〇武井彩佳『歴史修正主義:ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中公新書) 中央公論新社 2021.10
近年、日本の歴史(特に近現代史)をめぐって、特定の主張が歴史修正主義であるとかないとかの議論を聞くようになった。本書は欧米社会の歴史修正主義を分析したものだが、日本の事例を考える参考になるかもしれないと思って読んでみた。
はじめに前提として、歴史学の観点から歴史とはどのように記述されるのかを確認する。歴史は選択された事実の解釈であり、歴史を「修正」することは学術的な行為である。しかし、歴史の政治利用と結びついた歴史修正主義は批判の対象とされてきた。ヨーロッパでは、19世紀末~20世紀前半、フランスにおけるドレフェス事件や、ドイツにおける第一次世界大戦の戦争責任論などを通じて、この問題が意識されるようになった。
第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判は、ドイツが通常の戦争犯罪のみならず、「平和に対する罪」「人道に反する罪」を犯したと認定し、戦後秩序の形成に画期的な役割を果たした。1950年代には、ヒトラー時代の「公的」な解釈が形成されていく。背景には、連邦共和国(西ドイツ)が国際社会に復帰し、西側の安全保障体制に組み込まれるには、ナチズムとの訣別が必要だったという切実な事情がある。一方で、ナチズムの完全否定は上からの歴史像の「押し付け」であるという対抗言説も登場したが、市民の大半がナチズムの復活を望まなかったため、大きな勢力にはならなかった。
1970年代に入ると、歴史修正主義者は明白にホロコーストの否定もしくは矮小化を行うようになった(欧米ではホロコースト否定論を歴史修正主義とは呼ばず、より悪質な、史実を歪曲する言説とみなしているが、本書では修正主義の範疇で扱う)。この頃、各国で世代交代が進み、新しい政治志向を持つ若者が台頭するとともに、これを好まない人々が過去を矮小化しようとした。当時の状況は今日(若者の保守化)とは全く逆である。また、国際的要因としては、イスラエルの軍事強国化がじわじわと衝撃を与えた。特に長い反ユダヤ主義の伝統があるフランス(そうなのか)では、ドイツよりも早くホロコースト否定論が生まれている。
80~90年代には、さまざまなホロコースト否定論者が活動し、言論のプラットフォームがつくられ、政治組織も影響力を強めた。著者が、彼らの動機は「信念」であり、「情熱を原動力とする人には、合理性を問うても意味がない。それは政治的な宗教であり(略)これを放棄することは彼らの世界観の崩壊につながる」と分析しているのは、残念だが当たっていると思う。否定論者には、臆面もなく史料の改竄を行う者もいるが、むしろ警戒すべきは、テクストの異なる読み方に誘導し、史実に対して認識の揺らぎを呼び覚ます人々だろう。著者はこれを「文学でのテクスト論を、歴史に持ち込んでいる」と説明している。事実ではないかもしれないと人が疑念を抱いた時点で、否定論者の目的は達成される。それは歴史の不安定化につながるからだ。
また、80年代以降に何度か起きている、歴史修正主義をめぐる裁判の詳細も初めて知った。これまでのところ、欧米の裁判所はホロコーストを「公知の事実」と認め、ホロコースト否定論は「虚偽ニュースの流布」にあたると認めている。
こうした司法判断も踏まえ、欧米社会では歴史修正主義の法規制が進んでいる。歴史の否定は、表向きは歴史を問題にしているように見えて、多くの場合、特定の民族・人種・宗教集団に対するヘイトクライムやヘイトスピーチの一種であり、個人や集団の尊厳を傷つけ、公共の平穏を乱すという理解から、法規制の対象とされてきた。もちろん、表現の自由との相克は意識されている。特定の歴史の否定を禁止することの社会的利益と損失について、本書は丁寧に記述しており、最後は我々自身に判断が委ねられている。
むしろ私が初めて認識し、難しいと思ったのは、欧米社会においてホロコーストが、比較不能の「悲劇中の悲劇」と位置づけられているという点だ。第二次世界大戦におけるホロコーストの犠牲を記憶することは、「ヨーロッパ人」という新たなアイデンティティの基礎の一つと考えられている。それゆえ、ホロコースト以外の虐殺、ナチスによるロマ民族虐殺や、第一次世界大戦中のオスマントルコにおけるアルメニア人虐殺への対応はずっと遅れた。東欧の旧共産主義国のスターリニズムによる犯罪をどう扱うのかもこれからの課題だという。
著者は「歴史の政治利用の何がいけないのか」という最も根本的に問いに対して、明確な回答はないと断定する。ただ、国民の帰属意識を強化する歴史は(自画自賛にしろ犠牲の強調にしろ)、対外的な対立を長期化させ、将来に取り得る選択肢を狭める危険性をはらむという指摘は、覚えておきたい。