見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2025年11月関西見仏&美酒旅行(3日目)

 旅行3日目は単独行動。橿原考古学研究所附属博物館を訪ねるために、大和八木から2駅先の畝傍御陵駅で下車した。博物館の開館まで、まだ30分ほど時間があったので、どこか立ち寄れる観光スポットはないか探したら、駅の反対側に「本薬師寺跡」があることが分かった。昨日、薬師寺のお坊さんが法話で「薬師寺は奈良時代の真ん中頃、もとは藤原京に建てられました」と話していたことを思い出し、行ってみたくなった。

 畝傍御陵駅の東出口に背を向けて歩いていくと、徐々に住宅が途切れて農地や空き地が増えてくる。田んぼ(おそらく)の真ん中のこんもりした木立が怪しかったので、細い農道を辿って行ってみたら、礎石らしきものがごろごろ転がっていた。あとで調べたら、これは東塔跡らしい。

 駅の方に戻りかけて、先ほど、気づかずに通り過ぎていた案内板を見つけた。薬師寺は天武天皇が皇后(持統天皇)の病平癒を祈念して発願された寺で、藤原京右京八条三坊を占めていた。遷都に伴い、平城京に移転したが、「中右記」によれば、平安時代中期頃までは移転前の場所に伽藍の存在が確認でき、平城京の薬師寺と区別するために「本薬師寺」と呼ばれたという。この案内板の背後は、垣根に囲まれた人家のように見えたが、回り込んでみたら、ここにも礎石のようなものが集まっていた。不思議。

 来た道をゆるゆる戻って、博物館へ向かう。

橿原考古学研究所附属博物館 令和7年度秋季特別展『きらびやかに送る-国宝・藤ノ木古墳出土品修理事業成果展1-』(2025年10月4日~11月30日)

 本展は、国宝・藤ノ木古墳出土品修理事業が節目の5年目を迎えたことを記念して、修理が完了した冠、銅鏡、銀装刀子、履など被葬者の周辺に置かれた葬送用大型装身具を中心に、修理の状況および関連出土品を紹介し、藤ノ木古墳の実態に迫る。

 最初の展示室は、主に復元品で構成されていた。色鮮やかで華やかなビーズや飾り玉の装身具を見て感じたのは、契丹やモンゴルなど、騎馬遊牧民の文化に類似しているという印象だった。

 藤ノ木古墳の被葬者の靴(金銅製履)には、とても実際に履いては歩けないような飾り(歩揺)が、じゃらじゃら付いている。面白いのは、単なる円形の飾り具の中に、魚形の飾り具が混じっていることだ。なお、あとの展示の説明によれば、金銅製の履は日本列島では約20例確認されており、朝鮮半島の事例と併せて、板の接合形態などからいくつかの形式に分類されている。藤ノ木古墳はII群A型といって、百済に多い類型になる。

 金属製の冠は、日本列島で約90例が発見されている。細帯式と広帯式に大別され、藤ノ木古墳の「広帯二山式」は日本列島独自の形式だが、朝鮮半島の伽耶地域の立飾と百済地域の文様を変形させて成立したと考えられているという。日本列島と朝鮮半島が連続した文化圏だったことをあらためて確認できて、興味深かった。そして、靴には魚だったが、冠には鳥形の飾りが付いているのも面白い。

 久しぶりに常設展示室も見てまわったら、昨年、東博の『はにわ』展でびっくりしたメスリ山古墳の巨大な円筒埴輪があって、なんだ、ここで見ていたんだ~と苦笑した。考古学に興味を持ち出したには最近なので、仕方ないかな。

 近鉄線を乗り継いで長谷寺へ。前日の室生寺に続いて、また長い石段を登ることになったが、思ったほどには堪えなかった。私の家は、長谷寺を本山とする真言宗豊山派なので、父と母の回向をお願いしてきた。前回参拝は2022年3月で、まだ母が存命だったので、父の回向だけをお願いした。ようやく母の分も済ませることができた。回向をお願いすると、本尊大観音の足元で特別拝観をさせてもらえるシステム(ただし記念品の授与はなし)も前回と同じ。本堂内陣には、裏観音と呼ばれる小さな十一面観音、薬師如来、十二神将などの諸像がぎっしり安置されている。

 これで予定のコースをほぼ完遂。長谷寺周辺でお昼を食べようと思っていたのだが、紅葉の見ごろで人出が多く、適当なお店が見つからないまま、駅に戻って名張行の近鉄急行に乗ってしまった。名張で急行の乗り継ぎに小1時間ほど余裕があったので、駅前の賛急屋でランチ。からあげ定食には大きな唐揚げが4つも付いて、ボリュームたっぷり(札幌の中華布袋のザンギ定食を思い出した)。

 これで名張に始まり、名張で終わった関西旅行だった。また遊びに来たい。