見もの・読みもの日記

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真言律宗・真言宗智山派との所縁/いわきの古刹 長福寺と薬王寺(金沢文庫)

神奈川県立金沢文庫 特別展『いわきの古刹 長福寺と薬王寺-東海興律・密教研鑽-』(2026年5月22日~7月20日)

 福島県いわき市には、真言律宗の長福寺や真言宗智山派の薬王寺が存在する。本展はこれらの寺院に伝来する文化財と、金沢文庫が保管・管理する国宝称名寺聖教と金沢文庫文書の関連品を展示し、いわき地方で展開した中世寺院史の一端を明らかにする。

 はじめに見覚えのあるお姿があると思ったら、鎌倉・極楽寺の興正菩薩叡尊坐像だった。鎌倉仏教の中では私の好きなお坊さんである。また、いわきの長福寺からもよく似た叡尊坐像がおいでになっていた。お顔は少し俯き加減で、両手の指のかたちを見ると、払子を寝かせて持っていたのではないかと思われた。

 いわきには、東国には珍しい真言律宗の寺院が6か所現存している。会場には、叡尊の弟子・忍性上人(このひとも好き)の骨蔵器も来ていた。忍性五輪塔は、鎌倉・極楽寺、大和郡山・額安寺、生駒・竹林寺の3箇所に存在し、それぞれ骨蔵器が発見されているが、展示は極楽寺奥の院の忍性塔に納置されていたものだった。銘文によれば、忍性が亡くなった際、その五輪塔の願主となったのが、いわき(岩城)出身の弟子・禅意(別名:禅弁)という僧侶だった。ネットでいろいろ調べてみたら、禅意は、もとはいわきの薬王寺に住んでいたが、鎌倉・極楽寺に移って忍性に従った。そして大和額安寺の忍性五輪塔には、忍性骨蔵器に寄り添うように、禅意の骨蔵器が収められているという。死してなお側にいたいと願う師弟関係に萌えて、大和額安寺の忍性五輪塔、行ってみたくなってきた。

 長福寺からは、襞のたっぷりしたゴージャスな衣をお召しの地蔵菩薩坐像がいらしていた。鎌倉地方の仏像独特の手法と聞いていた「土紋」が使われていて、裾の菊花(?)、襟元の藤(?)が華やかさを添えている。鎌倉を拠点にした院派仏師・院誉の作なので、同じ院誉作の横浜・慶珊寺の十一面観音坐像と並んでいた。この地蔵菩薩は東日本大震災で被災し、修復調査の際に像内から多数の経文や印仏が発見された。紙背文書として、鎌倉在住の老尼「ゑかい」の書状が見つかっているのも面白い。また、同寺には小さな木造の毘沙門天立像が伝わっており、新薬師寺の千体毘沙門天像に類似することから、奈良からもたらされたものではないかと推定されていた。

 次に徳一大師を開祖と伝える古刹の薬王寺。いわき出身の禅意の口授を弟子が筆記した『宝寿抄』は薬王寺で成立したものと伝わり、称名寺聖教の伝本が何枚も展示されていた(冊子でも巻子でもなくバラバラの状態で保存されているようだった)。

 薬王寺の文殊菩薩騎獅子像は、優しげで女性的な印象。厨子入薬師三尊・十二神将像は小品だが、十二神将像(4躯のみ現存)に精彩があってカッコよい。大倉薬師堂の十二神将像を模刻したものという解説に納得した。いちばん印象的だったのは、絵画の弥勒菩薩像(鎌倉時代)。宝冠を戴き、長い白衣をまとった美麗な像である。右手は前に差し出し、左手は軽く曲げて長い蓮の茎を肩に預ける。ぽってり開いた蓮の花の上には宝塔が載っている。

 解説を読んだら「称名寺本尊の弥勒菩薩立像に酷似する」とあって、え?と首をひねった。称名寺本尊の弥勒菩薩はふだん非公開だが、金沢文庫の1階には金ピカの模刻像が常設展示されている。蓮華なんて持っていたっけ?と確かめに行ったら、針金のように細くて長い茎の蓮華をちゃんと持っていらした。茎の先の花も非常に小さくて目立たないのである。花の上に載っている宝塔も、正面から見上げるとよく分からない。2階の展示室のバルコニーから見下ろして、やっと確認できた。ご本尊(レプリカとはいえ)を見下ろすバルコニーって失礼じゃないかと思っていたのだが、はじめて効能が理解できた。