメンター役として登場し、数々の助言を与えるのが、宋運輝。すでに東海集団総裁の要職に就いている。『大江大河』第1作の田舎の高校生(笑)だった彼を思い出すと感慨深い。奥さんの梁思申も相変わらず自由で自立した雰囲気でよかった。雷東宝と韋春紅がちらっと1回だけ登場したのは『大江大河』ファンへのサービスかな。

 本作に登場する若い世代の女性たちは、それぞれ個性的で魅力的だった。林川(張月)は、林騰飛のライバル・市一機(公営の東海市第一機械工場)の大株主である林岳の妹で、自らも海勝集団の取締役をつとめる女性。兄の指示で柳鈞に近づき、ケンカをしながら本気で惹かれていくが、やがて自らの意思で身を引く。柳鈞がパートナーに選んだのは、銀行員の崔冰冰(宋祖児)。夫の柳鈞も生まれた娘も大事に思っているけれど、出産後は両親の反対を押し切ってすぐに仕事復帰し、イケメン秀才の夫に、全く遠慮なくずけずけ物を言うところが宋祖児らしい役柄で笑った。冰冰の友人で、人は悪くない御曹司の陸華東となかなか結婚に踏み切らない弁護士の陳其凡もよかった。

 柳鈞の親友・陳宏明は貧しい家の生まれで苦学して大学を卒業、機械の輸出公司に勤めていたが、不動産業に転身し、姉の陳宏英とともに事業を拡大していく。貧しい日々に戻りたくない陳宏明は、豪邸や高級車を手に入れ、莫大な財産を築いても満足することができない。いつか愛妻・沈嘉麗と娘・小桃子を裏切り、上海に愛人を囲うようになるが、妻に発覚してしまう。陳宏明は妻と娘を海外に移住させ、さらに事業の拡大に没頭するが、2007年、世界的な金融危機(リーマン・ショック)が中国にも波及。柳鈞の騰飛公司も吸収の危機に陥るが、社員たちの支持で、なんとか持ちこたえる。一方、追い詰められた陳宏明は違法な資金源に手を出した挙句、2008年初め、山奥の湖で自殺。陳宏明の姉の陳宏英は、柳鈞の父親・柳石堂と長年、恋人関係にあった。陳宏英は柳石堂に付き添われて自首、刑に服することになる。柳鈞は、半病人となってしまった沈嘉麗の負担を軽減するために、小桃子を引き取って育てることを申し出る。冰冰も同意。

 こうして中国の製造業は「冷え込み」の時代に入っていくが、柳鈞は高い理想と目標を持ち続ける。たまたま空港で出会った林岳に「いつか我々もああいう大きな飛行機を作ることができるようになるだろうか」と聞かれて「一定能(かならず)」と答えるところでドラマは終わる。逆に、2008年の中国の製造業って、まだそんなレベルだったのかということに驚いてしまった。この林岳という人物は、自分が「利益至上」の商人であることを自覚しており、一度は物理的な暴力まで使って柳鈞を追い詰めるのだが、「中国は、貴方のような人間を必要としている」とも言う。林岳を演じた朱雨辰は好きな俳優さんなので、ただの悪役でなくて嬉しい。利益至上の多数派と、少数の理想主義者が行き交うところが、あの国の面白さのような気がしてならない。

武侠迷から金庸先生に捧ぐ/中華ドラマ『華山論剣』(2)

〇『華山論剣』全30集(騰訊視頻他、2025年)

 「九陰真経」「東邪西毒」「南帝北丐」の感想は別稿にまとめたので、ここでは最後の「五絶争鋒」について紹介する。

■「五絶争鋒」全6集 

 「東邪西毒」「南帝北丐」の物語から10年くらい先になるのだろうか。ある晩、仮面の集団に両親を殺された少女・葭蘭は、武功の奥義書「九陰真経」の在り処を知る雄一の証人「活地図」となる。葭蘭を助けたのは黄薬師。妻の病を治療するため「九陰真経」の「療傷篇」を必要とする黄薬師は葭蘭を連れて桃花島に向かう。その途中、古い友人・欧陽鋒を石羊寨に訪ねた黄薬師は、その葬儀の場に行き当たる。

