見もの・読みもの日記

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写実絵画の雄/鹿子木孟郎(泉屋博古館東京)

泉屋博古館東京 『生誕151年からの鹿子木孟郎(カノコギ タケシロウ):不倒の油画道』(2026年1月17日~4月5日)

 近代の日本洋画に本格的な「写実」表現をもたらした鹿子木孟郎(1874-1941)の足跡をたどる特別展。なぜ切りのいい生誕150年記念でなかったのかはよく分からない。本展のキャッチコピーは「写実絵画をもう一度」だが、私は明治~昭和前期の写実絵画が大好きなので、願ったり叶ったりの展覧会だった。鹿子木の名前は、2022年に泉屋博古館東京のリニューアルオープン記念展で『加茂の競馬』を見てから強く意識するようになった。

 鹿子木は現在の岡山市生まれで、松原三五郎(1864-1946)の天彩学舎で洋画を学んだ(松原の名前は初めて聞いたが「洋画王国岡山」の基礎を作ったと評価されているらしい。確かに岡山県は、倉敷に大原美術館もあるしなあ)。その後、上京して小山正太郎(1857-1916)の不同舎で学び、さらに各地の中学校で美術教員をしながら創作を続けた。

 展示はほぼ時代順に構成されており、10代~20代はじめの作品の「巧さ」には舌を巻く。少し前まで、絵画の修業といえば粉本(手本)を模写することだったと思うのだが、鹿子木の作品は、ひたすら写生である。油彩の人物画は、名前の分からない人物の顔だけを描いた、習作的な小品が多いが、モデルの内面に想像が及んで見飽きない。紙に鉛筆で描かれた町や村の風景はどれもよい。どんな古写真よりも、明治の日本の空気が伝わるように思う。特に水辺を描いたものは素晴らしい。鹿子木の最初期の作品群は、ほとんどが府中市美術館所蔵、一部が個人蔵だった。府中市美術館は、2001年に鹿子木の回顧展を開催したそうだが、残念ながら私は見逃している。

 鹿子木は1900年に初めてフランスに留学し、アカデミスムの巨匠ジャン=ポール・ローランスからフランス古典派絵画の写実の薫陶を受けた。ローランスは貧しい生い立ちの苦労人だったので、鹿子木が敬意と共感を寄せたというようなこぼれ話が掲示されていたと思う。ローランスの大作『マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち』は、鹿子木が、留学の支援をしてくれた住友家に返礼としてもたらしたもの。今は泉屋博古館コレクションに入り、本展でもエントランスホールに展示されている。そして、鹿子木の留学当時の裸婦や男性裸体の習作、ちゃんと残っているのだな(個人蔵!)。理想的な裸体だけでなく、多様な年齢・体型の男女を描いているのは、アカデミズムの大事な領分である歴史画を描くためだという。なるほど。一方、鹿子木は、トロ―二―という、特徴的な顔貌や表情の研究にも取り組んだ。

 帰国後は、正統的なリアリズムを日本へと伝え、重厚かつ堅牢な油彩画を発表していく。『ショールをまとう女』は、赤いショール、青緑色のエプロンをしたロマの女性を正面から描いたもの。強い意志を感じさせる表情が印象的。所蔵先の府中市美術館で何度か見たことのある好きな作品。『ノルマンディーの浜』(泉屋博古館)は初見だろうか。登場人物の手、足や小道具だけを描いた関連スケッチが(紙・鉛筆だけでなく油彩のオイル・スケッチも)多数残っているのが興味深かった(これも個人蔵)。

 『新夫人』は椅子に座って、不自然に体を右端に寄せている妙齢の女性の図。三井高保の次女で鴻池家に嫁いだが、使用人と駆け落ちした幸子がモデルで、文展に出品された際、三井家が買い取りと撤去を申し入れたが、鹿子木は応じなかったという。『書斎における平瀬介翁』は、え?と思って解説を読んだら、平瀬貝類博物館の平瀬與一郎(介堂)先生だった。親しみやすそうな、いいお顔。背景の書棚に大きな巻貝が飾られている。『加茂の競馬(くらべうま)』は久しぶりに見たけれど、やっぱりいい。左方(赤)の乗り手は既に騎乗して、視線を右方(緑)に向けている。右方の乗り手は、まさに右足を鐙にかけ、弾みをつけて馬の背にまたがるところ。次の一瞬が目に見えるようである。

 鹿子木は、都合3回のフランス留学を通じて、印象派や象徴主義など新しい表現も果敢に取り入れていく。私は『山村風景』『大和吉野川の渓流』などの風景画も好き。本展のポスター等に使われたのは『婦人像』(個人蔵、制作年不明)で、太い眉と黒目がちの大きな目が印象的である。手に持って開いている赤い表紙の冊子は「聖書と思われる」という解説が気になった(薄いので、新約聖書だけなのかも)。もう1点、『ショールの婦人像』(個人蔵)も小さな本を持っており、同じ女性のように思われた。