見もの・読みもの日記

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江戸の庶民の楽しみ/晩酌の誕生(飯野亮一)

〇飯野亮一『晩酌の誕生』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2023.11

 SNSで「おもしろかった」という感想を見かけて、気になって読んでみた。飯野亮一さんは食文化史の研究者で、以前にも『居酒屋の誕生』を読んでお名前を覚えていたので、その本かな?と思ったら、これは別の著作(ちくま学芸文庫のための書き下ろし)だった。前著は上方産の「下り酒」とか、オールシーズン燗酒とか、酒そのものに関する知識が印象的だったが、本書は酒の飲み方、酒のつまみが中心となる。江戸の晩酌文化を語る都合上、灯火の変遷や町木戸の習慣にも話題が及ぶのも興味深い。

 本書の執筆は、新型コロナウイルスの感染流行期間に重なったそうだ。当時、外出を避ける「家飲み」習慣が広がったが、江戸時代にも「内呑み」という言葉があり、内呑みとしての晩酌は、江戸中期には庶民や農民にも広まっていた。本書はその実態を、多くの文学作品(浄瑠璃、狂歌・俳諧、黄表紙)、刊本の挿絵、浮世絵、辞書、番付、買物独案内などから次々に抜き出して見せてくれる。豊富な図版が楽しいが、どうやってこれだけの資料を見つけ出したのか、呆気にとられてしまう。本当に研究者というのはありがたいものだ。

 なお、江戸時代には、寝る前に飲む酒も夕食時に飲む酒も「寝酒」と言っていた。寝酒と区別して「晩酌」という言葉が定着するのは明治の終わり以降だという。庶民が晩酌を楽しめるようになったのは、平和な時代が訪れ、生活が安定したことにもよるが、灯火を利用できるようになり、夜が生活時間に加わったことが大きい。江戸時代には菜種や綿が大量に作付けされるようになり、菜種油や綿実油が庶民まで行き渡るようになった。もっと安価な魚油も徐々に品質が向上した。また、都市部では、ウルシ蝋やハゼ蝋を用いた木蝋燭(和蝋燭)も広まった。奈良時代に中国から輸入された蜜蝋燭(ミツバチの巣から取れる蜜蝋を利用)は高級品で寺院や宮廷でしか利用できなかったとのこと。本書の主題からすると横道なのだが、生活史における油の重要性を改めて認識した(滋賀の油日神社とか大山崎の油祖・離宮八幡宮を思い出した)。

 灯火用の油が普及すると、夜間に飲食を提供する茶屋や煮売の振り売りが現れた。町奉行所は火事を恐れて夜間営業を禁止したが、江戸の人々は必ずしもお触れに従わなかったようである。なんだか中華圏や東南アジアの逞しい商人たちを思い出してしまう。

 江戸の町は、夜間には木戸が閉ざされて通行が禁じられたことになっているが、この制度は不徹底で、明暦の大火(1657)で焼失したきり再建されなかったり、木戸があっても潜り戸から出入りできたりしたそうだ。それでも町には街灯もなかったので、人々はあまり夜遅くまでは出歩かず、仕事が終わると夕食と晩酌を楽しみ、夜四つ(午後10時頃)には眠りについた。

 江戸は至るところに酒屋があって酒を買えたという。寛延年間の酒屋の数はおよそ2000軒で、江戸の各町に1軒以上、人口500人に1軒の割合で酒屋が存在していたとのこと。その日暮らしの江戸っ子は、毎日、晩酌に飲む量の酒を買っていた。よく使われる単位の「こなから」は二合五勺=450ml、毎日これだけ飲めた生活の余裕がうらやましい(私がたまに近所の角打ちで飲むのは1回に300~400ml)。

 酒の肴は、昆布に油揚、里芋のお平(ひら)(里芋を煮て平茶碗に盛ったもの)、嘗物(なめもの、鉄火味噌、金山寺味噌)など。家庭で作ってもよし、振り売りから買ってもよかった。幕府は増え続ける振り売りを規制するため免許制度を導入したが、結局、有名無実化してすたれてしまったとのこと。いいなあ、江戸の人々って今よりずっとバイタリティがあって自由だったんだ。夕鯵売り・夜鯵売り(暑い日中を避けて、夕方河岸に上がった新鮮なアジを売り歩く)、枝豆売り(ゆで豆を売る)などの商売があったことも初めて知った。

 寒い冬に歓迎されたのはおでん燗酒売り。おでん種の蒟蒻にはやがて里芋が加わった(これが煮込みおでんに発展するのは明治以降)。また、安永頃からは、夫婦や親しい者どうしの晩酌に小鍋立(鋳物製の浅い小鍋)が用いられるようになった。

 なお、晩酌を楽しんでいたのは、独り者の男性や夫婦者だけではない。本書には、女性どうしで晩酌を楽しむばあさまたちがいたり、孝行息子が酒好きの養母の晩酌の相手をつとめたり、亭主が留守の間に独り晩酌を楽しむ内君(おかみさん)も登場する。彼ら・彼女らの伝統を受け継いで、私も適度に晩酌を楽しもう。