 欧陽鋒の兄の白駝山荘荘主・欧陽錯は、邪教の明教に帰順し、欧陽鋒を死んだと偽って地下牢に幽閉していた。黄薬師は欧陽鋒を救出し、葭蘭の保護を託す。欧陽錯は確保した葭蘭を明教の一味に引き渡すことで、人質になっている我が子・克児を取り戻そうとしていた。欧陽鋒は兄を退け、白駝山荘の人々とともに明教の軍勢に抵抗するが、多くの人々が命を失う。駆けつけた黄薬師の加勢によって明教軍は撤退したものの、復讐を誓う欧陽鋒は、「九陰真経」を手に入れるため、黄薬師のもとから葭蘭を強奪して去る。

 その頃、「活地図」葭蘭の行方を知った大理国の皇帝・段智興は、愛妃・劉瑛とともに欧陽鋒を追い、葭蘭を奪取する。しかし葭蘭は自ら白駝山荘の毒薬を服毒し、瀕死の病人だった。段智興と劉瑛は、全真教の本拠地である終南山に駆け込む。王重陽の弟子の全真七子たちが治療に当たってくれたが、そこに現れたのは洪七公。全真教の丐幇を見下した態度に対して、幇主として抗議に来たのである。乱戦の中で、二人目の洪七公が出現し、さらに混乱を招くが、正体は明教の李臥月だった。

 遊歴から戻った王重陽は、「九陰真経」の帰趨を決するため、三日後、武術大会「華山論剣」を行うことを宣言する。妻のため、復讐のため、国力のため、共同体の名誉のためなど、それぞれの理由で華山の山頂を目指す四人。しかし遅れてその場に現れたのは、明教教主の鐘絶聖と明教選りすぐりの達人たち。「九陰真経」をエサに江湖に抗争を引き起こしたのは明教の陰謀だった。戦う五絶の勇者たちのために「九陰真経」の口訣を暗唱する葭蘭、その意図をたちまち把握して明教教主を葬り去ったのは王重陽。「九陰真経」は王重陽のものとなり、四人はそれぞれの世界に戻っていった。

 アクションシーンには、さまざまなバリエーションがあって、どれもカッコよかった。私が一番好きなのは、華山の絶壁の山道を舞台にした段智興と洪七の格闘かな。もちろん特撮だろうが、むかし行った華山の風景を思い出して、肝が冷える思いで堪能した。「東邪西毒」「南帝北丐」の青年時代から月日が過ぎて、それぞれ抱える重荷ができた四人が戦うという設定も好ましかった。

 登場人物で一番魅力的なのはやっぱり欧陽鋒(高偉光)。葭蘭に「この世では強いことが正義なんだ」と語る場面、セピア色の画面が抒情的でよい。崋山論剣の前夜、どこかの客桟で飲み客たちが「西域人の欧陽鋒が九陰真経を勝ち取るなんて”痴心妄想”だろう」「死にに行くようなものだ」と無責任に放言しているのを、ひとりで豆か何かを齧りつつ、笑ってうなずきながら聞いている欧陽鋒には惚れた。そこに現れた兄の欧陽錯(趙魏)が、華山行きを止めさせようと説得するも頑として聞かない。

 明教に魂を討った欧陽錯だが、最後は弟を守って命を落とす。しかも「お前の骨肉」である克児を託して。黄薬師は何度欧陽鋒に裏切られても「彼は朋友だ」と言う。彼は全てを失った「可怜的(かわいそうな)人」だとも。人間が真に強くなるには、守るべき対象が必要だと黄薬師は考える。そして、その言葉どおり、華山を下りた欧陽鋒は幼い克児をおんぶして西域の故郷に帰っていくのである。『射鵰英雄伝』の結末は知っているのだけど、なんとかこの父子が幸せに長寿を全うする世界線はないものかとしみじみ考えてしまった。

武侠迷から金庸先生に捧ぐ/中華ドラマ『華山論剣』(1)

〇『華山論剣』全30集(騰訊視頻他、2025年)

