〇加藤徹『後宮:宋から清末まで』(角川新書) KADOKAWA、2025
『後宮:殷から唐・五代十国まで』の続編である。扱われる王朝は、宋、遼、金、元、明、清。非漢民族による征服王朝(遼、金、元)を別にすると、日本人にも比較的なじみのある時代ではないかと思う。
私は宋の王朝に興味を持ったのは遅いが、古装ドラマの視聴を通じて、だいぶ概要が分かるようになった。著者は「宋の後宮は、歴代王朝のなかではまともである」と評価する。歴代皇帝は、たまには凡君もいたが、暴君はいない。后妃もおおむねまともで、外戚や宦官の弊害もさほど大きくなかった。しかし国難は外からやってくる。女真族・金軍の侵攻によって、上皇になっていた徽宗と息子の欽宗が金の本国に連れ去られたことは知っていたが、当然というか、后妃や宮女たちを含む男女三千人が連行されたという。女性たちは金軍の将兵に分け与えられたり、娼館に収容されたりした。つらいなあ。徽宗の息子で、南宋の初代皇帝となった高宗については初めて知った。最初の妻は金軍に連れ去られ、安否不明のまま皇后に「遙冊」したこと(のちに死亡が判明)、二代皇后の呉氏が肝の据わった傑物だったことなど、なかなかドラマチックな逸話が多い。
続いて征服王朝の遼(契丹)。王族は耶律氏、后族は蕭氏である。漢族王朝は歴代の皇帝の生母の出身氏族が集中しないように配慮したが、中国の周辺民族の王朝では、母方の氏族のランキングを重視し、生母の氏族が集中する傾向があった。著者がこれを日本の藤原氏と比較しているのがおもしろい。金は、第四代海陵王が異常な荒淫と悪逆非道ぶりで知られているというが、どこまで本当なのだろう…。
モンゴル帝国は元という国号を名乗ったあとも、基本的にモンゴル族のままだった。儒教的な長子相続や長幼の序、嫡庶の別の意識は希薄だったが、東ユーラシアの遊牧民族国家は、匈奴も突厥もモンゴルも、君主の系統は同一男系に限るという血統原理があったという。へええ、そうか日本の保守のいう「万世一系」は日本独特のものではないのだな。モンゴルの後宮はおおむね健全だったが、モンゴルの妲己と呼ばれる野心家の皇后ダギや、高麗出身の奇皇后はアクが強い。元世祖クビライの皇后チャブイは賢い女性だったようだ。
さて明王朝である。著者は「明の後宮は半分成功し、半分失敗した」という。血統は長く続いたし、外戚の専横も防止できた。けれども、太祖洪武帝こと朱元璋が残した政治指針『皇明祖訓』は、なぜか宦官の政治干渉に関する警戒が弱かったため、明の中期以降、宦官が国政を乱す事態が何度も起きてしまう。しかし明の衰退の根本的な原因は、名君が続かなかったことだ。そしてその一因は、後宮の后妃選定制度にあり、歴代皇帝の生母が必ずしも優秀でなかったからだという。身もフタもない話だが、そのおかげで後世の我々は、奇人変人の皇帝列伝を楽しめるわけでもある。本書は、宦官の汪直や、隠れた天才かもしれない正徳帝などの逸話も詳しくて楽しめた。「明の時代に生まれたかったとは全く思わないが、今の私たちから見て、明が面白い時代であることはたしかである」という著者の言葉に同意する。
最後の王朝である清は、システム的に完成された王朝だったと感じる。真の後宮は、后妃の血統を重んじ、皇帝の生母は「八旗」の女子に限られた。后妃の選抜では、容姿より資質が重んじられた。聡明な母親から生まれた清の皇帝はおおむね頭がよかったが、それでも当初は皇位継承をめぐる動揺があった。雍正帝のとき「太子密建」制度が整えられて安定したが、同治帝が子をもうけずに亡くなるという想定外の事態が起きてしまう。その後は、後宮が王朝の存続に果たしていた役割が、もはや機能しない時代に向かって一気に歴史が動いていく。
こうして後宮の歴史は終わるのだが、個々の皇帝は死に、歴代の王朝は滅びても、中央集権的な統一国家が存続するという中華帝国のフォームは、今も中国人の心を呪縛しているのかもしれない、という著者の考察が印象に残った。