〇板橋区立郷土博物館 没後160年記念展『高島秋帆~高島平のはじまり~』(2026年1月24日~3月15日)
東京在住の江戸絵画ファンなので、毎年この時期は、府中市美術館と板橋区立美術館の企画展を楽しみにしている。ところが、先日、SNSで板橋区立郷土博物館の『高島秋帆』展が面白いという情報を見た。3月14日から始まった板橋区立美術館の『焼絵』展とハシゴできるのはこの週末しかない。ということで、さっそく行ってきた。美術館には何度も足を運んでいるが、500メートルも離れていない郷土資料館を訪ねるのは初めてのことになる。
まず2階の特別展示室へ。高島秋帆(1798-1866)は、長崎の町年寄の家に生まれ、日本で西洋流砲術を完成させた砲術家である。本展は、江戸時代の軍事の近代化の端緒となり、高島平の地名の由来にもなった高島秋帆と西洋流砲術の歩みを紹介する。
高島秋帆については、ほぼ名前くらいしか知らなかったので、いろいろ面白かった。秋帆は、出島のオランダ人らを通じてオランダ語や洋式砲術を学び、私費で銃器等を揃えて高島流砲術を完成させ、天保12年(1841)5月9日には、武州徳丸原(徳丸ヶ原)で大規模な洋式砲術演習を行い、幕府や諸藩が洋式砲術に注目するきっかけを作る。しかし翌年、西洋嫌いの鳥居耀蔵に妬まれて讒訴され(長崎一件)、嘉永6年(1853)まで武蔵国岡部藩(現在の埼玉県深谷市)に預けられて幽閉された。面白いのは幽閉中も諸藩が秋帆に接触し、洋式兵学の教えを受けていた記録が残っていたこと。
これは幽閉中の秋帆である(全裸か!)。

そこでようやく思い出したのだが、大河ドラマ『青天を衝け』の序盤では、玉木宏が幽閉中の高島秋帆を演じていた。無精ひげの伸びた、恐ろしげな囚人の姿で登場したと記憶しているが、事実はだいぶ違っていたようである。
その後、江川太郎左衛門ら門人たちの願い出もあって赦免された秋帆は、幕府の講武所の師範となり、砲術の指導に尽力した。また、田原藩の村上範致、上田藩の八木剛助、赤松小三郎などの弟子たちによって、高島流の洋式砲術が各地に広まっていった。
秋帆の書画もいろいろ出ていたが、群を抜いて魅力的だったのがこの『猛虎図』(長崎歴史文化博物館所蔵)。「江戸絵画まつり」に出したくなる。疑獄事件で長崎から護送されるときに見た見納めの富士山を、後年、絵に描いて自宅に掛けていたというのもよかった。

なお、秋帆の名声はその後も高まり、大正時代には陸軍を中心とした顕彰運動によって徳丸原遺跡碑が建てられた。さらに戦後、かつての徳丸原に団地建設計画が決定した際、高島秋帆の姓と地形の「平」から「高島平」と名付けることが、1968年に発表された。そうなのか! 私は東京生まれだが、板橋一帯には縁がなかったので、全く知らなかった。今でも高島平にある一部の学校・幼稚園の校章・園章には、秋帆の家紋「重ね四ツ目結」がデザインされているそうである。
1階の常設展示によれば、地名の「板橋」は、旧中山道が石神井川を渡る地点に架かっていた「板橋」に由来すると伝わるが、実際は「イタ」は崖、「ハシ」は端(ハシ)の意味で、武蔵野台地の端に位置する地形を表したものと考えられている。
いまの板橋区東部には加賀藩前田家の下屋敷があり、幕末に加賀藩は、この下屋敷で西洋式の大砲造りをしていたそうだ。なぜか都内で板橋区のモスバーガーだけが「金沢カレーカツバーガー」を販売しているというポスターを資料館の中で見て、不思議に思ったのだが、そういうご縁があるらしい。さらに、モスバーガーの1号店は、1972年、成増駅の名店街に誕生したということも初めて知った。いやあ、郷土資料館って楽しいな。
もう1つおまけ。展示室外に飾られていた「昭和30年代」のひな人形セット、急に記憶がよみがえって、我が家にあったもの(ガラスケースに収めるタイプだった)と似ているような気がした。人形の顔や衣装は全く覚えていないのだが、ぼんぼり、三人官女の持ちもの、菱餅、お膳などの小道具が完全に記憶と一致するのである。

高度経済成長期の始まりの頃、量産型のひな人形なんだろうな、たぶん。