 評価は分かれるかもしれないが、個人的には、かなり好きなタイプの作品だった。確か初期の情報では『金庸武侠世界』という総合タイトルで全5ユニットが制作される、という話だったように思う。2024年に原作の『射鵰英雄伝』のストーリーにほぼ準拠した(かなり端折ってはいたが)『金庸武侠世界・鉄血丹心』全30集が公開された後、残りはどうなるんだろう?と思っていたら、この夏、めでたく『華山論剣』のタイトルで「九陰真経」「東邪西毒」「南帝北丐」「五絶争鋒」の4ユニットが連続公開された。

■「九陰真経」全8集

 『射鵰英雄伝』前夜の物語。豊かな商人の家庭で幸せに育った梅若華は悪人・邱雲海に両親を惨殺されてしまう。たまたま遊歴の途中だった黄薬師に助けられ、武効を修得して復讐をするため、弟子入りを願う。黄薬師の妻・馮衡の口添えもあって、梅超風の名前を貰い、兄弟子たちとともに修行に励むが、復讐への執着は止み難く、武功の奥義書「九陰真経」をめぐって黄薬師と対立し、馮衡や兄弟子たちを傷つけてしまう。

 「九陰真経」下巻のみを得て桃花島を離れた梅超風と兄弟子の陳玄風は、黒風双煞と恐れられながら、西北に流れ着き、モンゴル人の集落で、しばし安楽な日々を過ごす。しかし梅超風を仇と狙う江南七怪の柯鎮悪に出会って両眼をつぶされ、陳玄風は幼い郭靖に命を奪われる。

 調べたら、梅超風の元の名前が梅若華というのは原作『射鵰英雄伝』にあるようだ。しかし両親を殺され、その復讐のため~というのは創作らしい。巧く作った物語だなと思った。梅超風は、黄薬師夫妻にも(陳玄風以外の)兄弟子たちにも十分な恩義を感じているし、桃花島の暮らしに愛着を持っている。陳玄風ももちろんそうなのだが、梅超風は復讐をあきらめることができず、陳玄風は惚れた妹弟子を見捨てることができず、二人で荒野にさまよい出る。むかしの少女マンガで見た不良カップルの物語みたいだと思った。

 そして、広い世界で頼れるのはお互いだけという状態で、陳玄風を失い、本当に天涯孤独になってしまう梅超風。憐れむべし。その後、長く郭靖を恨み続けるのも道理だと思った。

■「東邪西毒」全8集

 これは、青年時代の東邪・黄薬師(周一囲)と西毒・欧陽鋒(高偉光)が出会い、友情を結ぶ物語。舞台は巴蜀(四川省)。父親と二人で旅をしていた馮衡は、塩幇(塩商人)の一味に襲われ、父を殺され、崖落ちしたところを、近くで修行中だった黄薬師に助けられる。そこに通りかかったのは、西域から臨安府を目指して旅の途中だった欧陽鋒と二人の従者の一行。彼らは、塩幇・扈家と紫金堂・柴家の権力抗争に巻き込まれていく。紫金堂の女戦士・耽敏は欧陽鋒に恋をして追いかけまわすが、相手にされない。

 最強の武功の持ち主なのに、ずっと一人で修行を続けてきたため、人との付き合い方がよく分からない、コミュ障みたいな黄薬師がかわいい。一方、全く物怖じせずに人の懐に入っていく、いかにも育ちのよい好青年の欧陽鋒もむちゃくちゃかわいかった。これ、どこでどうやって陰険・凶悪な悪役キャラに変化するんだろう?とかなり戸惑いながら見ていた。耽敏の恋心に応える気はなかったようだが、最後は「朋友」として一緒に敵と戦い、自分を守って倒れた耽敏を手厚く葬る。

 全体に配役が濃くて、塩幇の足の悪い幇主・扈千手を尹鋳勝、紫金堂・柴府の当主・柴煜を連奕名。顔を見ただけで武侠ドラマ!という気分が盛り上がる。さらに柴府の隠居老人・柴穹(許君聡)が魅力的だった。黄薬師には負けるものの、欧陽鋒は全く歯が立たない武功高手ジジイ。しかしイタズラ好きで、ちょっと老玩童っぽい。中国人、こういう強くて自由なジジイが好きだよな。

