○写真美術館 『プラシド・ドミンゴ in films オペラ映画フェスティバル2010』(2010年12月4日~12月26日)
東京都写真美術館で『オペラ映画フェスティバル』が開催されたのは2008年の年末だった。今月初め、なぜかそのときのレポート記事に、たくさんのアクセスをいただいたのである。もしや?とひらめくところあって、写真美術館のホームページを見にいって、このイベントを発見した。ドミンゴ絶頂期というべき、70~80年代に撮影された7作品を一挙上映する、ファン歓喜のお得企画である。→公式サイト(楽劇会)
本音をいうと7本全部見たいのだが、それも贅沢かな…とか、先週まで、週末に仕事を持ちかえる状態が続いていたり、なかなか落ち着かなかった。今週、ようやく落ち着いて、いちばん見たかった2本を見てきた。
■道化師(フランコ・ゼフィレッリ監督、1982年)
いやもう、圧倒的である。ヴェリズモ・オペラの傑作とされる、情念に満ちた曲調に、明るく艶っぽいドミンゴの声が乗ると、爆発的な化学変化が起きるような気がする。今日はフィルムを見に来たはずなのに、うっとりと目を閉じて聞き惚れそうになって、いかんいかんと自分を叱咤しなければならなかった。
音楽が名演であることに間違いはないが、ゼフィレッリ監督の演出には、いろいろ戸惑う点もあった。むかし、私がテレビで見たイタリア歌劇公演では、牧歌的な農村が舞台となっていて、旅回りの劇団は馬車でやってきた(と思う)。ところが、映画では、登場人物は古き良きイタリア映画の趣きで(1930年代くらいのイメージか?)、劇団はおんぼろトラックに乗って現れ、電飾に美しく飾られた舞台で道化芝居を演ずる。
【※以下は私の勘違いあり。12/30コメント参照】それにも増して戸惑うのは、劇中劇のタデオを、カニオ=劇中劇のパリアッチョ役のドミンゴが二役で演じていること。普通は、カニオ=劇中劇のパリアッチョ=テノールと、トニオ=劇中劇のタデオ=バリトンは厳然と別人物なのだが、これをわざと(?)混乱させているのだ。したがって、冒頭で「前口上」を述べるタデオはドミンゴ。途中、ネッダに言い寄って袖にされるトニオは、ホアン・ポンス(バリトン)が演ずるのだが、後半の劇中劇のタデオは再びドミンゴ。これだとネッダが、トニオの口説きを「あとで(舞台の上で)また同じことを言えばいい」とあしらうセリフが分かりにくい。それと、激情のあまり、ネッダ(コロンビーナ)とその恋人を刺し殺したカニオ(パリアッチョ)が、凶器を投げ捨て、自らに宣告するように叫ぶ「芝居は終わりました!」の決めゼリフ、これがタデオのセリフになっているのは、どうでしょう…。私は、原作の脚本のほうが、ストレートで感情移入しやすくていいと思うんだけどなあ。
ネッダ役のテレサ・ストラータスの美しさは映画女優並み。ドミンゴは、この時期、肉がたるんでいて、老けた中年男に見えるのが、かえって役柄に合っている。
■わが心のセビリャ(ジャン=ピエール・ポネル監督、1981年)
これはまた楽しい映画。ホフマン物語の稽古が終わったところというドミンゴが、舞台演出家のジャン=ピエール・ポネル、指揮者のジェームズ・レヴァインをつかまえて、愛嬌たっぷりに話しかける。「ジミー(というのはレヴァインのことか!)、古来、最も音楽家を魅了した土地といえばどこかな?」、レヴァイン「ローマ」、ポネル「パリ」。「違うね」と自信たっぷりのドミンゴ。「それはセビリャさ!」と続くのだが、レヴァインが「じゃ、モスクワ?」なんて口を挟んでたりして(素なのか?)、3人のおじさんの表情の可愛いこと。
以下、実際にセビリャ地方の風景や建造物にカメラを据えて、ドミンゴがオペラの名曲を歌いまくり、そのメイキング風景も紹介する。言ってみれば、セビリャのプロモーションビデオであるが、贅沢無類。
荘厳なアルカサル(王宮)を舞台に『ドン・ジョバンニ』を歌い上げ、曲がりくねった石畳の道で『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵(テノール)とフィガロ(バリトン)の掛け合いを一人二役で見せ、郊外のローマ遺跡を地下牢に見立てて『フィデリオ』のフロレスタンを演ずる。『フィデリオ』の演出で「巨匠には巨匠を」と言って、ゴヤの版画(戦争の惨禍など)を取り入れてくれたのは嬉しかったな。スペイン・オペラ『山猫』(ペネーリャ作)は、初めて聞いたが、どことなく地方色が感じられて面白かった。最後は『カルメン』で大団円。
途中、オペラの名曲に混じって、サルスエラの作曲家フェデリコ・モレノ・トロバが本作品のために書き下ろした歌曲『セビリャは…』が歌われる。セビリャは、噴水、鉄の門、花いっぱいの庭…みたいに美しい風景を数えあげていく歌詞。一度だけ(一晩だけ)セビリャに行ったときの記憶がよみがえって、懐かしかった。