私は寡聞にして初めて知ったが、2012年9月、村上春樹が朝日新聞に寄稿したエッセイで、領土問題が「国民感情」へと転化する状況を「安酒の酔い」に譬えていたのだそうだ。我々は、安酒の酔い、すなわち排外的なナショナリズムに飲まれているのだろうか?という問いから本書は始まる。はじめに、ジャーナリストの木村元彦氏、映画監督の園子温氏、在特会の取材で知られる安田浩一氏の鼎談があり、そのあと、木村氏と安田氏の寄稿、園氏のインタビューで構成されている。鼎談の主なテーマとなっているのは在特会。安田氏はいう。外国人に対する排外的な感情は、近代以降ずっと日本の中にあった。ただ、被害者意識に基づく「下からの差別」である点が、在特会は新しい。そして、過激な在特会が恐ろしいのではなく、それを受け入れてしまう日本の空気が恐ろしい。今の状況を「ナショナリズムという文脈で捉えていいのかどうか」という問題提起も重要だと思った。そう、歴史的にも、ナショナリズムとして語られている動きが、別の角度から見ると「経済格差」や「階層」の問題だったりすることはある。
木村氏は、旧ユーゴスラビアの民族問題を取材した経験を持つ。本書には、同国の民族対立がどのように作られたかをまとめた短い論考が収められている。クロアチアの初代大統領フラーニョ・トゥジマンが、ユーゴからの独立を煽るために行った「神話」の創作から「民族浄化」の悲劇まで、わずか5年だった。次に木村氏は、何度も尖閣上陸を企てたことがある、石垣島の「札付き市議」仲間均に会いに行く。仲間は石垣の漁民の生活を守るために行動しているという。一方、東京都の石原慎太郎知事(当時)による尖閣購入宣言や、野田首相(当時)による国有化に対しては「スタンドプレー」と厳しい。「ステロタイプな右翼か左翼かという括り方で仲間を見ることの無意味さを感じた」という言葉が印象的で、私もこれまでの見方をかなりあらためた。
園子温監督のインタビューは、1994~95年に撮影した『BAD FILM』という作品について。中央線沿線に住む中国人たちと日本人自警団を名乗る右翼の若者たちが暴走して、殺し合いを繰り広げるという、聞いただけで(よくも悪くも)めまいのしそうな問題作品。本書には、いまだ劇場公開は実現していないとある。その撮影裏話がものすごく面白い。ここは本書の白眉。90年代には「中国人 vs 日本人」の抗争というのはお笑いのネタだった。「けれど、お笑いじゃなくなるときがいつか必ず来ると僕は思っていた」という予測の確かさがすごいなあ。今このときも、混沌に惑わされず、正しい未来を見通している人が、社会のどこかにいるのだろうな。パフォーマンス集団「東京ガガガ」の存在も初めて知った。私、90年代の東京で生活していたのに…何を見て聞いていたのだろう。この巨大都市で、何かに出会うって難しいことなんだなあ。在特会の人たちについて、いい大人なのに服装がヘンという指摘も面白かった。見下しているのではなくて、服でも食でも、何か別の軸がないと「死ね」「出ていけ」みたいな強烈な標語に取り込まれてしまう、という分析に納得した。思想とは別の軸(楽しみ)を守って生きることは大切だと思う。
最後に安田氏は、なんと中国と韓国の「ナショナリスト」に会いに行ってしまう。尖閣問題について、ネットで日本を糾弾する書き込みを続ける中国の愛国者たち。ソウルの日本大使館の前で「独島死守」のプラカードを持って立つ活動家。彼らは、奪われたものを取り返すために、今日も孤独にしんどい戦いを続けている。彼らを理解できるのは、実は日本の「右翼」たちだけなのではないか。黒々した虚無の穴を覗いたような、でも納得できる結論だった。