■「南帝北丐」全8集。

 こちらは南帝・段智興(何潤東)と北丐・洪七公(明道)の物語。大理国の世子・段智興は江湖にあこがれて王宮を抜け出し、たまたま出会った洪七と意気投合して、お互いの持ち物を交換する。丐幇の一員に成りすました段智興は、大壮(王成思)と江湖の珍道中を楽しむ。洪七は、段智興と間違えられ、大理国との縁組を望む少数民族の女性たちに言い寄られて大弱り。大量の毒を飲まされるが、不思議な小坊主に命を救われる。

 洪七と段智興にはある因縁があった。洪七の父親は、もとは大理国の軍人で、段智興の父親である国王の段義長と固い信頼で結ばれていたが、あるとき、約束の援軍が派遣されず、妻を亡くし、自らも傷を負ってしまった。父親に託された敵討ちを果たすため、段義長と対峙する洪七。しかし自らの罪を自覚する段義長は抵抗しようとしなかった。そして恩讐ある者たちは死し、少数民族の女首領で、洪七に思いを寄せていた依火も乱戦の中で死んでしまう。段智興と洪七は、江湖でまた会うことを誓って別れる。

 これも巧くできた展開だった。段智興と洪七のメインストーリー以外に、おお!と膝を叩いたのは、謎の小坊主が「降龍十八拳」の秘訣を記した文書を洪七に与える段。小坊主の正体は虚竹だったのである(『天龍八部』には、喬峰が義弟の虚竹に伝授する一段があるらしい)。時代設定的には、このとき虚竹が生きていれば相当の高齢のはずだが、なぜ小坊主?という問いに対して、中国の配信動画のコメント欄で「天山童姥の弟子だから」と回答している人がいた。そうだ、天山童姥は何度でも若返る秘法を身に着けていたのである。しかし『天龍八部』の虚竹といえば最近作(2021年版)の純粋だが愚鈍なイメージが強くて、え?こんな賢い小坊主になっちゃうの?と笑ってしまった。

 本編の黒幕、大理国の転覆をたくらむ洒族大祭师は、どう見ても段延慶だったんですけど、いいのだろうか? 大理国王・段義長が修慶(2003年版『射鵰英雄伝』の欧陽克)なのに反応している人は多かったが、修慶さんには欧陽鋒をやってほしいなあ、いつか。

 最終ユニット「五絶争鋒」は別稿で。

ドラマ版と見比べ/映画・長安のライチ

〇董成鵬監督『長安の荔枝(ライチ)』(グランドシネマサンシャイン池袋)

 先日、ドラマ版を見終わった『長安的荔枝』、実は映画版も作られていて、この夏、中国でヒットしたらしい。そして、なんと中国語字幕・英語字幕版(日本語字幕なし)が期間限定で日本で上映されるというので見てきた。中国語字幕で映画を見るのは初めての経験だが、ふだんからネットで中国ドラマを中国語字幕で見ているので特に問題はなかった。

 主人公・李善徳(董成鵬、監督と主演)は、大唐・長安の上林署に勤める下級役人。気の強い奥さん(楊冪)と幼い娘の幸せな家庭のためにコツコツ働き続ける日々。あるとき「嶺南からライチを輸送するライチ使」の勅命が下り、上林署の上司と同僚たちは、これを体よく李善徳に押しつける。ひとり嶺南・高州に下った李善徳は、ライチ園や胡人の商人・蘇諒の協力を得て、テスト輸送の早馬を都へ走らせるが成功しない。成功させるには、宮廷の絶大な権力によるバックアップが必須と考えた李善徳は、いったん長安に戻り、官僚機構の間を嘆願して回り、最後は右相・楊国忠の支持を取り付ける。

 再び嶺南に赴いた李善徳は、大規模なライチ輸送部隊を組織して長安に向かう。貴妃の誕生日宴までの日限は11日。しかし、都が近づくと、替えの馬と人員が用意されているはずだった駅家はもぬけのカラ。ライチ輸送プロジェクトのため重税を課された農民たちは流民化してしまったらしい。やむなく馬を替えずに走り続けることで多くの輸送員が脱落。それでも胡人の蘇諒が(長江に?)船を出してくれたことで、なんとか遅れを挽回する。

 長安まであとわずか、陸路を馬で行く一行。そこに忍者のような暗殺隊が襲い掛かる(これは魚常侍の差し金だったかな?)。嶺南から李善徳に従ってきた林邑奴は李善徳を守って殉職。ただ1騎となった李善徳は宮廷の祝宴に駆け込み、ライチを献ずる。

