〇堤邦彦『大江戸怪談事情:『耳嚢』の怪異をひもとく』(歴史文化ライブラリー) 吉川弘文館 2026.1
『耳嚢(耳袋)』は、勘定奉行・南町奉行も務めた根岸鎮衛(ねぎし しずもり/やすもり、1737-1815)が約30年にわたり書きためた雑話集で、怪談奇談の宝庫として知られている。『耳袋』の時代は、古代中世の説話、伝承、唱導話材の枠組みが崩れ、巷の不思議な噂に置き換わる、まさに怪談文芸の転換期だった。本書は、そうした日本人の精神史を念頭に『耳袋』の魅力的な怪異譚を取り上げ、紹介していく。
私は怪談奇談好きなので、学生の頃、平凡社の東洋文庫版『耳袋』を全編読んだはずだが、ほとんど忘れてしまった。本書に紹介されている説話を読むと、むしろ「マンガ(杉浦日向子)で読んだ」とか「評論(小松和彦や宮田登)で読んだ」という記憶のほうが強くよみがえってきた。
「評論で読んだ」の代表格は「こんな晩」型(殺された者の怨恨が数年を経て殺人者の子に憑依したり、生まれ変わって復讐を果たしたりする)の口承伝承である。「おもに日本海側を中心に」採取されているという説明が気になったので書き留めておく。『耳袋』の「猥(みだり)に人命を断し業報の事」は、主家のため責めを負って切腹を申し渡された侍が、自分はかつて山伏を斬り殺して刀を奪ったことがあると牢屋奉行に告白して刑場に赴く話で、「こんな晩」の伝統を受け継ぎつつ、最も重要なモチーフだった「怨恨再生」の怪異が抜け落ちている。本書は、このほか同時代の類話を踏まえて、近世文芸は、仏教の因果応報観や輪廻思想に支えられた「こんな晩」の恐怖よりも、人間の本質的な悪性のほうが怖さが勝ることに気づいていたと指摘する。一方で「こんな晩」のバリエーションには、落語『もう半分(五勺酒)』のように、いっそ笑える怪談噺もあることは初めて知った。
また「こんな晩」型説話の背景には、中国の「討債鬼」説話(前世で貸した財物を返してもらえなかった死者が、相手の子供に転生して財産を食いつぶす)の移入と日本化があるという。別の怪異譚「悪気人を逐ふ事」は、縄のような物が着いて来て人に首を縊らせる話だが、これも中国の「縊鬼」(他人に首を吊らせて自分が生まれ変わろうとする幽霊)との関わりが指摘されている。日本の怪異は、意外と中国に類型があるようなのだが、それでいて日本独特の怖さをまとっているところがおもしろいと思う。
私は東京の下町に住んでいるので、怪談に「深川」「永代」などの身近な地名が登場すると、かなりドキドキする。「怨念無しとも極め難き事」には、永代寺門前仲町の水茶屋に、手の先が血まみれで指のない女の幽霊が出たことが筆録されていて、震え上ってしまった。もっともこの水茶屋、廃業して家名は伝わっていない。また、武家屋敷の立ち並ぶ番町や麹町が奇談の多い異空間だったというのも初めて認識した。高台のため、井戸が底なしに深かったという。
著者の根岸鎮衛は、東海道、美濃、伊勢の川筋の普請にかかわり、天明3年の浅間山噴火で荒れた田地の復旧に尽力したというから、現場の分かる能吏だったようである。天明4年に佐渡奉行に転任し、この頃『耳袋』執筆を始める。Wikipedeaを併読したら、田沼意次失脚の政変にも巻き込まれず、松平定信により勘定奉行に抜擢されている。まさに大河ドラマ『べらぼう』の時代で、神仏への素朴な信仰を保ちつつ、同時に地獄極楽を戯作や春画の題材にしてしまう、怪異を信じながら化け物の正体を暴く「恐れの両義性」の時代だったというのは、なんとなく分かる気がした。
興味深いのは、鎮衛が『耳袋』を門外不出の書とし、写本の披見と公開を禁じたこと。幕臣や各藩に出来した怪しげなできごとを、家名を明かして記載しているので、いろいろ差し障りがあると考えたためらしい。林述斎が閲覧を願い出たのを断ったことが、伝本の跋文に記載されているという。しかし儒者の林述斎がこの書物の存在を知っていて、閲覧を望んだというのも面白い。そういえば本書には、昌平黌に怪談を語る修学者の一団がいたという短い記述があって気になった。