見もの・読みもの日記

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遺民画家・八大山人/明末清初の書画(書道博物館)

台東区立書道博物館 『明末清初の書画-八大山人生誕400年記念-』(2026年1月4日~3月22日)

 東京国立博物館と台東区立書道博物館の連携企画第23弾は、漢民族が統治する明から満洲族の清へと王朝が交代した激動の時代「明末清初(17世紀前後)」にスポットライトを当てる。

 私は先に東博の『明末清初の書画-乱世にみる夢-』(2026年1月1日~3月22日)の前後期を見てきた。はじめに王朝交代(しかも漢民族から異民族)の先例「宋末元初」の作品が少しだけ出ていた。2つの王朝交代は似ているようで異なることが多く、宋元交代は既存の文化システム(たとえば宋の宮廷画院)の崩壊を生むが、明清交代は文化システム(儒教、文人画理論)は継承され、その再生が問われた時代だったという。この総括は、今回、書道博物館の展示を見ることで少し理解できた。

 東博では、当時の文人たちを「烈士(明と運命をともにした)」「遺民(清に仕えることを拒否した)」「弐臣(明清両朝に仕えた)」そして「日本への亡命者」というカテゴリに分類して紹介しており、身もフタもないと思ったが、中国の人々にとっては、作品を賞玩する上でこの区別が重要だったことは理解できた。これまで名前と作品だけ知っていた倪元璐が、清軍の侵攻を受けて北京が陥落すると、皇帝に殉じて縊死した「烈士」であったことは初めて知った。また、王鐸の書が「弐臣の書」として蔑視されてきた話には苦笑してしまった。清・乾隆期以降になると、ようやく人品と書品を切り離した評価が行われるようになったそうである。

 書道博物館の展示にも「烈士」倪元璐や「弐臣」王鐸の作品が出ていたが、中心となるのは「遺民」の八大山人(朱耷)である。私の大好きな『安晩帖』(泉屋博古館所蔵)が2/23~3/8に出ると聞いていたので、先週末2/28に見に行った。『安晩帖』は2階の特別展示室に置かれていて、室内には監視員が常駐していた。開いていたのは「12.冬瓜鼠図」。展示には題名が付いていなかったので、ヘタつきのデコボコした大きな野菜の正体はよく分からなかった。ベレー帽を被ったような小さなネズミが野菜の上に張り付いている。ネズミの背中から尻尾の輪郭は、薄墨の滲んだ筆で一気に描かれているが、ネズミの顔と耳は、針金のように細い線で縁取られている。初見か、見たことのある図か、判断が付かなかったが、実は2017年と2018年にも見ていた。壁に貼られていた予定表で、このあとの展示替えが把握できたので(Xやインスタには流れていたらしい)今日3/7に再訪してきた。今日の展示は「13.菊鶉図」で初見。ちらほら菊の花の見える籬の下に二羽のウズラが身を寄せ合っている。とはいえ、どちらも三白眼を上に向けていてあまり可愛くない。手前の黒っぽいウズラは片足立ちである。もう一羽のウズラ、それから菊の籬には、かすかに彩色がされているようにも見えた。これで『安晩帖』全20図のうち、「2.瓶花図」「4.山水図」「6.魚図」「7.叭々鳥図」「10.蓮翡翠図」「12.冬瓜鼠図」「13.菊鶉図」の計7図を見たことになる。

 本展では、初めて存在を知った八大山人の作品がいくつもあった。武者小路実篤記念館所蔵『乙亥画冊』は全8図。先週は第6図(花木の下に眠る釣り目のネコちゃん)、今週は第7図(二股の尾をピンと跳ね上げ、葡萄(?)の樹を見上げる小鳥)を見ることができた。第7図の画面に垂れ下がる植物のツルか枝らしきもの、応挙の『藤花図』の筆さばきを思わせる。個人蔵『花朝渉事図軸』は、宿紙みたいな黒っぽい紙に、岩と岩陰の菊を描いているのだろうか。何が描かれているのかサッパリ分からないのだが、線の勢いと黒白のバランスが気持ちいい。若冲の水墨画に通じるものがある。もう1つ個人蔵の『魚岩図軸』は、水中の景色なのだろうが、山の上の天空にサカナが浮かんでいるようにも見える。宇宙人のように無表情な黒目のサカナ。

 私は八大山人の書も好きなので『行書臨河序六屏』や『酔翁吟巻』を見ることができたのも嬉しかった。あと「八大山人へのオマージュ」として、趙之謙、呉昌碩、斉白石らが紹介されていたのも我が意を得た感じ。趙之謙は「倒垂蓮」を描くのは八大山人に倣った、と書いているのだが、江戸の琳派や若冲には「花を下にした蓮」の図様ってなかっただろうか? 気になっている。数は少なかったが石濤も見ることもできて満足。

 長くなるが、どうしても気になることを1つ書いておく。本展の図録には「参考」として八大山人の『癸酉画冊』(1683年)の全10図が収録されている。この第9図(蟹図)は半分以上が黒く塗りつぶされた蟹の図で、図録の裏表紙にもなっており、図録収録のコラムで富田淳氏が詳しく論じている。しかし、この画冊の所在がよく分からないのだ。ネット(中国絵画史ノート)で調べた情報では「1683年癸亥康熙二十二年58歳《癸年花鳥冊》10開 30.2×30.2cm 日本 金岡酉三」がこれに当たるようである。いつか現物を見たい…。

 最後に書道博物館のロビーにあったパネル。八大山人くんの元ネタは黄安平による肖像画だな。なぜか王鐸くんは顔ハメになっている。