見もの・読みもの日記

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復元・多賀城南門を訪ねる

 金曜は仕事で仙台出張だったので、自費で1泊付け足して、土曜日は東北歴史博物館を訪ねた。前回と同じで、開館時間の少し前に国府多賀城駅に着いたので、まず多賀城碑(壺の碑)と多賀城政庁跡を見てきた。

 前回というのは2023年、FaOI(ファンタジー・オン・アイス)2023宮城公演のついでに寄ったのである。当時、多賀城創建から1300年を迎える2024年の完成を目指して南門(楼門)復元が行われていたので、どうなったのか、工事の成果を確かめに来た。

 完成した南門には、駐車場とガイダンス施設の横から正面に出られるのだが、そこを通りすぎるとアプローチがなくて、ぐるりと北側に回ってしまった。壺の碑の覆屋越しに、南門の北側が「見える。

 門を潜り抜けて、南側に出たところ。ちょうど、大きなゴールデンレトリバーを連れたご夫婦が南側から門を潜っていった。

楼門の左右には、土を突き固めた築地塀が復元されていた。奈良の古いお寺で見かけるもの。

瓦当は簡略化されているが重圏文っぽい(難波宮で使われた文様)。これは典拠があるか不明。

 ガイダンス施設に展示されていた説明によれば、この南門は、8世紀中頃(政庁II期)を念頭に復元されたものだという。東北歴史博物館の常設展には、I期とIII期の軒瓦が展示されていたが、どちらも蓮華文だった。

多賀城政庁の時代区分は以下のとおり。

・第1期:養老・神亀頃~8世紀中頃
・第2期:8世紀中頃~宝亀11年(780)→伊治公呰麻呂事件による火災
・第3期:宝亀11年(780)~貞観11年(869)→貞観地震による被災
・第4期:貞観11年(869)~11世紀

第3期政庁は、貞観地震津波で被災したが、大地震の翌年には陸奥国修理府が置かれ、大宰府にいた新羅国の瓦職人が、多賀城を再建するための瓦づくりに従事したという。→(参考)多賀城陸奥国総社宮コラム

東北の歴史、知らないことが多いのだけど、少しずつ学んでいきたい。