 輸送の成功に満足した右相は、来年も李善徳をライチ使に留めおこうとするが、李善徳は、ライチと国民の生活の軽重を考えない右相の政治を批判し、都を去る。1年後、嶺南でライチ園の再建に励む李善徳とその妻子。そこにもたらされたのは、安禄山の謀反の知らせだった。李善徳は戦火で失われた長安の繁栄を思って涙する。

 2時間枠の映画としては、面白く、分かりやすくまとまった内容だった。登場人物の善悪も基本的にブレない。ドラマ版の李善徳は、かなりめんどくさい性格で、同僚から疎まれているのも納得なのだが、映画版だと、素直で好感度が高い。映画版のほうが、全体に登場人物が若くて、行動に裏表がない。ドラマ版はクセのあるおじさんばっかりで、そこが私の好みだったので、映画版はちょっと寂しい気もした。何刺史と趙掌書は、絶対ドラマ版推し。しかし、大スクリーンで見る中国各地の風景と、そこで展開するアクションは見ごたえがあって満足した。

 最も大きな違いは、映画版が「ライチ輸送に成功した上で、政治に不満を表明する」なのに対して、ドラマ版は「ライチ輸送に失敗し(たことにし)て、政治に不満を表明する」作りになっていることだ。これは全くの想像だが、映画版のほうが原作に近いのではないかと思う。想像が当たっているかどうか、ぜひ原作を読みたい。日本語翻訳版を出してほしい。

権力の都を離れて/中華ドラマ『長安的荔枝』

〇『長安的荔枝』全35集(騰訊視頻他、2025年)

 ヒットメーカーの馬伯庸原作。しかも2019年にドラマ化された『長安十二時辰』と同じ曹盾監督にして雷佳音主演と聞いていたので楽しみにしていた。『長安十二時辰』とはずいぶんテイストの異なる仕上がりだったが、満足している。

 唐の天宝13年(754)春、玄宗皇帝は政治に倦み、楊貴妃を寵愛していた(翌年には安禄山の乱が起きる)。6月1日の楊貴妃の誕生日の祝宴に合わせ、嶺南産の荔枝(ライチ)を取り寄せるようにという勅命が下る。嶺南と長安の間は五千里、どう急いでも10日以上かかる。ライチは腐りやすく、3日と持たない。宮廷の園林を管轄し、野菜や果物を育てる上林署の役人たちは大弱り。日頃から煙たく思っていた頑固者の李善徳にこの難題を押し付けてしまう。李善徳は妻を亡くし、幼い娘の袖児と二人暮らしだったが、やむなく娘を預けて単身で嶺南に下る。

 李善徳の亡き妻の弟・鄭平安は、名族・滎陽鄭氏の出自だったが、右相(モデルは楊国忠)の差し金で一族から除籍されてしまい、妓楼の陪酒侍郎を生業にしていた。折しも、嶺南刺史の何有光が右相と結託してあやしい動きをしていることが発覚する。右相と対立する左相とその片腕の靖安司司丞・盧奐は、鄭平安を嶺南へ向かわせる(盧奐を調べて、歴史上の実在人物だと知った)。

 図らずも嶺南で出会ってしまう李善徳と鄭平安。李善徳は愚直に与えられた任務の完遂を目指し、ライチを栽培する現地民(峒族)の人々や胡人の商人たちの協力を得て、ライチ輸送の目星をつける。ここで李善徳はいったん長安に戻り、確実に輸送を成功させるための資金や法的支援を求めて奔走するが、官僚制度の壁は厚い。最後は右相に直談判して支持を取り付ける。ここで一枚嚙んできたのが宦官の魚常侍。魚常侍は李善徳とともに嶺南に下る。

 いよいよライチ輸送隊が出発する直前、何刺史は唐に反旗を翻して決起するが、長年、何刺史に従ってきた趙掌書は魚常侍の側に付く。謀反は失敗。何刺史と右相の結託の証拠を握った鄭平安は欣喜雀躍して都へ向かう。当面の邪魔者を片付けた魚常侍は、ライチ園の木々を伐採するなど、専横の限りを尽くす。諫めようとする李善徳だが、都に残した愛娘の安否を持ち出されると何も言えない。

