見もの・読みもの日記

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ゆらぐ秩序、束の間の自由/商人の戦国時代(川戸貴史)

〇川戸貴史『商人の戦国時代』(ちくま新書) 筑摩書房 2025.8

 戦国時代史はあまり得意でないのだが、本書は面白かった。気になる記述のページを折っていたら、折り込みだらけになってしまった。本書は戦国時代の経済活動、特に商人の活動に注目する。中央権力が衰退し社会秩序が動揺した時代だからこそ、新たな「自由」を求める人々の活動が活発化した。しかし中世の旧秩序が完全に崩壊したわけではなく、両者のせめぎ合いが展開した。

 旧秩序の代表が「座」と呼ばれた特権的商人集団で(ただし「座」の定義は、近年見直しが進んでいるという)、中世的な文書主義・先例主義に基づき「商売道の古実」を主張して、既得権益を確保していた。中世の日本は、列島の隅々まであらゆる利権が張り巡らされていたという。細かくいうと、鎌倉時代の頃までは、座に属さない商人が、ある程度自由に活動することが可能だったが、南北朝時代以降になると、港町や主要な街道は、全て様々な権力に支配されるようになっていた。そこに登場した新興勢力が「新儀商人」である。本書は、15世紀後半から16世紀にかけての京都とその周辺地域での特権商人たちと新興商人たちの争いの例をいくつか紹介している。

 商人集団の争いは、上位の権力者(領国の支配者である守護権力、あるいは比叡山などの寺社)に裁定を求めて持ち込まれた。「中世の裁判では一般的に両者が三回ずつ弁論を行うことになっている」という記述があったが、これは対面での弁論なのだろうかか? 私は、こんなふうに中世日本の裁判記録が残っていることを知らなかったので、非常に新鮮で面白かった。中国の古装ドラマでは裁判シーンをよく見るが、日本の時代劇も、もっとこういう社会ネタを映像化してくれたらいいのに、とも思った。中世後期には、先例よりも現在の実効支配を有利とする「当知行」の概念が徐々に優勢になっていくが、せめぎ合いは続く。

 戦国時代の商業活動を語る上で外せないのが「楽市・楽座」である。織田信長や豊臣秀吉が積極的に実施したとされており、特に信長が安土で特権商人を排除し、自由取引を認めた「楽市令」の印象が強い。しかしこれは「革命児」信長のイメージに引きずられた感もあるようだ。実際の信長は、市町の復興・新興が最優先課題の場合は楽市・楽座を実施する(例:安土)が、既存の商業活動の維持が地域経済に資すると判断した場合は、既存の商人の特権を保護する傾向にあったという。特定の商人に特権を与えて競争を排除することには、商取引のトラブルを少なくし、治安を維持する効果があった。十分納得できる説明であり、信長って優秀な為政者だなと思った。また、楽市は確かにその市町の経済振興を図るものだったが、楽座は戦国大名にとって、旧来の諸権門が持つ特権を排除し、一元的な統治を完成する意味があった、という指摘も腑に落ちた。

 最後に世界とのかかわりについて。石見銀山の銀が世界的なインパクトを持ったことは認識していたが、石見銀山の開発に博多商人がかかわり、その背後に大内氏の影響があったことは知らなかった。16世紀の日本は、この銀によって、中国・朝鮮のみならず、東南アジアに進出したポルトガル商人をも引き付け、日本の権力者や商人たちは、対外貿易に積極的に参入していく。遣明船、そして日明貿易をめぐる細川氏と大内氏、堺商人と博多商人の対抗。さらに堺商人は東南アジア貿易に参入していく。京都の角倉了以も南蛮貿易(東南アジア貿易)を担う主要な商人となる。しかし16世紀後半に統一政権が成立すると徐々に規制が強まり、日本の商人たちはグローバル経済の現場から締め出され、「鎖国」と「天下泰平」のもとで、新たな商業活動を再構築していくことになる。

 こうしてみると、日本という国の経済活動は「自由」と「規制」の間を揺れ動きながら今日に至るようだ。経済活動において、何でも「自由」が素晴らしいわけではなく、「規制=秩序」にも利があることは、楽市・楽座の説明を読み返すと分かる。「エピローグ」で知った豆知識だが、中世にも「自由」という言葉があり、簡単にいえば「勝手気まま」という意味で使われていた、主人の許可を得ずに勝手に出家することを「自由出家」と呼ぶように、勝手な行動として非難の対象となり、社会的な関係が断たれることを意味した。しかし逆に言えば、社会のしがらみから解放されるという意味も持っていたという。これは網野善彦氏『無縁・公界・楽』にあるそうで、読んだはずだが全く忘れていた。いつか読み返したい。