年末の台湾旅行のレポートを書き終えたので、ようやく今年の話題に移る。今年も1月3日に正月特別開館の深川江戸資料館で獅子舞を見て来た。今年も、まずは再現された江戸の街並みを訪ね回ったあと、火の見櫓前で、立ったり座ったり倒立したりのパフォーマンスを演じる。どこかの家のお座敷に通された想定だ。


その後、テンポのいい砂村囃子に乗せて、カチカチ歯を打ち合わせて、観客(特に子供)の頭を嚙む仕草を見せる。本気で怖がって泣き出す子供がいるのが、可哀そうだけど微笑ましい。
今年は資料館の隣の霊巌寺にも立ち寄った。ここに松平定信の墓所があることは、以前から知っていたが、あまり親しみを感じる人物ではなかったし、霊巌寺の門構えがあまりにも立派なので、気軽に入ってみる気にはならなかったのだ。

それが、昨年の大河ドラマ『べらぼう』の人物造形が魅力的だったもので、ぜひとも墓参りしてみたくなり、正月早々から来てしまった。本堂の左奥に、高い塀と鉄門に囲われた定信の墓所がある。厳めしい構えだが、すっかり親しみを感じているので、越中~来ちゃったよ~くらいの気持ちで、遠慮なく鉄門から中を覗き込む。

鉄門の真向かいにあるのがお墓らしい。

右奥にも立派な石塔(?)があるのだが、由来は不明。裏手の風景を見ると、近隣のマンションからは、いつでも定信のお墓が見下ろせてしまうのだな。

墓所の脇には「江東区渋沢栄一ゆかりの地」という看板が立っていた。2021年の大河ドラマ『晴天を衝け』にちなんで設置されたものだろう。松平定信は窮民救済のため、江戸市中に七分積金制度を定め、明治以後は東京府に引き継がれた。この財源の活用を任された渋沢栄一は、東京府民のため、橋梁や道路の修繕、ガス整備、養育院の設立等を行った。渋沢は、定信の顕彰を進め、伝記を編纂したり、昭和4年(1929)に霊巌寺で定信の百年忌を挙行したりしたそうだ。そもそも清澄白河の「白河町」の町名は、定信の白河藩にちなんだもので、この命名にも渋沢栄一がかかわっている(※参考:白河市「江東区白河町の成立」)
霊巌寺の前は、買い物や散歩でちょくちょく通るので、また寄ってみたい。そして定信(1759-1829)、二百年忌がもうすぐじゃないか。覚えておこう。
今年の正月膳はこんな感じ。台湾旅行から帰ったあと、和菓子の深川伊勢屋さんで伸し餅を購入した。餅は餅屋とはよく言ったもので、抜群に美味しい。まだ残っているので幸せ。おせちは、スーパーとコンビニで簡単に揃えた。

台湾旅行のおまけ。MRTの駅に掲示されていた飲食禁止のポスターである。食べたい気持ちは分かるけど、駅を出てから食べてはどう?みたいなニュアンスかな。
