見もの・読みもの日記

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2025年9月関西旅行:大和文華館、奈良博

 今年の夏は猛暑に負けて自宅に籠っていたのだが、涼しくなったのを幸い、久々の関西旅行に出かけてきた。まずは奈良から。

大和文華館 特別企画展『くらべて楽しむ琳派作品』(2025年8月22日~9月28日)

 様々な時代のバリエーション豊かな琳派の作品を、古典作品や他派の作品と共に展示する。という本展の趣旨を、実はあまり理解しないで見に行ってしまった。冒頭の展示ケース、右端には鎌倉時代と室町時代の古典的な蒔絵の小物が出ていた。『蒔絵歌絵鏡巣』(室町時代)には鉛板の月が見えるが全体に地味。中央、光悦の『沃懸地青貝金貝蒔絵群鹿文笛筒』は鉛板を大胆に用いる。鹿の形象が「文様と絵画のあわい」であるという解説にうなずく。左端は神坂雪佳の『螺鈿金貝蒔絵田家人物文硯蓋』(個人蔵)で、田家の屋根が鉛板。家の本体は鈍い金色で、細く切った白い貝(たぶん)で流水を表現する。ゆるくて同時に繊細で、とても素敵。なるほど、ひとくちに「琳派」カテゴリーと言っても、時代による差があるのだな、と納得。

 続いて壁の展示ケースに進むと、光悦筆の『新古今集和歌色紙』の前に、栂尾切や石山切などの平安古筆が出ている。違和感のない並びなのだが、いやこれ「琳派」じゃないぞ、と気づいて、ようやく本展の趣旨を理解した。この展覧会、実は同館の名品展の趣きがあるのだ。国宝『寝覚物語絵巻』を宗達の『伊勢物語図』や『源氏物語図』と比べて眺めるなど、かなり贅沢な楽しみ方ができる。『源氏物語図屏風断簡』(真木柱、個人蔵)は、切り取りの結果なのか、なんだかおもしろくて魅力的なデザインになっていた。肖像画の比較対象には、桃山の『婦人像』(これは狩野派の絵師によるとの解説)が出ていたのも嬉しかった。

 やきものでは、乾山の銹絵は磁州窯を学んでいるという。乾山作・光琳筆『銹絵山水文四方火入』は雪舟の画風に倣うとも。乾山、色絵は仁清に学んでいるというし、「まなぶ」「まねぶ」は全く恥ずべきことではない。同時に『流水図広蓋』や『武蔵野隅田川図乱箱』は、完全に独立独歩の境地だと思う。

 琳派は、師弟や血縁で明確につながる流派と異なり「ゆるやかで柔軟性のある繋がりであるからこそ、先達の作品を学びつつも模倣に終わらず、古典学習や同時代の流行も反映させながら伸びやかに展開」したという。その解説を、実感できる展示だった。

奈良国立博物館 奈良国立博物館開館130年・天理大学創立100周年記念特別展『世界探検の旅-美と驚異の遺産-』(2025年7月26日~9月23日)

 天理大学附属天理参考館の30万点にのぼる膨大なコレクションの中から厳選した作品群と、奈良国立博物館所蔵の仏教美術作品などを組み合わせ、人類の約6000年に及ぶ歴史を探求する展覧会。私は天理参考館には何度か行っているので、そんなに驚かないだろうとタカをくくって行ったら、けっこう魅了されてしまった。冒頭の「文明の交差する世界」では、中国、地中海、西アジアなどで勃興した文明と、その交流を紹介する。このへんは興味深いけど、まだ理性の範囲。

 西新館から「神々と摩訶不思議な世界」が始まり、ニューギニアの祖霊・精霊の仮面が勢ぞろいした部屋に足を踏み入れたあたりから、ちょっと頭がくらくらしてきた(褒めている)。暗めの照明もBGMも効果的。そのあとにも影絵芝居のワヤン人形があったり、バリ島のランダとバロンの仮面があったり。現代インドの神様ポスターはなんだか懐かしかった。神々の世界は、エジプト、アンデスにも射程を伸ばす。それから「追憶の20世紀」では、北米、エジプトを経て、再び東アジア、北京の実物看板に戻ってくるのである。この構成、とても巧い。

 だいたい「日本的」な展示の多い奈良博が、今回ばかりは全く異なる空気に支配されているのが面白かった。ただし嫌な感じはなくて「奈良は世界につながっている」という確信が残った気が私はしている。

 

※以下、写真を紹介。

「文明の交差する世界」から、霊鳥ガルーダに乗るヴィシュヌ神像。

この裏側に回ると、謎の人物がいる。

伏羲女媧図。大谷探検隊がアスターナ古墳群から持ち帰ったもの。

なかなか見られない、三彩鎮墓獣の後ろ姿。かわいい。

「神々と摩訶不思議な世界」の冒頭、ニューギニアの祖霊・精霊たち。「仮面」というけど、すっぽりかぶる「着ぐるみ」状のものも多い。

赤い仮面は本展のメインビジュアルになっていた「マイ」。男性秘密結社の入社式で用いるが正体は不明だそうだ。

魔女ランダ。この夏、富岡八幡宮の境内で見たガムラン舞踊劇を思い出して、そうだ、この顔だった!と思った。間近で見ると一層怖い。

こっちが聖獣バロン。舌に善と悪の言葉が記されているのだそうだ。