1972年9月の日中国交正常化交渉。政治家と官僚たちは、何を考え、どのように動いたかを、精緻な検証(巻末の注記がすごい)に基づき、再現ドラマを見るように、生き生きと描き出した(これは研究者に対して誉め言葉になるかな?)労作。当時、私は小学生だった。中国と「国交がなかった」理由も、それを「回復する」という意味も、よく分からなかったが、上野にパンダがやってきて、突如沸き上がった中国ブームは、今でも強く印象に残っている。
日中国交回復のプロセスを理解したのは、ずっと大人になってから、この5~10年くらいの読書による。事を成し遂げるにあたり、田中角栄の力が大きかったこと、田中の「ご迷惑」スピーチの波紋、「不正常な状態」という起死回生策、毛沢東の「ケンカは済みましたか」発言――などは、本書を読む以前から知っていた。いま、ブログ検索を書けながら、何の本で読んだのか探してみたが、不思議とそれらしい読書記録が出てこない。もう少し前だったのかな。
本書で初めて知ったことは、まず、大平正芳の存在感。陽気で行動的な田中角栄と、慎重で緻密な大平正芳は、そもそも無二の親友で、お互い「この男は総理になる」と思っていた、という証言がすごい。下品な金権総理だと思っていた田中角栄の見方が、大人になって変わったように、アーウー総理・大平正芳の見方も、近年ようやく修正されつつある。「修正」しているのは、私個人の話だけれど、当時、面白おかしい報道を垂れ流して、国民の判断を誤らせたマスコミの責任は重い。だから、鳩山政権や菅政権に対する評価も、割り引いて聞く必要があると思っている。
1972年7月7日(あれから39年か)田中内閣が誕生すると、大平は外相に就任する。田中は苦手な外交を全面的に大平に任せたが、責任は自分がかぶり、大きな決断は自分でした。一方で、大平が田中に決断を促す側面もあった。ふたりの政治家の二人三脚が、日本を困難から救ったのである。外務官僚たちも、政治家の決断を指をくわえて見ていたわけではない。本書では、上層部を飛び越えて、橋本恕、栗山尚一などの若い課長クラス(それも、チャイナ・スクールでない人々)が、重要な局面で、見事な活躍を見せている。ほんとに脚本家が書いたドラマみたいだ!
また、中国側(周恩来総理、姫鵬飛外交部長)のタフ・ネゴシエーターぶりも、よく描かれている。日本も中国も、お互いの面子をつぶさず、譲るべきことは譲り、最善の決着点を目指した。それぞれ、国内の政敵、国民感情のコントロールにも、細心の注意を払っている。ホンモノの「外交」だと思う。
ただし、田中を「アメリカに反逆した総理」として持ち上げる向きもあるが、少なくとも日中国交に関して、日本は、サンフランシスコ体制(日米協調)の維持を前提に臨んだ、というのが、本書の立ち位置である。こっちが現実的なんだろうな、と思った。だからこそ、難しい交渉だったとも言える。
田中、大平は、さきの戦争で日本が犯した罪過の大きさをよく分かっていたから、殺されることも覚悟して中国に向かった(大平は遺書を書いていた)という。後年、すっかり日本国民に見捨てられた田中が、中国に招待されて、車椅子の上でぼろぼろ泣いている映像を見た記憶がある。あのときも、日本のマスコミは冷淡だったが、田中の心中を慮ると、あらためて感慨深い。芸術家も、同時代の民衆に理解されないことが多いが、政治家もそうなんだな…。
同時進行した日台「外交」交渉もまた、スリリングな大人のドラマだった。表舞台で怒って見せ、嘆いて見せながら、両国の政治家と官僚は「裏メッセージ」を発し続け、それを的確に理解し合った。それでも最後まで、台湾の報復の可能性(邦人の抑留とか、武力行使まで)が案じられてた、ということを初めて知った。
日中交渉に先立ち、田中総理から蒋介石総統に贈られた親書は、外務省の橋本課長が作成し、最終的に安岡正篤が添削を入れている。情報公開法に基づいて開示された文書の写真図版が本書に掲載されており、繰り返された修正の跡を、生々しく確認することができる。最終案は、書き起こし全文が収録されているが、格調高い正統漢文調で、蒋介石総統、ひいては台湾国民に対する礼節と真剣な配慮を感じさせる。
本書を読みながら、何度か思い起こしていたのは、2002年、2004年の小泉純一郎総理(当時)による北朝鮮訪問である。あれも全貌が明らかになり、評価が定まるまでは、40年くらいの歳月を要するのだろうか。私が生きているうちは無理かな…。