○○何百年忌みたいな企画ものかと思ったら、そうではなかった。このところ、金沢文庫では、年1回くらい奈良にちなんだ展覧会をやっていて、その一環らしい。東国在住の奈良ファンにとってはありがたかった(過去形)。
冒頭のパネル、東大寺別当・筒井寛昭師の「ごあいさつ」が「治承4年(1180)12月28日、平重衡による兵火で東大寺の伽藍は焼亡し、大仏さまも大きく損傷しました」で始まるのに苦笑してしまった。やっぱり、そこからか。まあ、再建に尽くした武家の棟梁、源頼朝を持ち上げるには、ここから始めないとね。
1階入口の展示ケースには、大仏殿の再建で製作された軒丸瓦と軒平瓦。岡山県の万冨瓦窯(万富東大寺瓦窯跡)で焼かれた。図録の解説を読んだら、展示の瓦は、江戸再建の勧進の折、公慶上人が備前国に滞在中、漁師が児島湾海中から引き揚げたという由来を持つそうだ。
2階へ。東大寺から重源上人坐像がお出ましになっていた。治承四年の焼亡の後、諸国を勧進してまわり、鎌倉再建を成し遂げた方だが、その彫像は、今も東大寺のために東奔西走なさっているように思う。人間味があって、分かりやすい肖像彫刻だから、人気があるのは当然だけど、ご苦労様なことだ。重源上人所縁の品とされる鉦鼓・鉦架・撞木・柄杓などは初めて見たように思う。
『東大寺大仏縁起』は、勧進のために製作された室町時代の絵巻物。武士たちが、美々しく着飾った白面のイケメン揃いに描かれている。雛人形みたいだ。院政期の絵巻物に描かれた夜盗みたいな武士たちとは、えらく違う。第7段には、大仏殿供養に参列する源頼朝の姿あり。
展示替えもあるが、東大寺から文書・絵画・彫刻・伎楽面など70件余りの資料が出陳されている。公慶堂伝来の端正な地蔵菩薩立像は快慶作。赤い唇が妖艶で優美だけど、柔弱ではなくて、むしろ男性的な意志の強さを感じる。2008年の東博『対決-巨匠たちの日本美術』にも出品されていたもの。『華厳五十五所絵巻』は可愛らしくて、大好きな作品だが、意外や残酷シーンも描かれていることを知って驚いた(地獄の獄卒に首を斬られた亡者とか)。明代の『華厳海会善智識曼荼羅』などは、たぶん奈良では見る機会のない珍品で面白かった。
あまり馴染みのない名前の祖師図が掲げられていたが、華厳宗は、杜順→至相(智儼)→香象(法蔵)→清涼(澄観)→圭峯(宗密)と伝わるのだな。至相大師の弟子に新羅僧の義湘がいる。天から宝相華が散る少女マンガみたいな『香象大師像』だけは見覚えがあった。
この時期の東大寺に関係する「称名寺聖教」も展示されていて、興味深かった。気になったのは『弁暁説草』断簡。卓越した弁舌の才をもったといわれる弁暁(1139-1202)の説法の台本で、後白河法皇周辺の法会の様子が明らかになるという(※翻刻版は発売中)。この中に「源平合戦で乱れた世をつくづくご覧になった大仏様は、悪に染まった人々が仏をそしる罪を犯さないよう、あえて自ら炎に身を投じられた」という説教があるそうだ。むかし読んだ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001)を思い出してしまった。人の営みは東西を問わないのね。善行も悪行も。
