早朝5時、暗いうちに家を出て羽田空港に向かう。もう少し遅い時間の出発でもよかったのだが、ぎりぎりに決めたので、フライトを選べなかった。10か月ぶりの松山空港に到着。ちょっときれいになっている?と思ったら、2025年10月に展望デッキなどのリニューアルが完成したそうだ。中山駅近くのホテルに荷物を置いてフリーになったのが12時過ぎ。機内食でお腹はふくれているので、このまま観光に出かけることにする。
今回、台北の街歩きができるのは初日のみなので迷ったが、最近、家近亮子氏の『蒋介石』を読んだこともあって、中正紀念堂を訪ねることにする。前回見学したのは2020年頃だったかな?とぼんやり記憶を探っていたのだが、いまブログ内を調べたら、それは国父紀念館のほうだった。ということは、たぶん25年ぶりくらいの訪問になる。
中正紀念堂は、伝統的な牌坊の奥に聳える、白い壁と青い瓦の楼閣。最上階のホールには「倫理」「民主」「科学」を背中に蒋介石の巨大な銅像が座している。

中正紀念堂(および国父紀念館、忠烈祠)の名物といえば衛兵交代式なのだが、そういえばホール内に衛兵がいないぞ?と思ったら「儀仗隊のパトロールおよびパフォーマンス」は「中正紀念堂の真正面の階段の下で実施します」という「公告」が掲示されていた。あとで調べたら、衛兵は、現代の民主主義社会にそぐわないという判断から、2024年7月15日に廃止されたそうだ。
毎時ちょうどの儀式は残されており、儀仗隊は中正紀念堂の巨大な楼閣の左右から登場、観光客が取り巻く中で、銃剣を自由自在に扱う華麗なパフォーマンスを行い(階段下なので、上から見物する観光客もいる)、また引き上げていく。完全に観光化されたパフォーマンスの中に、軍事政権の名残りがほの見えるところが、後述の展示との関係でもいろいろ感慨深かった。

中正紀念堂周辺は文化芸術エリアとして整備されており、紀念堂の左右には、国家戯劇院と国家音楽庁が設置されている。また、紀念堂内のギャラリーでも、さまざまな書画や児童画の展覧会が行われていた。
もちろん蒋介石に関する常設展示もあり、愛車のキャデラック、軍服から日常着まで数々の遺品、海外要人との写真などが展示されている。中でも興味深かったのは「政治案件批示」と題した公文書(複製)の展示で、蒋介石は、部下から上がってくる報告書にさまざまな指示を書き入れている。これ、清朝皇帝の「硃批」と同じじゃないか、と苦笑いした。しかも、軍事法廷における審判結果について、総統の権限は審判の正当性を判断するのみで直接判決を変更してはならないと明確に規定されていたにもかかわらず、たびたび反乱事件の量刑を重くする介入をおこなった。蒋介石の介入によって死刑に変更された者は259人に及ぶ。胡適は総統の「憲法違反」を指摘したが、蒋介石は批判を受け入れなかったという(以上、日本語の解説あり)。胡適先生の生涯、苦労の連続だなあ…。
しかし中正紀念堂を名乗る展示施設にかかわらず、蒋介石とその独裁政権時代の「暗黒面」を赤裸々に公開する態度には感心した。上滑りの顕彰でない展示を見て、逆に執務風景の蝋人形に複雑な人間味を感じてしまった。

そして、常設展示エリアでは「自由花蕊(Flowers of Freedom)」と題した大規模な展示も行われていた(2025年11月24日~)。初めに「国際民主浪潮(International Waves of Democracy)」と題した年表があって、第二次大戦後から現代までの自由と民主主義を求める社会運動・事件を紹介する。

ハンガリーの1956年革命があり、プラハの春があり、韓国の光州事件や中国の天安門事件も取り上げられていた。アフリカやヨーロッパについては、すぐに分からないものも多くあり、自分の知識不足を痛感した。
続く「噤聲年代(The Era of Imposed Silence)」では、台湾国内の戒厳令下の過酷な言論弾圧の実態を紹介する。

まあ長髪の禁止とか夜間外出の禁止とか、武侠小説の禁止(起義=武装蜂起を扇動するから)とか、今となっては笑える事例もあるのだが、政府批判によって肉体と精神を痛めつけられ、本人だけではなく家族や子孫のトラウマとなってきた事例が、淡々と多数紹介されている。蔡焜霖(1930-2023)氏は政治犯として10年間投獄された経験を持つ。名前を見ても分からなかったが、最近、日本語訳が出版されたマンガ『台湾の少年』のモデルの方だとあとで分かった。展示室の最後には蔡焜霖氏の好きだった「千の風になって」が日本語で流れていだ。
台湾がこのように「民主主義の優等生」をアピールするのは、もちろん生き残りのための外交戦略だろう。小国の立場で軍備拡張を競うよりは賢いと感じる一方、最大のアピール先であったはずのアメリカが今の状況では、いろいろ悩ましいのではないかとも思った。
長くなってしまったので、以下別稿とする(2026/1/1記)