土曜の夜に大津入り。日曜はどこへ行こうか調べていたら、三井寺(園城寺)で「千団子祭」が行われており、護法善神立像(重文、平安時代)のご開帳法要があることを知り、朝から出かける。護法善神とは鬼子母神のこと。

ご朱印をいただきながら、檀家さんらしいお母さんと「どこから来はったの?」「東京から来ました」という会話のあと、「関東は鬼子母神さん多いでしょ。関西は珍しいんですよ」と言われる。ふーん、そうなのか。木像は幕に隠れてよく見えなかったが、餅菓子の飾りや、奉納の伏見人形(若冲の絵そのまま!)が面白かった。
浜大津に戻る。駅前広場の朝市で売られていた揚げ立ての芋天やあんころ餅が美味そう。あ~次回は、ビジネスホテルの朝食なんかやめて、ここで買い食いしよう。
■京都市考古資料館 特別展示『平清盛-院政と京の変革-』(2012年1月28日~6月24日)
京阪線~地下鉄で京都へ。今出川下車。白峯神宮の崇徳上皇にご挨拶し、堀川通りを渡って、ここを訪ねる。京都市埋蔵文化財研究所に併設された展示施設である。入場無料、しかも展示品は写真撮影OKというのが嬉しい。私は、今年の大河ドラマ『平清盛』の美術・セットは、よく作ってあると思っていて、平氏館に置かれている青磁瓶に、ニヤリとしてしまうのだが、出土している陶磁片を見ると、まだ灰緑色の「青磁」が多い。かと思えば、頼盛邸の出土品に「緑釉黒掻落」の破片が混じっているのを見て、こういう磁器もドラマに出してくれないかなーと思った。
堀川通りを下ろうと歩き始めたら、何やら人影の多い立派な神社。巨大な鳥居の扁額には「☆(五芒星)」の一文字。晴明神社だった。ええ~いつの間にこうなった!?とびっくりしたが、久しぶりに立ち寄って、ご朱印(ハンコだった)をいただいていく。いつの時代にも流行(はやり)神というのはあったのだから…いいか。
■鵺大明神と鵺池
昭和のたたずまいを残す商店街を眺めながら南下すると、やがて二条城が見えてくる。今回も『平安京探偵団』のコンテンツを参考に、鵺大明神と鵺池を探しにきた。場所は二条城の西北隅の向かいにある二条公園の中。写真は元禄13年建立の鵺池碑(※碑文)。

二条城の西側(美福通り)を歩くと、民部省跡とか式部省跡などの説明板が建っている。このへんが平安京の内裏だったのかーと初めて認識。迂闊なことに、近世史に興味がないので、あまり二条城周辺に来たことがなかった。さらに歩くコースを考えていたのだが、気がつくともう昼過ぎ。このままでは、京都に来た最大の目的を逃してしまうと思い、二条前で軽い昼食を済ませ、慌ててバスに乗る。
■藤井斉成会有鄰館

21日(月)に仕事で神戸に行かなければならないことになり、直前の週末に何か楽しみはないかなーと思って調べたら、ここが開いていると分かった。よって、二度目の参観。詳しくは別稿とする。
■崇徳地蔵(人喰い地蔵)
藤井有鄰館で東洋美術を堪能したあと、源平史跡めぐりを続ける。東大路通りを北上し、聖護院の塔頭である積善院準提堂にある崇徳地蔵を探しに行く。崇徳地蔵がなまって「人喰い地蔵」と呼ばれたとも。もとは「鴨川の東、春日の末」(現在の京都大学医学部付属病院の敷地)にあった「崇徳天皇廟」旧跡にあったものと『平安京探偵団』に言う。木枠の中に封じ込められたような姿で、じっとこちらを見つめている様子が、少し怖い。

それから、東大路通りを南下し、疏水のあたりで西に折れる。このへんが、保元の乱で、崇徳上皇・頼長方の拠点となった白河北殿の跡。現在は、風情のある町家ふうの住宅と、昭和のアパートがまぜこぜに建っている。なんか音楽のうるさい、学校ふうの建物があるなあ、と思ったのが京大の熊野寮で、その敷地内に白河北殿址の碑だけはあったらしい。気がつかなかった。
■三条東殿遺址
最後は烏丸御池に出る。新風館という複合商業施設の北西の隅に、三条東殿の碑が建つ。平治物語で藤原信頼・源義朝の軍勢が押し寄せたところ。いま、ボストン美術館から来ている『平治物語絵巻・三条殿夜討の巻』の舞台だ。まぶたに残る凄惨な焼討シーンと、瀟洒なショッピングビルが結びつかなくて、しばし呆然とする。

本日の散歩はここまでとし、宿泊先の神戸三ノ宮に向かう。ホテルで、ドラマ第20回 「前夜の決断」を見ながら、ああ、もうちょっと先の高松殿遺址と信西邸址まで歩いてみるんだった、と悔やんだが、また次の機会に。
※京都観光Navi:平清盛の京都を歩く
「新旧重ね地図」はけっこう楽しい。観光案内所で貰えるパンフレットもお役立ち。