日本人は自分たちを「無宗教」と考えている。しかし、長い歴史を経た宗教施設がこれほど生き残り、現在も機能している国は少ない。にもかかわらず、日本人が自分を無宗教と考える一因は、近代のはじめ、近代以前の日本人の宗教のありかたが壊されてしまったことによる。具体的にそのありかたとは、神道と仏教が深く結びついた「神仏習合」である。本書は、仏像、神像、参詣曼荼羅、縁起絵など、さまざまな美術品を例にあげて論を進めていく。仏教美術好きの私には親しみやすくて、とても面白かった。はじめに登場するのは、興福寺の阿修羅像で、2009年の『国宝阿修羅展』の大ブームをマクラに、明治期に興福寺は事実上の廃寺となり、阿修羅像は奈良博(帝室博物館)に預けっぱなしだったことを紹介する(和辻哲郎は古寺巡礼の旅で訪ねているが阿修羅像に関心を示していない)。興福寺衰退の理由は、1867年の神仏分離政策(神仏判然令)に始まり、神社や寺院が持っていた土地は境内地を除いて没収されることになり(神社には十分な補償あり)、経済的基盤を失ったことによる。天理の内山永久寺もこのとき消滅した。
そんな中、阿修羅像は今日に至るまで興福寺にとって重要な稼ぎ手である。奈良博に寄託されていた当時は、その出品料で寺が維持されていたという。せちがらい話だが、優れた仏像の存在によって、寺が苦境を乗り越えることができたと考えれば、仏像の施主も仏師も本望というものではないか。
興福寺が廃仏毀釈の影響をもろに受けることになったのは、興福寺と春日神社が一体の関係にあり、両者を分けることが難しかったためではないか、と著者は考える。そこで、浅草寺と浅草神社、多度神宮寺、園城寺と新羅明神、八幡神など、さまざまな神仏習合の例を紹介する。ところで日本の神仏習合は、シンクレティズム(諸教混淆)とは違い、神道と仏教がそれぞれ独立性を保ちながら融合していた。日本人は信仰対象にのめりこまず(原理主義的にならず)、一定の距離をおいて接してきた。そうした宗教心のありかたが、豊かで洗練された宗教美術を生んだと著者は考える。この指摘はとても面白い。
より具体的に日本の宗教史を見ていくと、密教の力が圧倒的に大きかったことが分かる。飛鳥時代に伝わった仏教は、国家鎮護には役立っても、まだ個人を救済するものではなかった。密教の導入によって、はじめて仏教は個人を救済する力(現世利益を含め)を持ち、同時に壮大な宇宙観が取り入れられた。
さて神道である。ここでは古い参詣曼荼羅などから、伊勢神宮や大神神社に神仏習合(特に密教)の痕跡があることを明らかにする。伊勢神宮の式年遷宮が、15世紀から16世紀にかけて、123年も中断していたことは初めて知った。なんと16世紀半ばには、少なくとも内宮の正殿は消滅していた。再建後、どんな社殿がつくられたか(白木?朱塗り?)もよく分かっていない。しかしながら現在では、伊勢神宮や大神神社について、過去の神仏習合や密教の影響を語ることは難しい。「神社の側からは触れてほしくない事柄」なのだ。その結果、2009年の『伊勢神宮と神々の美術』展でも「どこか説明を避けているという印象」があったという。伊勢神宮はまだしも、大神神社の神仏習合については、全く聞いたことがないし、考えたことがなかったなあ。
一方、春日大社と興福寺は、わりと良好な関係なのではないか。本書は、春日宮曼荼羅(本地仏と垂迹神の関係を描く)の解説にかなり紙数を割いており、あとがきには、著者が本書の校正中に見ることができたという根津美術館の『春日の風景』展の記述がある。宮曼荼羅を前にして「深い感動」を覚えた著者だが、「国宝に指定されたようなものがないせいか(略)訪れる人の数は決して多くなかった」と残念がる。「事前に十分な知識を得ていれば、もっと見方も変わってくるであろうが」「展示のしかたがもう一つ親切ではなかった」と注文が厳しい。しかし、私は確実にあの展覧会を通して、宮曼荼羅の魅力、本地垂迹という信仰の面白さを感じたひとりであることを述べておく。