見もの・読みもの日記

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韓国古蹟めぐり2008【第6日】江陵、五台山→ソウル

 6日目、江陵市内で客舎門と烏竹軒を見学。烏竹軒は、儒学者・李栗谷と、賢母・申師任堂の故地でもある。ちなみに韓国の5,000ウォン紙幣には、李栗谷の肖像が使われているが、まもなく発行される50,000ウォン紙幣には、母の申師任堂が使われる予定だそうだ。

 ”乗り鉄”の友人の希望もあって、江陵駅から1区間だけ鉄道に乗る。隣りの正東津(チョンドンジン)駅は「最も海岸に近い駅」としてギネスブックに登録されているそうだが、それよりも、ソウルの光華門の真東に位置するので「正東津」と呼ばれているという名前の由来のほうが、私には興味深い。市街地が切れると、青く明るい海岸線が続く。東海(日本海)である。岩場と砂浜の入り込み具合が、鎌倉の由比ガ浜和賀江島あたりを思わせ、江ノ電気分。けれども、時には北の潜水艦が現れる、ちょっと物騒な海岸でもあるのだ、泳いでいる人の姿がないのは、もう水が冷たいからだろうか。再び江陵市内に戻り、烏竹軒のそばにある市立博物館へ。昼食は豆腐料理とマッコリ酒。


※特別仕立ての観光列車。1等車の座席は全て海側を向いている。
 
 食後は五台山国立公園に向かう。中国山西省の五台山と同じく、文殊菩薩の聖地だそうだ。海抜1400~1500メートル級の5つの峰が連なり、ドライブとハイキングを楽しむ観光客の姿が多い(ただし、日本人は皆無)。まず、最も標高の高い上院寺(サンウォンサ)へ。車を降り、肌を刺す寒さに慌てたが、雲が切れて陽が射すと、すぐに気温が回復した。新羅時代の銅鐘が名品。

 次は車で山道を下りながら、「史庫址」を探す。朝鮮王朝時代には、歴代国王の実録がつくられた。当初はソウルの春秋館及び忠州、星州、全州の史庫に各1部ずつ保管されていたが、文禄・慶長の役で多くが失われてしまった。しかし、宣祖年間、残った全州史庫本をもとに再刊行が行われ、新印3部+全州史庫にあった原本+校正刷の計5部の実録は、五史庫(昌徳宮、江華島、妙香山、太白山、五台山)に保管されることになった。もちろん各史庫には、実録以外の貴重書も多数保管されていたようである。

 五台山史庫に保管されていた実録は、朝鮮総督府により東京帝国大学に移管された(といわれている)が、関東大震災により大半が焼失した。焼け残り(74冊)の一部は、京城帝国大学を経てソウル大学の奎章閣に保管され、別の一部は東京大学に保管されてきたが、2006年7月、ソウル大学に移管された。というわけで、何かと日本と縁の深い五台山史庫址を一度見てみたかったのである。

 到着した史庫址は、山の斜面を申しわけに切り開いた、猫の額ほどの平地。近年復元された二階建て(高床式)の楼閣が縦に並んでおり、手前には「史閣」、奥には「璿源宝閣」という扁額が掛かっていた。むしろ狭いトウガラシ畑に埋もれた「五台山史庫守直舎あと」の石碑のほうが、往時を偲ばせるように思う。



 さらに車で山道を下って、月精寺(ウォルジョンサ)に到る。この月精寺は、さきほどの史庫と直接の関係はないらしいが、日本に対して文化財の返還請求を盛んに行っている。山門には明成皇后の肖像を掲げた大きな横断幕が掛かっていて、『朝鮮王室儀軌』(宮内庁書陵部所蔵、明成皇后の国葬の次第が記録されている)の返還を求める宣伝ではないかと思われた。境内には、高麗時代の高い石塔が残る。ガイドのチェさんの話では、そのそばに、石塔を見上げるようなポーズの愛らしい石仏があったが、最近、境内の博物館に移されてしまったとのこと。

 ちなみに、この五台山は、朝鮮戦争の際、北軍の根拠地になることを恐れた南軍によって、多くの文化財が焼き払われたという。『朝鮮王朝実録』をはじめとする典籍類を、もしも日本が持ち出さなかったらどうなっていたか? 焼失したか、それとも北朝鮮に移されていたのだろうか。朝鮮半島文化財の運命は、とにかく過酷である。

 かくて五台山を後に、再び西へ折り返す。ソウルの手前の利川(イチョン)で夕食。名物のもち米ごはんが美味。ソウル市内のホテルに到着したのは、夜の10時頃だった。

(8/29記)

■参考:東京大学総合図書館旧蔵「朝鮮王朝実録」画像データベース
http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/jitsuroku/
東京大学総合図書館旧蔵本についての説明あり。