〇家近亮子『蒋介石:「中華の復興」を実現した男』(ちくま新書) 筑摩書房 2025.8
蒋介石(1887-1975)には、特に関心を持っていたわけではない。大陸中国のドラマでは悪役側だし、台湾史でも民主化を阻んだ独裁者の印象が強い。それが、ちょっとした気の迷いで472ページもある極厚の新書に手を出してしまい、最後まで読み切った。家庭生活など、初めて知ることが多かったのと、政治家としては、あらためてその評価について考える機会となって、面白かった。
はじめに生涯の概略をまとめておく。蒋介石は1887年(清朝の洋務運動期)浙江省奉化県渓口鎮の生まれ。実家は塩舗を経営していた。青年時代、日本に留学して東京振武学校で学び、陸軍高田連隊に入隊する。この間、辛亥革命が勃発し、帰国。いろいろあって、孫文の中華革命党に入党。
1924年1月、広州で国民党一全大会が開催される。孫文は国共合作による国民革命の達成に期待を持っていたが、蒋介石は、これに先立つソ連視察の印象からも、共産党の介入に強い懸念を抱く。孫文没後、中山艦事件を契機として、蒋の反共傾向はさらに強まる。1928年、国民政府は全国統一のための北伐を完成(張学良は国民政府に参加)。しかし日本と共産党という2つの敵の存在が顕在化する。1931年、満州事変。華北では共産党の抗日民族統一戦線に支持が集まる。蒋介石は日本軍への抵抗を容認せず、このことが東北生まれの張学良を西安事件に追い立てていく。
1937年、盧溝橋事件。第二次国共合作が成立。日本軍は上海を占領し、南京を攻略。翌年、蒋介石と毛沢東は、それぞれ独自の持久戦論を発表する。蒋は国際世論を味方につけて同情と援助を引き出し、日ソ開戦または日米開戦による「以夷制夷」に期待していた。「外交は無形の戦争」は彼の持論だったという。戦争の勝敗に限っては目論見どおりになったが、蒋がイギリスに対して、チベットと九龍(香港)が中国の領土の一部であるとの承認を要求したことや、インドを訪問してネルーやガンディーと会談したことは、チャーチルの不信と不満を生む。ソ連とイギリスは、共産党による反国民党キャンペーンに賛同し、アメリカとの関係も冷え込んでいく。1949年、蒋介石は下野を表明、中華民国政府は台北に遷都を決定し、蒋介石と息子の経国一家は祖国を離れた。
台湾移住後の蒋介石の動静は、本書では簡単にしか紹介されていない。しかし1971年、中華人民共和国の国連加盟と中華民国の自主脱退を、彼が存命で体験しなければならなかったというのは、なかなか胸に迫るものがある。中国が連合国の四大国(米英ソ中)の一国となり、戦後、国際連合の安全保障理事会の常任理事国の地位を獲得できたのは、蒋介石の外交成果なのだから。一方で、1997年の香港返還は、蒋介石の宿願を中国共産党が達成したと言えるかもしれない。
抗日戦争における蒋介石の「以夷制夷」戦略はずっと一貫しているように思える。第二次世界大戦が勃発すると「勝利は必ず英仏にある」と予測して「民主陣営」に参加するが、この時点では日本もアメリカも欧州戦争に介入せず、蒋の見込みは外れる。しかし、やがて日本が日独伊三国同盟に参加し、アメリカが太平洋の海軍を増強する。日米開戦は蒋の期待どおりのシナリオだった。これを読むと、いつか未来に日本が敗戦国の汚名を雪ぐために必要なのは、軍事力の増強ではなく、外交センスを研ぎ澄ますことなのではないかと思う。本書では、宋美齢と弟の宋子文の活躍が目立つが、もちろん(私の好きな)胡適先生も含め、ハイレベルな外交のできる人材を身近に有していたことは、蒋介石の大きな力だったと思う。
蒋介石の伴侶には、宋美齢のほかに、毛福梅(童養媳/トンヤンシーによる最初の妻)、姚冶誠(妾)、陳潔如(2番目の妻)がいたことは初めて知った。陳潔如は、英語やロシア語にも堪能で、知的で独立心のある女性だったようで、宋美齢との結婚のために蒋から離婚を言い渡された後も、蒋介石の家族たちを何かと助けている。宋美齢との間にドロドロした確執があったようには見えないが、同じように独立心の強い宋美齢には、逆につらかったかもしれない。
毛福梅が生んだ長男の蒋経国の生涯も面白い。反共主義の父親と異なり、共産主義に傾倒し、ソ連に留学、しかし中国共産党モスクワ支部長・王明の迫害を受けて、貧しい農村や工場に「労働改造」に送り込まれる。だが、この経験はのちに大衆政治家・蒋経国の財産となる。奥さんはロシア人だったのか。一時期、愛妾の章亜若という女性がいて、その息子の息子(蒋介石のひ孫)が、現・台湾市長の蒋万安氏であるという。いろいろ現在へのつながりを感じた。次に台湾に行ったら、蒋介石・蒋経国の故地を少しまわってみようかな。