 莫大な費用と人民の労苦と引き換えに長安にもたらされたライチに満足する右相。しかし、これが本当に正しい政治なのか、と正論を述べる李善徳。慌てた魚常侍は配下の者に李善徳の殺害を命じる。危険を察して愛娘とともに即刻長安を離れようとする李善徳。それを探し回る暗殺隊と出会ってしまった鄭平安は、命を捨てて李善徳と袖児の安全を守る。

 そして誕生日の宴。聖人(皇帝)と貴妃に捧げられたライチは、外見には何も問題がなかったが、中身はすでに腐りかけていた。すかさず右相と何刺史の関係を告発する左相(全ては李善徳が仕組んだことだった)。もちろん魚常侍も責任を逃れられなかった。

 公開前の宣伝では、平凡な下級官人の李善徳が、知恵と勇気と仲間の協力によって「ライチの長距離輸送」という難問をクリアして、ハッピーに終わる物語なんだろうと勝手に思っていた。それが全く異なる展開で、確かに李善徳は難問をクリアする(無事に運ばれたライチは亡妻の墓前に供えられ、愛娘・袖児が賞味する)のだが、権力者の横暴と、それに翻弄される下層の人々の怒りが強く印象に残って終わる。

 李善徳は袖児を連れて嶺南に下り、以後、峒族の人々とライチ園の再建に取り組んで、平穏な日々を送ったように描かれていたが、悲しいのは、鄭平安(岳雲鵬)と従僕の少年・狗児。ちょっとおとぎ話みたいで、笑いながら泣いてしまう最期だった。鲫(鮒=フナ)三郎の若様と一緒に竜宮で楽しく暮らしているといいのだけど。この鄭平安はドラマ版のオリキャラらしいと聞いて驚いている。

 『長安十二時辰』ファンには嬉しいサプライズがいろいろ仕掛けられていた。重なる出演者が多いが、それぞれ前作とは異なる顔を見せている。何刺史(馮嘉怡)は、悪辣非道だが愛嬌があって憎めなかった。「今の皇帝は自分と顔がそっくりらしい」と言わせるのはズルい。かつて殺害した海賊の頭目の娘に仇を討たれるのだが、最後のセリフ(好玩阿!)までカッコよかった。何刺史の幕僚・趙掌書(公磊)は気まぐれな権力者の下で必死に生きている苦労人の愛妻家で、これも憎めなかった。蔡鷺さんの藍哥も、タイプは違うが境遇は同じかもしれない。魚常侍役の蘆芳生さんは、こんな嫌な役柄で見たのは初めて。かなり体重や筋肉を落としたんじゃないかと思う。

 登場人物たちには、それぞれ複雑な因縁があるのだが、各回、本題のストーリーの前に、過去の物語を少しずつ見せていく進行は面白かった。しかもアニメを使ったり人形劇仕立てにしたり、工夫されている。終盤に行くほど、登場人物のひとりひとりに愛着が湧くドラマだった。

育てられた復讐者/中華ドラマ『蔵海伝』

〇『蔵海伝』全40集(優酷、2025年)

 人気俳優・肖戦(シャオ・ジャン)主演の復讐古装劇ということで注目を集めていたドラマだが、私はあまり感心しなかった。舞台は架空の王朝・大雍(雰囲気は明代)。欽天監監正・蒯鐸の幼い息子・稚奴は、ある晩、辺境に派遣されていたはずの父親が、突然帰宅したことを知る。蒯鐸は妻と子供たちを集めて、ともに旅立とうとするが、武装した一団に踏み込まれ、一家は殺害される。ただ地下室に隠れていた稚奴だけが生き残り、仮面の人物・恩公に助けられる。

 稚奴は都を離れた土地でさまざまな教育を受けて育つ。10年後、青年となった稚奴は蔵海という名前を得て、師父のひとり高明とともに、両親の仇である平津侯・荘蘆隠を討つために都に戻ってくる。蔵海は風水や土木・木工の知識で平津侯に気に入られ、その食客となる。平津侯には正妻の子・荘之甫と亡き愛妾の子・荘之行という二人の息子がいた。遊び人だった荘之行は、蔵海の助言で武士の本分に目覚め、父親を喜ばせる。

