見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2012京の冬の旅:院政ゆかりの地巡り(2)等伯の涅槃図(本法寺)

○初日:三十三間堂~安井金毘羅宮崇徳天皇御廟~六波羅蜜寺~長講堂~因幡薬師(平等寺)~本法寺~楽美術館~白峯神宮

 初日続き。

本法寺…前日、携帯で京都の観光情報を収集していたら、長谷川等伯筆の『佛涅槃図』(縦8メートル×横5.3メートル)公開というニュースを見つけた。そのサイズを見て、思い当たる作品があったので、もしやあの涅槃図?と思って、行ってみることにした。場所はバス停「堀川寺ノ内」下車すぐ(東側)。堀川通を北上するバスに乗ったが、二条城とか一条戻り橋とか、なじみの観光地をどんどん過ぎて、少し不安になり始めた頃、到着した。裏千家表千家に程近い。近年、あまり来たことのないエリアだ。同寺は日蓮宗。門を入ると、広壮な境内に、大きな多宝塔が目を引く。本阿弥光悦ゆかりの松や庭園も残されていた(おおらかで自由な感じのする庭。竹組みの垣根は光悦垣かな)。



 近代的な宝物館に入ると、巨大な涅槃図。これだ~。博物館の壁に掛け切れなくて、床に垂らして寝かせていたのを覚えている。待て待て、京博だったかしら、東博だったかしら。東博の没後400年『長谷川等伯』展(2010年春)だったような気がしたが、思い返すと、京博の『日蓮と法華の名宝』(2009年秋)だったかもしれない。等伯も光悦も、日蓮宗と縁が深いことを、はじめて知った展覧会だった。

 画幅の下部に描かれた鳥獣たちは、どこか人間的。人面猫みたいネコ。リア充っぽく首を寄せ合う鴨のカップル。平たく伸びているのはミンク?いやカワウソ? 涅槃の釈迦の周囲に集まった仏弟子と神々は涙をぬぐう仕草を見せている者が多い。古い図様だと、顔を歪めたり号泣している者はいても、少し表現が違うような気がする。

 涅槃図は2階のバルコニーからも拝観することができるようになっている。2階に上がると、釈迦と周囲の人々を少し見下ろすような位置になる。人々の左端に緑色の衣(+袈裟?)をまとった髭面の人物が頬杖をついていて「あれが等伯自身だと言われています」と案内の方が教えてくれた。仏涅槃図の公開は、3/15~4/15。毎年行われているのだそうだ。知らなかった。こういうのを見ると、東京人が東博の『松林図』だけ見て、等伯ステキ!とか言っているのとは、全く違ったかたちで町衆とともに生きている等伯を感じる。2階には、ほかにも室町時代の羅漢図など寺宝展示あり。

 帰りがけに外の案内板を読んだら、ここは朝鮮通信使の宿所として使われたこともあって、秀吉の死の直後、1604(慶長9)年、朝鮮から遣わされた松雲大師惟政(日本軍と戦った僧兵の総指揮官)は、この本法寺に滞在し、伏見城徳川家康と会見するなどして、国交回復につとめたそうだ。

 ん?もしや?と思い出したのは、以前、韓国旅行で訪ねた俗離山(ソンニサン)の法住寺自分のブログ記事を検索したら「壬辰倭乱文禄の役)の際、豊臣軍に対する抵抗の拠点となった」とメモを入れている。いろいろ調べたら、韓国語のサイトに「"法住寺捌相殿舍利荘厳具"によると、惟政四溟大師(※松雲大師惟政)が俗離山法住寺で僧兵大将として武術研磨(鍛練)をしたという記録がある(1968年発見)」という記事が見つかった(原文はハングル。機械翻訳で読めるのだから、ほんとに便利な時代だなー)。

 門外に石造の大きな十三重塔があったが、これも朝鮮と関係するのかはよく分からない。以下、まだ続く。