見もの・読みもの日記

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ボーダー都市の盛衰/「株式会社」長崎出島(赤瀬浩)

○赤瀬浩『「株式会社」長崎出島』(講談社選書メチエ) 講談社 2005.7

 先日の長崎旅行が印象深かったので読んでみたところ、思わぬ情報量に興奮。貿易都市「長崎」の誕生は、16世紀の戦国時代に遡る。平戸領主・松浦氏との関係が悪化したポルトガル人は、平戸に代わる寄港地を求め、横瀬浦→福田と移動し、長崎港を「発見」した。弱小領主・大村純忠は、周辺の勢力からこの町を守るため、長崎をイエズス会に寄進してしまう。そうそう、この話は、2004年に長崎の史跡めぐりをしたとき、同行の友人から聞いて、びっくりしたものだ。

 かくて長崎には、「かなり本格的な西洋風の教会が林立する」キリシタン都市が出現した。けれども、17世紀初め、秀吉~徳川幕府の徹底した禁教政策により、長崎の住民は総入れ替え(追放・処刑)となり、キリシタン時代の長崎の記憶は、地中深く埋もれてしまった。寛永期にはキリシタンの改宗事業が一段落し、日本各地(と高麗・中国)から集まった人々によって、新たな貿易都市・長崎が形成され始めたが、寛文3年(1663)の大火で初期長崎の市街は灰燼に帰してしまう。

 長崎奉行島田久太郎は、この災害を好機ととらえ、区割りや道路幅を改め、町全体を機能的な貿易都市へと再編した。私たちになじみの近世都市・長崎は、ようやくここからスタートするわけだが、忘れられた前史は、小説顔負けのロマンに満ちている。

 その後についても、町人が創意工夫を発揮して蓄財に励んだのは初期だけのことで、次第に長崎の住民はシステムの一員となり、会社員化、あるいは公務員化(基本給としての箇所銀・竈銀制度)してしまったこと、「正徳新例」以降、貿易は先細りとなり、幕末はどん底状態だったこと、一般住民の「出島」への出入りは比較的自由だったこと、丸山の遊女たちとの交歓を求めて多数の唐人が来日したこと等々、初めて知ることが多くて、刺激的だった。またすぐ長崎に行きたくなってしまった…。

 私は「出島」というキーワードに惹かれて本書を読み始めたのだが、直接「出島」にかかわる記述は部分的で、むしろ「長崎」という都市の歴史を通観する体になっている。この点、ちょっと不可解だったが、終章に至って疑問が解けた。著者は、地方都市・長崎が再生する鍵は、長崎自体が「出島」になることだ、と説く。つまり、日本の中央ではなく東シナ海を志向し、日本と大陸のボーダーとなることで、香港やシンガポールのような、クロスカルチュラルなエネルギーを得ることができるのではないか。長崎に生まれ育った著者ならではの切実な願いだと思う。