 10年前、平津侯が蒯鐸一家を襲ったのは、蒯鐸が辺境から持ち帰った「癸璽」を奪うためだったことが分かってくる。癸璽は草原の異民族国家・冬夏に伝わる宝物で、瘖兵(ゾンビみたいな不死の兵士たち)を呼び出すことができると言われていた。絶大な兵力=権力を手に入れるため、蒯鐸を陥れたのは、大将軍の平津侯、太監の曹静賢、そして三人目は冬夏国の女王と見做された。蔵海は、枕楼の女老板にして、実は冬夏から大雍に人質として送られた公主の香暗茶を憎からず思っていたので衝撃を受ける。しかし、これは誤情報だったことが分かる。

 【ネタバレ】平津侯、曹公公を倒した蔵海の前に恩公が現れ、仮面を脱いで素顔を見せる。恩公の正体は内閣次輔の趙秉文で、癸璽の在処と三人目の仇敵を蔵海に暗示する。確かに癸璽は見つかったものの、蔵海は趙秉文こそ三人目の仇敵ではないかと疑う。そしてその疑いが証明されるときがきた。蔵海と香暗茶は冬夏国の聖地、かつて父の蒯鐸が癸璽を発見した地下の聖堂を探し当て、癸璽の真実を知る。権力の妄念に囚われた趙秉文は瘖兵の幻覚によって命を落とす。

 ざっとこんなあらすじ。蔵海、香暗茶、荘之行が10年前の幼少時代に出会っていたり、蒯鐸と若き日の皇帝が身分を超えた友情を育んでいたり(それゆえ、蒯鐸は危険を冒して癸璽を皇帝に届けようとし、蔵海は皇帝に救われる)、よくも悪くも過去の因果が現在につながる話のつくりは私の大好物である。しかし、三悪人の平津侯、曹公公、趙秉文が幼い頃、大雍学宮という学び舎で、肩を寄せ合うように過ごした苦学仲間だったというエピソードは、あまり活かされていなかったように思う。趙秉文が蔵海を助けて、旧友二人に対する復讐者に育てた理由もよく分からなかった(癸璽を探し当てることを期待したというが、まだ海のものとも山のものとも分からない少年にそんな期待をするかなあ)。

 平津侯・荘蘆隠を演じた黄覚さんは、弱気な中年男のイメージが強かったけど、押し出しがいいので歴戦の武将役がハマっていた。単細胞でなく、繊細な葛藤を抱えている役柄なのもよかった。曹静賢の邢岷山さんは昆劇出身の方らしい。太鼓の連打で軍勢を指揮したり、興に乗ると京劇(かな?)の一節を口ずさむところが、いかにも中国古装劇のキャラクターらしくて楽しかった。

 あと、荘之行の周奇くんは『大理寺少卿游』の陳拾で顔を覚えた。荘蘆隠と荘之行、父と息子の一騎打ちシーンが個人的にはクライマックス。二転三転する途中の展開はそこそこ面白かったのだが、最後は急ぎ過ぎで、全編を通してのカタルシスが希薄だったように思う。

歳を重ねて見えるもの/映画・さらば、わが愛 覇王別姫

〇陳凱歌監督『さらば、わが愛/覇王別姫』(Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下)

 映画『国宝』ブームの影響か否か知らないが、『さらば、わが愛/覇王別姫』の再上映があると聞いて、慌ててチケットを取って見て来た。私は1994年の日本初上映、2007年の特集上映「中国映画の全貌」でも見ているので三度目になる。同じ映画を三度も劇場で見たことは、この作品しかない。

 冒頭、無人の劇場(体育館みたいな無機質な空間)に、項羽と虞姫の扮装をした二人が稽古のために入ってくる。照明係の老人(たぶん)の声が「四人組がいなくなって、ずいぶんよくなった」と語りかけ、これが文化大革命終結後の場面であることを伝える。それから、物語は過去へ。

 1924年の北京、女郎の私生児である小豆子(字幕では小豆)は、母親によって京劇の劇団に預けられる。実質、棄てられたと言ってよい。おそらく生きる術のない女児は妓楼に売られ、男児は劇団に入ることで、なんとか命をつないだのだと思う。周りのいじめや厳しい修行から小豆子を守ってくれたのは兄貴分の石頭。二人は助け合いながら育っていく。

