見もの・読みもの日記

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記録と想像の中の戦争/記録をひらく 記憶をつむぐ(東京近代美術館)

東京近代美術館 コレクションを中心とした特集『記録をひらく 記憶をつむぐ』(2025年7月15日~10月26日)

 「昭和100年」「戦後80年」という節目の年となる今年、美術を手がかりとして、1930年代から1970年代の時代と文化を振り返る展覧会を開催します――と開会趣旨は穏やかに語っているが、その中心テーマは「戦争」である。同館コレクションに他機関からの借用を加えた計280点の作品・資料を通して、美術に蓄えられた記録をもとに新たな戦争の記憶を紡ぎだすことを試みる。「終戦の季節」である8月に前期を見たあと、先日、後期を見てきたので、感想をまとめたい。本展は、図録もチラシもプレスリリースもない異例の展覧会だが、大半の作品の写真撮影が許されているのがありがたかった。

 第1展示室(第1章 絵画は何を伝えたか)に展示されている印象的な作品が2つ。まず宮本三郎の『本間、ウエンライト会見図』は、写実的な作風だが、「会見」自体は画面の左端3分の1くらいに押しやられていて、「会見を記録する人々」が強く印象に残る。フィルムの大きなリールを載せたカメラを操る技術者たち。レポート用紙にメモを取る坊主頭の眼鏡の青年。本展は、こうした人々によって「記録」された「記憶」の集大成であることを考える。

 続いて登場する大作が、御厨純一『ニューギニア沖東方敵機動部隊強襲』。これはどう考えても空想だろう。古いSF映画みたいな荒唐無稽な光景が生む高揚感。戦争絵画には「写実」と「空想(妄想?)」の2つの路線があるように思う。

 この第1章に掲げられていた「戦争画」の見取り図を記録しておく。

 第2章は「アジアへの/からのまなざし」。私は梅原龍三郎の描く明朗な中国風景が大好きなのだが、当時の人々には、こうしたイメージが日本の大陸進出の成果と受け止められていたという指摘は、苦く哀しいものがある。ほかにも小磯良平や碇伊之助など、多数の有名画家が戦地中国の風景を描いていることを初めて知った。福沢一郎『牛』は満州国の欺瞞を見抜き、乾いた笑いで糾弾するような作品。

 一方、和田三造『興亜曼荼羅』は、無批判に大東亜共栄圏の理想に乗っかったプロパガンダ作品だろう。しかし子供の絵本のような、多幸感あふれる色とかたち、西欧古典を踏まえつつ、アジア諸国のスパイスを無造作に振りかけた画面は嫌いじゃない。和田三造って誰だっけ?と手持ちのスマホで検索したら、逞しい船乗りたちを描いた『南風』が出てきて、あ!この画家か、と納得した。ちなみに、あとで常設展示エリアに行ったら、その『南風』が展示中だった。

 藤田嗣治の戦争画はたくさんあるが、私はこの展覧会で初めて見た『神兵の救出到る』がお気に入りだった。舞台は蘭印のオランダ人の邸宅、家の主はすでに逃亡し、家政婦の現地女性が縛り上げられて残されているところに日本兵が踏み込む。しかし現地女性にとって、日本兵もまた脅威であるように見えるというのはまさにそのとおりで、この後に起きる惨劇が容易に想像できてしまう。ちなみにテーブルの下には猫がいる。

 第3章は「戦場のスペクタクル」。三輪晁勢『ツラギ夜襲戦』は後期のみの展示で、後期も見に行ってよかった。解説に「この火炎と黒煙は『伴大納言絵巻』のそれを想起させるかもしれません」とあって大きくうなずいた。戦争画にも絵画の伝統は反映しているのだ。

 藤田嗣治『神兵パレンバンに降下す』は、むかし近美の常設展で見たことがあって、青空と白い落下傘部隊の牧歌的・童話的な光景にびっくりしてしまった。藤田は『アッツ島玉砕』『サイパン島同胞臣節を全うす』など、犠牲者や遺体が折り重なるような、暗鬱で救いようのない作品をいくつも描いているが、私はこういう能天気な戦争画が好きなのだ。

 あと、やっぱり私が好きなのは宮本三郎。この『萬朶隊比島沖に奮戦す』は、広い展示室の反対側にあったのだが、一目で引き付けられて歩み寄ってしまった。この臨場感と動的な緊張感は、現代の特撮技術が生み出す映画にも劣らないと思う。

 小舟の上の人々は、もちろん宗教画を意識しているのだろう。

 私は中学生の頃、東京のデパートで開催されていた宮本三郎展を見に行った記憶がある。そこで見た作品のほとんどは、燃えるような赤系の色彩を基本に、花か、花に囲まれた裸婦を描いたものだった。なので、その後にこうした戦争画に出会ったときは、同じ画家とは思えずに面食らったのだが、今回、実はどちらも私の好みであると確信した。

 このレポートは、戦争画を「美術」として見た感想を中心にまとめてしまったが、「戦争」に関して考えたことも多かった。その場合、強く印象に残ったのは、以前から知っていた作品ではあるけれど、浜田知明の版画『少年兵哀歌』シリーズである。こういう小品には、作者の個人的な感慨が詰まっていて、大作よりも胸にこたえる。もうひとつは、1974年、NHK広島放送局の呼びかけで2200枚あまりが集まったという、市民が描いた原爆の絵。私は荒木明さんの「足を負傷した朝鮮の婦人」が目に焼き付いている。

 最後に常設展に出ていた和田三造の作品を掲げておく。満州国建国10周年を記念して、東條英機首相に贈られた画帖の中の1枚。