見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

トークイベント「いまこそ応挙の真価を問う」(三井記念美術館)

三井記念美術館 トークイベント『いまこそ応挙の真価を問う』(2025年10月13日 14:00~15:30、野村カンファレンスプラザ日本橋)(講師:辻惟雄、山下裕二)

 三井記念美術館で『円山応挙展』の開催が決まってまもなく、ホームページにこのトークイベントの告知が掲載されたので、絶対聞き逃すまいと思って発売初日に速攻でチケットを取った。定員200名の会場はぎっしり満席だった。

 定刻になると、舞台上手のドアから、山下先生が辻先生をエスコートするように登場し、上手寄りのソファに並んで腰を下ろした。背景にはスクリーンが2面。下手のスクリーンにはトークの題材となる絵画のスライドを投影し(拡大縮小が自由自在)、上手のスクリーンには喋るお二人の姿をUPで投影するという親切設計で、後方席のお客さんも楽しめたと思う。

 話のマクラで山下先生が語ったところによれば、お二人が初めて会ったのは、山下先生が21歳の学生、辻先生が47歳のとき、それが今や自分(山下)は60代、先生(辻)は90代で、老々介護ですよ、と客席を笑わせてくれたけれど、私は、かつて山下先生(と南伸坊さん)が車椅子の赤瀬川原平さんを労りながらトークしていたイベントを思い出していた。人生長くなると、老いていく先輩をたくさん見ることになるのだよね。

 しばらくは昔話。辻先生は1960年代、勤務先の東京文化財研究所に持ち込まれた『群仙図屏風』を初めて見た人間のひとりであるとか、昼は公務で狩野元信を研究し、夜は趣味で奇想派を研究していたとか。辻先生いわく、江戸時代の『平安人物志』では、応挙一番、若冲ニ番の扱いだったのに、戦後は若冲が忘れられて、応挙が幅を利かせすぎていたので、バランスをとろうと思った。しかし応挙も素晴らしいと思う。

 山下先生が、狩野元信と応挙を並べて、この二人は「新しい型の確立者」として共通するものがある、とおっしゃっていたのは興味深かった。狩野派に関する余談で、狩野元信には国宝指定が1点もない、正信は1点のみ(少ない!)という話も出た。

 それから徐々に応挙の作品解説に入っていく。まず今回出品が叶わなかった香住の大乗寺の襖絵の話題が出た。やっぱり現地で座敷にしつらえた状態で見ないと、と辻先生。私は幸運にも原本が使われていた状態を見たことがあるが、現在はデジタル複製品に交換されている。かなり時代を先取りした取組みだったので、今日の基準では「複製の質があまりよろしくない」と言われているのは難しいものだ。

 私はまだ今回の『応挙展』の展示は見ていないのだが、酒田の本間美術館から『虎皮写生図屏風』が来ていると聞いて嬉しかった。府中市美術館で見たやつ!山形県まで美術品輸送トラックを出すと高いんですよ~でもこれを見せたかった、と山下先生。金刀比羅宮の『遊虎図襖』と並べたかったのだそうだ。金刀比羅宮の応挙の障壁画は三井家の資金援助で制作されたので、三井の美術館なら、と出品してくれたというのもよい話。

 国宝『雪松図屏風』については、紙の白さにびっくりしたという辻先生。この3Dのような空間構成は、今では驚かなくなってしまったけれど、当時の人々には全く新しい絵画だったと山下先生。なお展示替えで『雪松図』が引っ込む期間には、根津美術館の『藤花図屏風』が出るというスケジュール。ええ、どっちを見に行こうかな。辻先生は『藤花図』を「音楽に近い」と形容されていた。応挙の肖像画(近世名家肖像/谷文晁)について、僕は応挙はこういう顔だと思う、という山下先生と、ちょっと違うんじゃないかという辻先生の意見が割れていたのも微笑ましかった。ほかにも後ろ姿の『元旦図』の解釈とか、応挙の『幽霊図』(上品)と蘆雪の『幽霊図』(ヤンキーっぽい)の比較とか、面白い話はいろいろあったのが、割愛。

 やはり本展随一の注目作といえば、若冲『竹鶴図屏風』と応挙『梅鯉図屏風』の競演である。この合作屏風の発見が報じられたのは2024年10月。記者会見の席には山下先生とともに辻先生も登場。その後、お二人には、各方面から連絡があったらしいのだが、辻先生いわく、ある記者からの連絡によると「僕は16年前にこの作品を見ているらしい。ほかに3人の専門家と。ちゃんと写真に僕が写っていた」と。えええ~そんなことがあるのか?!と大衝撃だった。笑っちゃったけど。なお、この屏風、大正天皇の即位を記念した展覧会(大正4/1915年)の図録(目録)には名前の掲載があるそうだ。現在も個人蔵なのだな。所蔵者はどんな方なのだろう…。

 応挙と若冲は同時代に生き、住んでいた家も近所だったが、二人が会ったという記録はないそうだ。しかしこの屏風が出てきたことで、いろいろ想像が膨らみ、辻先生も楽しそうだった。それ以上に、応挙が描いた鯉と梅の枝は、左隻に来るべき若冲の作品を気にかけているし、若冲の描いたニワトリの尾羽は、応えるように右隻に注意を向けている。この画技の応酬がなんとも楽しい。応挙作品(天明7/1787年)が先に描かれたと思われるが、若冲作品(寛政2/1790年?)は、例の年齢表記の問題で制作年を決めがたいようだ。あと、この年号を見ながら、今年の大河ドラマの時代、京都は応挙・若冲の時代なんだよなあ…とも思った。

 あっという間の1時間半。トークを聞いたあとに展覧会を見ようと思っていたけど、頭の中がいっぱいだったので日を改めることにした。辻先生、山下先生、楽しい時間をありがとうございました。