 私は、この少年時代の物語がとても好きなのだ。劇団を率いる関師傅は、旧時代人らしい鬼師匠だが、芸を磨き、観客の歓心を得ることしか、少年たちに生きる道がないことをよく知っている。また深く京劇を愛し、京劇隆盛の時代に生まれ合わせたことを感謝しろ、と少年たちに言い聞かせる。身体的な鍛錬には妥協を許さない一方で、覇王とは誰か、なぜ覇王が敗れたか、という芝居の背景や解釈をきちんと言葉で教える姿もよい。関師傅は「全ての人には命(運命)がある。それに逆らってはいけない」という哲学を持っている。そういったあれこれを踏まえて、少年たちが声を揃えて「垓下歌」を練習する場面がとても好き。

 成長した二人、小豆子は程蝶衣(女役)、石頭は段小楼(男役)を名乗り、京劇の人気コンビとなる。蝶衣は、単なる共演者を超えた愛情を小楼に抱いていたが、小楼は舞台は舞台、私生活は私生活と割り切って、妓楼の売れっ子・菊仙を追いかけていた。小楼を気に入り、押しかけ女房になってしまう菊仙。嫉妬する蝶衣はあてつけのため、演劇評論家にして没落貴族の袁世卿に近づく。

 折しも1937年、日本軍が北京に侵入。蝶衣は日本軍の宴席に招かれ「牡丹亭」を披露することになるが、将校の青木は蝶衣を丁重に扱って返してくれた。戦後、日本軍が撤退すると、国民党政府は、利敵行為を働いた疑いで蝶衣を逮捕。小楼や袁世卿らは「日本軍に脅迫されてやったこと」と弁護するが、蝶衣は法廷でそれを否定してしまう。劇場に乱入した国民党軍との小競り合いで流産した菊仙は、蝶衣が小楼から離れることを願い、小楼にも芝居を忘れることを強要する。阿片に溺れる蝶衣。1949年、共産党中国の成立によって、時代は再び転換を迎える。

 小楼と菊仙の献身によって、ようやく蝶衣は阿片から立ち直り、小楼とともに再び舞台に立つが、共産主義に心酔する新世代の若者たちの反応は二人を困惑させた。その頃、かつて二人が拾って劇団に招き入れた赤子の小四は、共産主義青年の急先鋒になっていた。1966年、文化大革命が始まり、旧貴族の袁世卿は糾弾の標的になる。次いで、長年、京劇劇団の元締めとして二人とつきあいの深かった那老板が、自己保身のため、小楼と蝶衣を告発する。紅衛兵に縛り上げられ、お互いに過去の汚点を暴き合い、罵ることしかできない小楼と蝶衣、そして菊仙。三人は命だけは助かったが、菊仙は首を吊って自殺してしまう。

 何年後か、おそらく小楼は還暦を超え、蝶衣もそれに近い年齢だろう。二人だけの「覇王別姫」の舞台で、蝶衣は覇王の腰から抜いた剣を自分の首筋に当てる。それは、少年時代に芝居の褒美として賜り、巡り巡って手元に残った本物の剣。

 実はディティールは忘れていたことが多くて、物語に引き込まれた。初見のときは中国の近代史に不案内だったので、何が起きているのか分からなくて困惑したことを覚えている。逆に2回目は、少し歴史が分かるようになっていたので、政治的な激動に注目し過ぎてしまったように思う。今回は、小楼、蝶衣、菊仙の三人の関係性が強く印象に残った。ぶつかり合い、嫉妬し、反目しながら、支え合ってきた三人。しかし政治的な極限状況は、彼らの絆さえぶった切ってしまう。競って罵り合う小楼、蝶衣の、舞台上の煌めきとは別人の醜悪さ。信頼していた夫に「お前は淫売だ」と罵られた菊仙の、勝ち気な顔に影を差す絶望。鞏俐、好きじゃないけど巧いわ。時代に関係なく、人間の本質ってこういうものかもしれない、という諦め。そして関師傅の「命(運命)に逆らってはいけない」という哲学を思い出す。いろいろな読み解き方のできる映画である。